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私の婚活歴① りこん

今日はおもいきって私のこれまでの婚活遍歴を語っていきたいと思います。
多分一回で終わらない。。。

今、スタートを話そうとしたら、離婚から話すといいかなと思うので、今日はひとまず離婚。

もと夫は、小学生の時の同級生。
5年生で初めて同じクラスになって、それまでは小さなクラスだったので、ちょっと新鮮に映ったのを覚えています。今まで近くにいた男子とはちょっと違って、少し大人びた印象がありました。

彼は4つ上のお兄さんがいたので、その影響もあり、考え方も、楽しんでいることもちょっと大人でした。10歳の私たちにとって、4つ上の影響を受けている彼は、女子にとっては、「かっこいい人」でした。何もしなくても目立つそんな存在でした。

付き合うのは高校2年生。そこから付き合い、一緒に大学浪人をして、違う大学に通いながらも、大学卒業後一緒に暮らし始め、親から一緒に暮らすなら、結婚しての一言で、結婚。
彼が良く言っていたのは、「お前の親が結婚しろというからした」とよく言われました。

そんな私たちに亀裂が入ったのは、もともと小さなものはありましたが、自分の思うようにいかないと、イラつき、私の話もあまり大事に受け止めず、モノに当たったり怒鳴ったりすることが増えました。

大きく変わったのは、出産後実家からもどり、3か月したくらいから、イラつき始めます。帰ってきたら、ご飯ができていない、お風呂が沸いていない、子供が泣いている。
私になりに理解したことは、私が働いていない分、自分の給与だけで生活することが、実感地になり、常日頃から不安を感じるようになっていた。そこにのんきに子供をあやしたり、友人と電話している私が受け入れられなかった。その彼の不安は大きくなり、いらだち、モノに当たり、モノを壊し、ついには私をけり始めました。

私のおなかと腕に大きな青あざができたのは、娘が1歳半。
家を出ました。でも話し合い戻りました。
次は、子供が5歳の時、本気で家を出ました。安いアパートに引っ越しました。その時本当に反省して彼は謝ってきました。信頼を得るべく、何度も私のアパートに通い、娘と散歩するなどして時間を過ごし、誠実さを一生懸命見せました。もう一度だけと思って戻りました。

その後、小学校に娘が入るタイミングで、私の仕事のボリュームを増やし、彼の勤務時間を調整し、小学校から帰る娘との時間は彼が過ごし、寝る時間は私が過ごしていました。

でもそれも様子が変わっていきます。
彼なりに子供に勉強を教えようとしていましたが、なかなか覚えない娘にいら立ち、お風呂の中で九九を教え、それが言えないといってはお風呂から出さない、言えるようにあったら出すという罰を与えていました。
私がちょうどそこに帰ってきて、止めようとしたら、私はふっとばされました。それでも何とか止めましたが、娘の体は真っ赤、のぼせる直前でした。

娘は必死でした。お父さんに愛されるように必死でした。今24歳になり、子供のころのことを具体的に思い出せるようになったようです。父親のそうした部分を理解はすれども、許せない怒りがいま彼女の中にあります。

私はこの出来事を経て、具体的に離婚を考え始めます。揺れながら。

3年生になったとき、ある朝、支度をしている娘と私のやり取りを聞いて、かっとなり、彼は娘を家の中で追いかけまわしました。
それを見たとき、もう最後の時が来た。今別れなければ、彼はいつか娘に手を挙げる。それをさせてはいけないとして、その日急遽仕事を休み、かねてから見ていたマンションの契約を決め、その日の夜彼に切り出しました。当時は私は月に2万円をもらうだけの生活でしたので、彼から10万を引き出し、翌日頭金を入れました。

そうして、一気に離婚をします。
しかし、私の心はすでにズタボロでした。仕事は経験もあって少しずつ責任ある仕事を任せてもらえるようになってました。でも家にはまだ3年生の子どもが待ってる。苦しかったし悲しかった。
哀しみを出してる時間もなかった。
そうした私の話を聞いてくれる人が欲しくてアプリをはじめました。もう思い出したくない日々が始まります。娘の前ではいいお母さんになりたくて、毎日食事とおやつを作って出て、急いで帰ってくる生活。でも心は助けてほしいと叫んで人を求める。
バランスを崩す直前でした。

ただただ、娘を抱きしめて過ごせる夜にホッとし、だれも怒らない環境に安心してたのを覚えてます。

しかし、そんな穏やかな日も長く続かず、今度は私がイラつくのです。
思ったように子育てできない。夜遅くしか帰れない自分、一人にさせてしまう自分、ご飯を作って用意するのも体力もつらい、でも仕事はもっとしたい、流石と言われる仕事をしたい、

その中で、いろいろ言ってくる娘に、うるさいーーと叫んでしまうのです。

一度キレてしまうと歯止めが効きません。

そんな自分に愕然とするなかで、彼が理解できるのです。そのことにも苦しみながら、私はついに鬱になり、2年弱の休職に入ります。


今思い返して書くのも、つらすぎですが、
それもこれも、ありのままの自分を誰より許していなかったのは私です。
ママできない。私そんなに仕事できませんと言えない。むしろ頑張らないといけない。二人で暮らしていくには働かないと。認められないと、働けない。
そうして自分を追い詰めてました。
何もしなくたって、十分認められていたのです。

彼に対しても、もともと私が彼の役に立つように振る舞ってた。
だから、徐々にそれが当たり前になり、かつ、彼の不安が増大する中で、もっと役に立つ私を求めたのです。
もっと働け、もっと働けと言われました。

彼の中にある不安を解消するために私は働きました。
これというまま、寝ずに彼の仕事の送り迎えをしたり、お弁当を作ったり。
それでも、私は3人で仲いい家族になることを願ってました。
我慢すれば、私が頑張れば、仲の良い三人家族になれる
そう思ってました。

人の役に立てば愛される、そんな思い込みを持ってる私に、人をコントロールすることで満足する彼は、ある意味良い組み合わせなのです。
苦しくなるだけの悪循環ですが、ニーズがあってるのです。

つまり、自分を整えないと、何も変わらなかったのです。

やった行いは彼は決して許せるものではないけれども、それでも、私が彼と生活したのは、必然だったように思います。

それだけ、私の思い込みが作り上げた現実はとっても悲惨でした。
それだけ、私は必死だったし、健気でした

そして、彼も幸せになりたかったのだと思います。
彼なりの方法で。

もし、私が、自分の思い込みに気づいて変わっていたら、ぜんぜん違う未来だったことと思います。

ここが私と娘のスタートであり、次の彼とであうスタートです


思い込みでいろんな現実が起きています。
自分の思い込みを知りたい方はこちらから


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