感情論も一つの論理
感情論については一つ思うところがある。感情論というものがやたら忌避されている。しかし、感情論無くして価値観を私達が理解できることもない。
そうして感情論を理解しようともしないことに
論理的であることが絶対視されているこのご時世に、ちょっとしたスパイスを。
要約
感情論とは論理的な人にとって理解出来ない理屈で動く論理。そこに働いているのは、それまでの経験と自身の感情を合わせることで生まれた倫理。
それは、他人が理解出来ないだけでそこには理屈が存在する。故に、感情論を使う彼らの話を理解するのならば、彼らの経験を知ることが必要になる。
手っ取り早く言えば、優先順位を把握してあげれば、ある程度彼らの理屈を理解できるようになる。
もし、彼らからの賛同を得たいと考えるなら、普通の理屈づめでは難しい。彼らの”論理”を踏まえて意思を伝えることが大切ではないだろうか。
普通の感情論とは
さて、一般的な感情論に対するイメージは
感情論とは、理性や理屈などではなく、感情によってなされる意見や議論のことをさす言葉です。 感情論は客観的な理屈を重視せずに感覚で話を進めるために、偏った意見だと思われることが多いです。
といったような内容になるだろう。
さて、ここにある通り感情論に客観的な理屈というものはない。そして、偏った意見になりやすいのも当然ではある。故に、感情論は理解されにくい。
さらに言えば、経験や自身の"価値観"を重要視して理屈が作られている分、周囲の情報をそのまま話に盛り込むということはない。何かしら、価値観というフィルターを通ってしまう。
そして、自分の考えというものをそのまま感情論という形で表現してしまう。結果として、他の人から見ればどうやってその考えにたどり着いたかを理解できない。だからこそ、すでにある情報から実直に議論を進めようとする人が見ると不快に感じてしまうのだろう。
では、感情論の価値とはなにか。どうすれば理解できるのだろうか。
感情論の価値
一番の価値は、プライドとモラルがあること。理詰めだけの言葉を否定する能力を持っている。
感情論を使う人は論理だけを用いる人のように情報を整理・分析するのではなく、 その情報に対して自分がどう感じるかに意識を向ける。 その基になるものがすなわち価値観。この価値観にそって行動するからこそ、高貴さや誇りを持つ人物になりえる。そうした人々の言葉が感情論として現れる。それは主観的な善に沿っているが、だからこそ信念を貫くことも出来る。
感情論を理解するには
会話するためには、お互いがお互いの言語を理解できなければ成立しない。それは、思考についても同じだろう。似たような思考をするからこそ、言葉を交わしたときに相手を理解できる。
であれば、必要なのは価値観の理解ではないだろうか。彼らには信念や独自の倫理観を持つことが多い。だからこそ、彼らの話を理解したり、言葉を伝えたいというのであればその論理にそって会話するのが適切だろう。
ちょっとした感想
正直筆者は感情をいまいち理解できていない人種だ。小説や映画を見て感動するということは出来るが、それはただ共鳴してるにすぎないと思っている。
もちろん、それなりに周囲の空気を読んだりするということは出来るが、自分の価値観と照らし合わせるということがない。だからこそ、感情優位で喋る人の言葉を理解できないことが多々あった。
そんな事もあって感情論を理解出来ない人のための何かになればよいのだが。
如何せん大切なのは、相手の言葉を相手が意図したように理解することだ。決して、自分が分かりやすいように相手をむりやり変えることじゃない。
参考文献
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