見出し画像

秘密の開封と、物語と、時間をさかのぼる旅/秋葉原「coffee koppel」にて

先日は、街の小さな喫茶店でのんびりしたいなと思って秋葉原のcoffee koppelに行ってみました。

(*´艸`)フフフ…
本当はジャンボサンドイッチが食べたかったのです。


koppelさんは、秋葉原駅近くの小さな路地を入ったところにあり、小さなたたずまいとあたたかな光、長年生きてきた調度品たちとともにゆっくりゆっくり呼吸を重ねてきたようなお店…

秋葉原にこんな喫茶店
あるんだ~…!

お店は、常連らしいお客さんはカウンターに座っているような、純喫茶に行くと見られる「丸い背中の男たち」が一息ついています(笹塚の南蛮喫茶でも見た風景)

背中が物語るような…?


今日は、誰もが抱いている秘密や人生という物語、語られるには身体がそれを受け止めるべきタイミングがあることなどお話ししたいと思います☺️






楽しい、は自分で創らないと
本当には楽しくないんだね


最近感じていたこと…

前はすごく映画を観て語っていたのに、最近はあまり観に行かなくなって、大作映画を観ても以前のように盛り上がらない私がいました。

世の中には楽しませて、気持ちよくさせて、日々の煩わしさから気を反らせてくれるものがたくさんある…

でも、そうかぁ…
自分が本当に欲しいものは
本当に楽しいと感じることは

自分で創り出さなくちゃいけないんだ❣️


そんなことをより深く感じたくて、koppelさんでゆっくりさせてもらうことにしたのです。

ご夫婦かな…、齢を重ねて落ち着いた男性はカウンターに。柔和でやさしい声の女性が接客をしていて、私はおかげでゆったりムードに·····本当に感謝です。

運ばれてきたジャンボサンドイッチとアイスコーヒーのセット。14時までは安く食べられるから、サラダも頼みました☺️


ハム、タマゴ、野菜、チーズ、8枚切りのパン。何の変哲もない普通の食材…

だけどその普通が嬉しくて、すべて組み合わせたジャンボサンドイッチは間違いないバランスで、う~ん「おいしいっ❣️」

こんなふうに好きなものを食べに行き、自分なりに写真を編集して記事を書くのも、私なりに楽しみを創っていることなんです。

読んでくださった方にも感謝です💖


レトロテイストにしてみました♪



ストーリーが必要だけど
ストーリーがあるから幸せになれない?


前にマッドマックスのジョージ・ミラー監督のインタビューを聞いていて、「生きていくためにはストーリーが必要だ」「自らの語るべきストーリーを語らなければならない」と言っていたんです。

でも、精神世界では私たちはストーリーがあるから幸せになれないのです…

「わたし」は人間で、日本人で、女で、こんな家族でこんな育ちで、こんな性格で、○○大学を出て仕事は○○、肩書きは○○、夢は○○で…

だけど、そこには判断や選択や解釈があり、自分を限定し制限するものでもあるから、自由という無条件の愛である本当の自分自身から遠ざかってしまうのです。

ストーリーがあるから、過去や未来という時間があり、常に思考は行ったり来たり。不安や心配を生じややすく、気楽な気持ちで「今ここ」にいられない。


ですが、ストーリーがないと語るべきことがなくて、何をしたらよいかわからなくなるし、何も話すことがなくなってしまいます…笑


だからこの劇の中で、よくできた仮想現実であるこの夢の中で、海月くらげという人物はこんな人格や気質があって、こんな人生を生きてるってどこか俯瞰しながら楽しんでいる今です😊



秘密の開封は
訪れを待って…

 
どんな人にも、誰にも言えないような秘密がありますよね。

この日koppelさんで見た、あの丸い背中のお客にも、お店の人にも私にも…

秘密によっては後悔や自責の念に苛まれてしまう。私は本当の意味で責任なんて誰にもないこと、もうわかったから、だから責め続けてしまっている人には癒されて、どんな自分もOKだとわかってほしい…

だけど秘密って、誰もが苦しみを背負う人間だと教えてくれますよね。そこから他者への優しさや慈愛が生まれてくるから、大切なものでもあります。

人と人とは分かり合えない。

それは冷たい意味ではなくて、分からないけどその人なりの事情があるんだというやさしい理解だと思うのです。


でも、秘密が語られる時がやって来たら、それは大きな許しであり、癒しです。

心理学者の河合隼雄さんによれば、「秘密が勝たられるには、それにふさわしい時熟を必要とする」のであり、また、身体が秘密の開封を受け止めきって「然るべきタイミング」を訴えてくるまで秘密にしておく態度が求められるそうです。



罪が許され、悲哀が癒される
時熟の訪れ


今年を振り返ると、仲良くしている人たちに私はかなり自分の秘密を話したのです。

病気が重いこと、なんども命の危機で入院していること、こんな体でどうやって生きていけばいいかわからないこと、もう死んで楽になりたいと思ったりもすること…

こんな私は重たくて、離れていっても仕方ないと思ったのですが、大切な人たちはそんな私を嫌に思わず、すごく気遣いながら一緒に歩むことを幸せに思ってくれました。

本当に長い長い間の苦しみ、自分を否定する罪が癒され、今も変わらず幸せに関係を育んでいます。

私の体、かなり弱ってきたけど、だけど秘密を打ち明けるのを受け止める強さは逆に育っていたんだね。

人って、体って
不思議だね…(*´ `*)



記事に出てきた笹塚の南蛮茶館はこちらにも書いています♪




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?