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『FF9』 と主人公のリーダーシップ

FF7のリメイクが4月に発売される。90年代に子供時代を過ごした世界中のアラサーと同様、私もこの瞬間を待ちわびていた。でもなぜか、昔プレイしたFFシリーズについて考えると、超話題作だった7や10ではなく、FF9が真っ先に思い浮かぶ。今日ははFF9の人物描写、特に主人公であるジタンに焦点を当て、主人公としての彼の異質さと、そのリーダーシップについてかいてみたい。

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FF9というゲーム

FF9はPS時代のFFの中でも異色の作品といっていい。FF7の成功以後、8, 10, 12, 13, 15に至るまで、このシリーズは基本的に頭身の高いキャラクター、美麗グラフィック、未来的世界観などを売りにしてきた。

一方でFF9は、多少のスチームパンク的な要素はあるものの、ハイファンタジー的な世界観に加え、頭身を8からあえて下げるなど一見先祖返りと言えるような要素を数多く盛り込んでいる。主人公のジタンにしても、クラウド、スコール、ティーダのような「クールイケメン」キャラではなく、ラテン的な性格に尻尾の生えた西川貴教のような容貌を備えた、どちらかというと三枚目的な人物だ。

主人公を取り巻くキャラクターも、どこかカトゥーン調で微笑ましい。ヒロインのダガー、クソ真面目な騎士スタイナー、ぬいぐるみのような黒魔道士ビビ、おませな召喚術師エーコなどシリーズの他作品と比較してもビジュアル的にバラエティに富んでいる。

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ジタンという主人公

この作品の魅力はどこにあるのだろうか。まずはなんといってもキャラクター描写の巧みさがあげられるだろう。「RPGはキャラクターが命」というのも2020になっては古い言葉かもしれないがが90年代には真実だったと思う。特に中心的に語られるジタン、ビビ、ダガーの三人はストーリーを通して複雑な内面を徐々に見せてゆき、そして成長してゆく。

特に主人公のジタンに焦点を合わせて語りたい。物語の序盤から中盤にかけての彼ははやや軽薄ながらも極めて成熟した人物として描かれる。生真面目で何かと突っかかってくるスタイナーにも正面からぶつかることなく受け流し、世間知らずのビビやダガー大して冒険の知恵や世界の地理を教え、ビビがアイデンティティ・クライシスに陥り、ダガーがコンプレックスを抱えた母の死に衝撃をうける際には彼らを優しく支える。物語が中盤に差し掛かるまでは、ジタンはいわばこの世界の案内人であり、未熟なダガーやビビの方がプレイヤーの分身といってもよいだろう。

ジタン「いいか、ビビ。これからは黙ってちゃダメだ。
     そうだな……いざといういうときは自分から大声を出してみんだ」
ビビ「自分から……?」
ジタン「ああ、たとえば……。いいかげんにしろよなコノヤローッ!! ってな感じかな。
     相手を驚かすだけじゃない、勇気もでてくるぜ!」
ダガー「(コノヤロー?)」
ビビ「勇……気」
ダガー「ジタンは?」
ジタン「ん?」
ダガー「どうして一緒に来てくれたの?」
ジタン「そいつは……イプセンの言ったセリフだ」
ダガー「イプセン……?」
ジタン「イプセンってのは本当にいた冒険家でさ、その冒険の話を元に書いた芝居だったと思うんだけど……
    こんな話なんだ……(中略)
ダガー「……コリンはなんて答えたの?」
ジタン「 『おまえが行くって言ったからさ』 」

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ジタンのリーダーシップの特異性

このような構図は、同シリーズの他作品の中でも珍しい。FF7のクラウドについて考えてみよう。確かにストーリーの序盤、彼は周りの仲間たちよりも神羅カンパニーや宿敵であるセフィロスについて知識があり、物語を先に進める役割をはたす。しかしこれはあくまでストーリーのプロット上、彼が「信頼できない語り手」の役割を負わされているからであり、したがってクラウドのリーダシップは極めて不十分で、かつ不穏なものである。特にティファは何度もクラウドの人格に疑問を持ち、そして当のクラウドはそれに気づいていない。

「ねえ、クラウド」
「たき火って不思議ね」
「なんだかいろんなこと 思い出しちゃうね」
「あのねえ、クラウド。5年前……」
「……ううん」
「やっぱりやめる。聞くのが……怖い」

FF10のティーダはむしろジタンと対照的な主人公と言える。彼は序盤からラストまで作品世界におけるニューカマーであり、まれびとであり、仲間の随行者である。周りを鼓舞するモチベーターではあるがアーロンやユウナのような旅の原動力たるリーダーではない。必然的に、ティーダは青臭い側面が色濃く描かれ、そのほかのパーティーメンバーは成熟した面が目立つ。

こうした中でジダンの冷静さ、仲間へのケアを怠らない細やかさ、「誰かを助けるのに理由がいるかい?」というセリフに代表されるような利他的な姿勢は、ビビやダガーの冒険を支える庇護者としての役割をジタンに与え、結果として彼は主人公であり、水先案内人であり、リーダーでもあるという万能性を纏っている。

転換点と成長

しかしながら、中盤まで物語を率いてきたジタンは、とあるダンジョンで自分の出生の秘密を知り、ショックを受け、自暴自棄になり、仲間たちのもとから去ろうとする。

ビビ「無茶だよ!ジタン」
ジタン「ごちゃごちゃうるせえ...ガキどもだな...」
ジタン「ガキにはわからねえ……オトナの世界ってもんがあんだよ……」

このシーンはジタンの人物像をよく描写している。極端に言えばジタンにとってビビやエーコは庇護すべき子供であり、ジタンの対等な仲間ではない。ジタンが彼ら世話を焼くのは良いが、彼らがジタンの個人的な問題を助けるのは我慢ならないのである。これは彼がこれまで付与されていた万能性の裏返しの「他者に頼ることのできない」弱さであり、これまで彼を信じてついてきていたビビやエーコ、ひいてはプレイヤーに驚きを与えると同時に、ジタンという人物を立体的に描写している。直後のサラマンダーのセリフはその点を明確に言い当てている。

サラマンダー「人にはおせっかいやいといててめえは自分だけで全て解決か?」

結局JRPGのお約束に従い、仲間の助けでジタンは自分を取り戻し、照れくさそうに周りに感謝の言葉を述べる。ここに「兄貴分」としてのエゴを乗り越えたジタンの成長が描かれるのだ。

このイベントで明かされるジタンの出生の秘密というのは、正直ありきたりなもので特筆するに値しないが、このシーンでのジタンの描写は今までの兄貴分としてのキャラクターの裏面とその克服とを描いた、リアリティ溢れている。

おわりに

他にもダガーの成長やビビの「命」に対する答えなど、FF9のキャラクター描写は他シリーズ作品と比較しても白眉である。また、キャラクターだけではなく『Melodies of Life』や『いつか帰るところ』をはじめとする音楽も素晴らしい。グラフィックもPS1時代の最後に発売されたこともあってハードの性能を限界まで引き出している。

近年の話をすると、2010年代の後半は日本ゲームのルネッサンスと言っても良い時代だった。ゼルダとSEKIROがTGAGotYを受賞し、他にもニーア、ペルソナ5、Bloodborne、マリオオデッセイなどが高い評価を受けた。一方でFFはというとシリーズとして明らかにピークアウトしている。あまりネガティブな事は書きたくないのでFF15について言及するのは控えたいがこれは企業としてのスクエニが抱える問題に他ならないだろう。90年代にスクエアのゲームで育った身としては寂しい限りだ。

FF7リメイクは楽しみだが、スクエニは是非往年のFF9 のように丁寧な人物描写を基底に置いた、骨太の新作RPGを作って欲しいと思う。

引用した画像、セリフの出典は以下の通り
1997, スクウェア, "ファイナルファンタジーⅦ"
2000, スクウェア, "ファイナルファンタジーⅨ"



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