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祖父との思い出 番外編


亡くなる2日前のこと、私は妻と娘を連れ立って、祖父に会いに行きました。

近々、危ないかもしれない・・

そう聞いていながら、会うのが怖い気がしてなかなか足を運べなかったのですが、妻から背を押されたこともあって、祖父のいる高齢者施設へと向かったのでした。

やせ細った祖父はベッドで横たわっていました。
私たち家族が部屋に入ると、少し笑顔を向けてくれました。

その頃は認知症も進んでおり、息子である父のこともあやふやになっていたぐらいなので、私たちが何者なのかは認識できていなかっただろうと思います。
それでも、残された最後の体力を使って、笑顔を向けてくれたのでした。

滞在時間は、30分程度だったでしょうか。
その間、ほとんどは祖母が私たちの話し相手となってくれていました。
祖父は、ただただ横たわったまま、時折こちらに笑顔を向けるだけでした。

私たちが帰り支度を終えて、
祖父に「また来るね」と挨拶をしたとき、
祖父は手を私のほうに向けてくれたのでした。

それは、本当に大変なことだったのだろうと思います。
ほんの少し体をズラすことすら、ままならない状態だったのですから。

私は・・・
その手を握ることができませんでした。

この手を握ってしまっては、もう二度と会えない気がして・・
ただ、立ち尽くすことしかできませんでした。

上げてくれた手は、祖母の誘導によって、娘が握り返してくれました。

・・・・

手を握り返せなかったことへの後悔は、今も心の滓となっています。


祖父にとって私は、ふがいない孫だったろうと思います。
軍隊経験のある祖父にとって、泣き虫で、自己の主張もままならず、肝心な時に動けない私は、ふがいない孫だったと思います。

湾岸戦争勃発の際、中学生だった私が戦争に取られてしまうのではないかと、本気で心配してくれた祖父でした。

トリックワイングラスを手渡してくれた手
最期の力を振り絞って差し出してくれた手

祖父の手は、私にとって人生をかけて乗り越えるべき大きな壁となってしまいました。

いつの日か、私も祖父と同じ場所に行けた時・・
その日にこそ、しっかりと握りしめて、成長の証を届けたいなと思います。

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思いがけず書いたこの祖父の思い出ですが、このような形で残せたのはとてもよかったなと思います。

折に触れて見返して、その時々に訪れる感情と向き合いたいなと思います。



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