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愛の範囲

善悪は実在しないから、他人の不幸は見ず、自分の幸福だけ見ればいい。でも、愛する人とは一緒に幸福になりたいから、愛する人が苦しんでいたら助けたい。

これが本能レベルの愛の現実。善悪なんかない現代の相対論的世界観では、その人が愛する人の笑顔が見たいから助けるっていうのが、行動規範になるだろう。愛する人がたくさんいれば、助けたい人もたくさんいるだろうし、一人もいないなら、誰も助けないだろうし。またそこには、親密度による優先順位も存在するだろう。

だから愛される人になるには、相手にとって有益な人になるしかない。これが本能的には厳しい現実だと思う。

しかし、倫理では、一見自分に関係のないような人でも、人間は一人では生きられず、関係し合っているから、他人の幸不幸は周りめぐって自分にも影響がある。だから、親密でない人にも愛を示しましょう、というものだ。だから倫理とは、理性によって事実を喚起することなのである。

もう一度記す。倫理とは、本能的欲求にプラスして、理性による事実喚起をして拡張したもののことである。

倫理 = 本能的欲求 + 理性による事実喚起

とはいえ、こういう本能的な愛情さえ、薄れてきてしまっている現代社会。愛も信頼もすべて否定して、完全に自分の幸せしか見ない人たち(自己中心)も増えている気がするし、それは哲学的というより病的だと思う。


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