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アーサー王伝説

◆ケルト人の歴史

前2500-前2000年 ビーカー人ストーンヘンジを建てる。

アーサー王伝説では、巨人がアフリカからアイルランドに運んだ巨石を、アーサー王が魔術師マーリンの力によってアイルランドからブリテン島に運んで来て、ストーンヘンジを建てたとされている。しかし、ストーンヘンジが建てられたのはケルト人が入植する前の先史時代で、近年の研究では、巨石はストーンヘンジから北に約25キロメートル離れたマールバラに近い場所だと判明した。

前1200~   ヨーロッパ中部にケルト民族(ガリア人…ローマ人による呼称)が出現する。

前600年頃 ゲール人(アイルランドのケルト人)がブリテン島に北方から入植する。

ケルト神話には『来寇神神話』が存在する。そこでは最初の入植者は(イベリアから)アイルランド島(エリン)の最南端から上陸したという。ケスィル族、パーホロン族、ネヴェド族、フィル・ボルグ族、トゥアハ・デ・ダナン族(ダーナ族)、ミレシア族(ミレー族)と六回の入植者があり、数多くの抗争を経たのち、ミレシア人が現在のアイルランド人だという。これに基づくならば、彼らがゲール人であり、ブリテン島に北方から入植したということになる。

ケルト人の宗教はドイルド教である。ドルイド(「多くの知恵」=賢者の意味)は祭司で、ケルトの社会は祭司・騎士・民衆の三階級の構造をしており、ドルイドは最高権力を握った。
ケルト人は夏と冬の境目にサウィン祭(現在の暦で10/31-11/1に相当すると設定された)を行ったが、これがキリスト教化されたものが現在のハロウィンである。夏の収穫を祝い、余剰分の家畜を供儀にして共食し、異界から死者の霊が帰って来るためかがり火を焚いて占いをした。
ケルト人は霊魂不滅・輪廻転生を信じており、樹木に寄生して冬の間にも葉を茂らせるヤドリギを神聖視していた。ケルト文様はシンメトリックで一本の紐で構成される網目(ケルティック・ノット)や渦巻によって装飾されており、これも始まりも終わりもない循環する宇宙観を象徴しているとされる。
ローマ人は『ガリア戦記』(ユリウス・カエサル著、前52-21頃)にて、ケルト(ガリア)のドルイド教では、小枝を編んで作った動物を象った籠に人間を入れて燃やし生贄にささげた(ウィッカーマン)と記されているが、その真偽は不明である。
彼らは4世紀にオガム文字が開発されるまでは文字を残さなかったので、その実態は不明な部分が多い。
ドイルド僧の賢者のイメージはアーサー王伝説の中の魔術師マーリンとして結実し、現代の魔法使いのイメージ(例えば指輪物語のガンダルフなど)として伝わっている。

前58-前51年 共和政ローマのガイウス・ユリウス・カエサル(前100-前44)のガリア遠征。ガリア一帯とブリテン島をローマの属州とする。

前55年   ガイウス・ユリウス・カエサル率いるローマ軍がブリテン島を征服する。ブリテン島の大部分はローマの属州となり、「ブリタニア」と呼ばれるようになる。

122年   ピクト人スコット人(ブリテン島北部のケルト人)の侵入を防ぐため、ハドリアヌスの長城が建設される。

142-44年  ピクト人やスコット人の侵入を防ぐため、アントニヌスの長城が建設される。

175年    ローマのマルクス・アウレリウス帝はサルマティア人(黒海北岸のイラン系遊牧民)を徴用し、その初代傭兵隊長はローマ人のアルトリウスであった。

2-4世紀  ブリタニアを守護するローマの傭兵隊長はサマルティア人が代々継ぎ、初代傭兵隊長のアルトリウスの名から取って、代々”アーサー”と呼ばれたのかも知れない。彼らは北方のピクト人の侵入からブリタニアを守護した。

4世紀   ケルト人がオガム文字(ラテン文字をもとに作られた直線と斜線を組み合わせた文字)を使用しはじめる。

410年    ブリテン島からローマ軍は撤退する(ホノリウス帝の令)。こうして、アイルランド、ウェールズ、スコットランドはローマの支配を免れる。しかし、ローマ軍撤退後もサマルティア人がブリテン島を守護しつづける慣習は残ったと思われる。そのため、その後も歴代の”アーサー”は存在したのかも知れない。

432年   聖パトリック(387-461、ウェールズ)が最初にケルト人にキリスト教を布教する。彼はケルト宗教とキリスト教を融和的に布教した。例えば、ケルト文様で装飾された美しい聖書写本や、十字架とケルト文様と円形を融合させたケルト十字など。これらはケルト系キリスト教と呼ばれる。

450年頃  ブリテン島にサクソン人(北ドイツのゲルマン人)が侵略をはじめる。サクソン人は小王国を築いて互いに覇権を争った。この時代に強い勢力を誇った七王国ヘプターキー)は、ノーサンブリア王国、マーシア王国、イースト・アングリア王国、エセックス王国、ウェセックス王国、ケント王国、サセックス王国である。この時代は、825年にウェセックス王国のエグバート王がイングランドを統一するまでつづいた。

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460-70年頃 伝説上のアーサーが誕生したとされる。コーンウォールのティンタジェル城でウーサー・ベンドラゴン王とイグレーヌの間に生まれる。産まれてすぐ魔術師マーリンに里子に出され、エクター卿に育てられる。

480年頃  父ウーサー王が亡くなる。アーサーは岩に刺さった剣を抜いて王として即位する。アーサー王はブリタニアを統一し、グィネヴィアと結婚する。

516-518年 ベイドン山の戦い…アーサーがサクソン人に勝利した戦いとされる。

537年   カムランの戦い…アーサーとその甥モードレッドの戦い。アーサーの死。
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563年   聖コルンバ(521-597、アイルランド)がアイルランドから亡命し、スコットランドのアイオナ島にアイオナ修道院を建設する。彼らはここを拠点にスコットランドやイングランド北部の異教徒をケルト系キリスト教に改宗させていった。

596年  ローマ・カトリックの教皇グレゴリウス1世は、イングランド布教のためにカンタベリーのアウグスティヌス(生年不明‐604/605)を派遣する。567年にカンタベリー大聖堂を創建し、ここを布教の根拠地としてイングランド人をカトリックのキリスト教に改宗させていった。

635年   ノーサンブリア王国のオズワルド王の聖エイダンはリンディスファーン修道院を創建する。ケルト系キリスト教をイングランド北部に広める。

664年   ウィットビー教会会議。イングランドで開かれた宗教会議。ローマ・カトリックとケルト系キリスト教の対立をおさめ、ローマ・カトリックの優位性が示された。こうして、ケルト系キリスト教の権威は衰退してゆく。

800年頃    アイオナ修道院で『ケルズの書』、リンデスファーン修道院で『リンデスファーンの福音書』、ダロウ修道院で『ダロウの書』が作成される。これらの新約聖書の装飾写本は美しいケルト文様で作られており、三大ケルト装飾写本とみなされている。

825年   ウェセックス王国のエグバート王(769-839)は七王国を統一し、初代イングランド国王となる。しかし、イングランドはその後、デーン人(北方ヴァイキングのノルマン人)による侵入に支配され、苦しむことになる…。

↑番号は入植した順番を表している


◆アーサー王伝説の系譜

アーサー王は、5世紀後半~6世紀前半に実在したと信じられている伝説上の英雄。ブリテン人の王で、ブリタニアに進撃するサクソン人を撃退した英雄。

かつて大陸から侵入したサクソン人(北ドイツのゲルマン人)と戦って敗戦を余儀なくされた先住民族ブリトン人(ブリタニアにいたケルト人)の中に、ひとり強い武将がいた。敗走を強いられる中で、ベイドン山の戦いにて一時的にもブリトン人に勝利をもたらしたこの人物が伝説化されたと考えられる。
近年では、彼はローマ帝国支配の頃から代々ブリテン島を守護していたサルマティア人の戦闘隊長(初代隊長アルトリウスの名から取って代々”アーサー”という称号で呼ばれた)だったという学説が有力視されている。
そして、アーサーは死なない。再びブリトン人に危急存亡の時が来れば、眠れるアーサーは蘇って民族のために戦ってくれるというケルト人の希望と信仰が口伝えで広まった。これは一種のメシア思想でもあるだろう。
最初にモデルとなった戦闘隊長アーサーはベイドン山の戦いで勝利をおさめた人物だったと考えられるが、これに複数の戦闘隊長アーサーや他の英雄的な人物像のストーリーが組み込まれ、さらにそれとは起源を異にするナルト叙事詩(黒海北岸のスキタイ人の神話)、ケルト神話、ウェールズ神話、北欧神話(ゲルマン神話)、キリスト教的伝承、二次創作なども次第に組み込まれていったと考えられる。

550年『ブリトン人の没落ギルダス(516-570)著…断片。アーサーがサクソン人と戦った「ベイドン山の戦い」について言及するものの、アーサーの名は書かれていない。勝利をもたらした指導者の名は「アンブロシウス・アウレリヌス」と書かれている。

830年『ブリトン人の歴史ネンニウス著…アーサー(ケルト語で「熊の男」の意味か)の戦歴に関する最初にして唯一の歴史的な記述。アーサーは王ではなく、戦闘隊長の地位だった。アーサーは12の戦いでことごとく勝利した。アーサーは聖母マリアを信仰するキリスト教徒だったため、異教徒は追い払われ、12番目の戦闘はベイドン山であり、アーサーは一度の戦いで960人も倒した。

960年頃『カンブリア年代記』…ウェールズ(カンブリアはウェールズに対するローマ人の呼称)の歴史年表。アーサーに関する二つの項目。516-18年、ベイドン山の戦い、そこではアーサーが三日三晩主イエス・キリストの十字架を両肩で運んだ。そしてブリトン人が勝利を収めた。537年、カムランの戦い。そこではアーサーとメドラウト(のちのアーサーの甥のモードレッドのこと)の二人が倒れ、多数の死者がブリテン側とアイルランド側に出た。のちのアーサー物語ではアーサーとモードレッドは相打ちするが、ここでは「アーサーとメドラウトが倒れた」と書かれているのみ。

1095年 ローマ教皇ウルバヌス2世、クレルモン宗教会議で十字軍を呼びかける。

1136年頃『ブリタニア列王史ジェフリー・オブ・モンマス(1100-1155年頃)著…アーサー王の生涯。本書の三分一がアーサー王の事績について詳しく書かれている。彼は本の献辞の部分で、原典(典拠作品)はオックスフォードの大助祭ウォルターからもらったと言明している。現存する写本は200本ほど存在する。ジェフリーがこれを書いたのは、まだ成立まもないノルマン王朝に対して、『ブリタニア列王史』を献じることで、彼らがアーサー王の末裔に繋がることを示すためだったと考えられる。
内容は、父親が不義密通を犯してアーサーが生まれたこと。魔術師マーリンの魔術で、アーサーは変装・変身し、不義密通を完遂させたこと。アーサーが岩に刺さった聖剣エクスカリバーを抜いて王に即位したこと。グィネヴィアと結婚し、騎士たちとブリテン諸国を制覇したこと。ローマ帝国からの朝貢の要求への抵抗として、アーサー王はローマに遠征する。遠征中に甥のモードレッドが王位簒奪を狙って王妃グィネヴィアを自分のものにしようとする。アーサーはモードレッドとの最期の戦いで瀕死の重傷を負い、妖精の国アヴァロン島へと運ばれる。
※アーサー王と甥モードレッドの対立の悲劇性はウェールズの伝承には存在しない(ジェフリーの情報操作か?)。また、この書物には騎士ランスロットとグィネヴィアとの恋愛とアーサー王の三角関係は描かれていない。

マーリンの生涯』もジェフリー・マンモスが書いた書物。ブリタニア列王史より以前に書かれ、魔術師マーリンについて書かれている。

1155年 『ブリュ物語ウァース(1115-1183)著…ジェフリーの『ブリタニア列王史』をフランス語で翻案した。原典に忠実ではなく、フランス人好みのロマンスが随所に追加されている。プランタジネット王朝の創始者のイングランド王ヘンリー2世(1154-1189)は、自らをアーサー王の正統な継承者と主張するため、ウァースに翻訳させたのではないか、と考えられる。ウァースは、ケルトの伝承に由来する「円卓の騎士」の概念をアーサー王伝説に初めて導入した。

ヘンリー2世の王妃エレアノールが芸術家のパトロンとなったことで、王妃に多くの作品が献上された。武勲詩において、アーサー王伝説に関連する作品群を「ブルターニュもの」、シャルルマーニュ王(カール大帝)に関連する作品群を「フランスもの」、古典に由来する作品群を「ローマもの」と分類される。騎士階級を頂点とする中世ヨーロッパの封建社会において、騎士道ロマンスが生まれたのは自然である。

1165-89年『レー(Lais)』女性詩人マリー・ド・フランス…邦訳『十二の恋の物語』(岩波文庫)。ブレトン・レーと呼ばれる12篇の短詩集。ブルターニュに伝わる恋と冒険の物語を歌う。アーサー王の(円卓の)騎士『ランヴァル』や、トリスタン伝説のエピソードを扱った『すいかずら』(トリスタンとイゾルデ物語の一片)などが含まれる。

ヘンリー2世治世前半、ウェールズ人がしばしば蜂起した。治世後半、ブルターニュ半島のブレトン人(ブルターニュ半島のケルト人)が立ち上がる。ウェールズ人、ブレトン人ともにケルト人の一派であり、アーサー王のメシア信仰に鼓舞され、ヘンリー王と対立した。この熱狂を鎮圧するために、ヘンリーに忠誠を誓うとアーサーが認めたラテン語書簡が偽造された。

1170-1190年 クレティアン・ド・トロワ(フランス)…『エレックとエニード』『クリジェス』『イヴァン(ユーウェイン)または獅子の騎士』『ランスロ(ランスロット)または荷車の騎士』『ペルスヴァル(パーシヴァル)または聖杯の物語』を書く。

1175年 『トリスタンブリテンのトマ…現存するトリスタン伝説の最古のもの。全体の六分の一しか残っておらず、大半は物語の後半部である。

1191年 グラストンベリーでアーサー王の墓が発見される。
グラストンベリーの沼沢地にて、アーサー王の墓が発見される。近くの丘(グラストンベリー・トア)はアヴァロン島と同定された。

グラストンベリー修道院は英国最古の修道院として知られている。アーサー王の墓が祀られている。1539年にヘンリー八世によって解体が命じられた。

グラストンベリー・トアは、グラストンベリー近郊にある丘。頂上に聖ミカエル教会が建っている。かつては一帯が湖や湿地帯に囲まれており、この丘は島のように浮かんでいた。5世紀頃の品も発掘されており、ケルト文化との関わりも深い。

チャリス・ウェル(聖杯泉)には水が湧き出る井戸がある。聖杯伝説では、イエス・キリストの遺体を埋葬したアリマタヤのヨセフが、キリストが最後の晩餐で使った聖杯、かつキリストの身体から滴り落ちる血を受けた聖杯をこの地に運び、この場所に埋めたところ、そこから泉が湧き上がったとされる。キリストの血を連想させる鉄分を多く含んだ湧き水は「赤い水」と言われている。

聖杯(Holy Grail)の起源として考えられるのは、ケルト神話の来寇神神話に登場するトゥアハ・デ・ダナンの一族である大神ダグザ(「良き神」の意)の持つ大釜である。ウェールズ神話を集成した『マビノギオン』では、魔術を用いるドルイド僧の大釜は「再生の大釜」とされ、無限に食べ物やお金が湧き出て、死者を投入すると死者を復活させる力を与えたとされる。クレティアン・ド・トロワは『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』の中で聖杯伝説をアーサー王伝説に組み込んだ。しかし、ここではグラール(graal)を聖杯として描かれていない。そもそもgraalという語には「聖杯」という意味はなく、「宴会用の大きな深皿」の意味である。次いで、ロベール・ド・ボロン『アリマタヤのヨセフ(聖杯由来の物語)』の中でアリマタヤのヨセフの伝説と結び合わせてキリスト教化した。この時、はじめて聖杯を意味するようになったのである。その後、トマス・マロリーは『アーサー王の死』の中で、本来パーシヴァルの聖杯探索をガラハッド中心の物語に変更した。

グラストンベリーの沼沢地がアーサー王の墓として選ばれた理由として考えられるのは、①この地が聖杯伝説の地だったから、②グラストンベリーは瀕死のアーサーが運ばれてきたアヴァロンだという伝説もあったから、③1184年に火災によって損傷したグラストンベリー修道院が、再建のための財源を確保したかったから(巡礼者の喜捨・寄進は再建のための収入源となった)、と考えられる。


↑グラストンベリー修道院(アーサー王の墓)


↑グラストンベリー・トア(アヴァロンの丘)


↑チャリス・ウェルの井戸(聖杯が埋められた地)


13世紀にはアーサー王伝説はヨーロッパ全体に広がった。十字軍が遠征時に話を広めた、ブレトン人の商人たちが広めた、とも言われる。また、この頃には、本来の主人公であるアーサー王ではなく、円卓の騎士たちを主人公とする作品が数多く書かれた。宮廷の貴婦人たちは騎士道ロマンス文学を愉しんだ。それらは『ランスロ=聖杯サイクル(流布本サイクル)』や『後期流布本サイクル』によってまとめられ、さらに15世紀にトマス・マロニーの『アーサー王の死』によって集大成として一つの壮大な物語としてまとめられた。

1200年頃 ラヤモン(1188-1207頃)の『ブルート(英国史)』。…『ブリュ物語』を参考に英語に翻案したもの。ウァースの円卓は1600人が座れる規模のものに拡大された。

1200年 ハルトマン・フォン・アウエ(1160-1210、ドイツ)…騎士。『エーレク(エレック)』『イーヴェイン(ユーウェイン)』を書く。

1200年頃 『アリマタヤのヨセフ(聖杯由来の物語)』『メルラン(魔術師マーリン)ロベール・ド・ボロン(1150-1200頃、フランス)…聖杯伝説にキリスト教的側面を明確に与えた最初の著者。アリマタヤのヨセフは十字架にかかるキリストから滴り落ちる血を聖杯(最後の晩餐に使った杯)で受けた。ヨセフの一族が聖杯を西方のアヴァロンの谷(グラストンベリー・トアの谷にグラストンベリー修道院を建てた)に持ち込み、彼らはそこでアーサーが生まれ、パーシヴァルが来るまで聖杯を守っていたという。

1200-10年 『パルチヴァールヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160/80-1220、ドイツ)。…パーシヴァルの物語。その物語の中に登場するのが、パーシヴァルの息子である「エルザとローエングリン(白鳥の騎士)」の物語。この作品は、ワーグナーがオペラ『ローエングリン』(1850年初演)のモチーフとした。今日でも『婚礼の合唱』(結婚行進曲)は独立して演奏されることも多い。

1210年 『トリスタン』(未完)ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク(1170-1215、ドイツ)。

1220-30年 『ランスロ=聖杯サイクル』(Lancelot-Grail)または『流布本サイクル』(Vulgate Cycle)…作者不詳。フランスでは散文ロマンス(宮廷本である韻文のラテン語ではなく、世俗本である散文のロマンス語で書かれた物語)が流行した。散文ロマンスはインターレースという手法で書かれている。インターレースでは、物語Aと物語Bが交互に絡み合いながら進行してゆく。
内容は五つの作品に別れる。「聖杯の由来」「メルラン物語(マーリン物語)」「ランスロ本伝(ランスロット本伝)」「聖杯の探索」「アルテュの死(アーサー王の死)」。

1230-40年 『散文のトリスタン』リュース・ド・ガ(1230-1235)、エリ・ド・ボロン(1240年以降)…その中でケルト神話である「トリスタンとイゾルデ(イズー)」の物語をアーサー王物語に初めて組み込んだ作品。

1230-40年 『後期流布本サイクル』…作者不詳。『後期流布本サイクル』は『ランスロ=聖杯サイクル』を再編集したものである。その際、『散文のトリスタン』の登場人物や場面も組み込まれた。

1350年、1382-1410年 『マビノギオン』…中世のウェールズ語写本から収集した物語を収録。ウェールズ神話を伝えるマビノギ四枝や、騎士道やロマンスに着色される以前のアーサー王伝説が含まれる。1350年に白本、1382-1410年に赤本が存在する。アーサー王伝説に属するのは、「キルッフとオルウェン」「ロナブイの夢」「ウリエンの息子オウァイン(ユーウェイン)の物語」「エヴラウクの息子ペレドゥル(パーシヴァル)の物語」「エルビンの息子ゲライント(エレック)の物語」の五作品である。

14世紀末『サー・ガウェインと緑の騎士』(作者不詳)…円卓の騎士ガウェインを美化した物語。全身が緑色の緑に騎士にもちかけられた首切りゲーム。ガウェインは緑の騎士の首を切り落とす。その首を足蹴りして遊ぶ騎士たちはフットボールの起源とも言われる。

1470年『アーサー王の死トマス・マロリー(1399-1471)…1470年に書いた版の写本は1934年に発見された(ウィンチェスター版)。1485年にイギリス最初の印刷業者ウィリアム・キャクストンによって大幅に編集かつ印刷される(キャクストン版)。各地に散らばるアーサー王伝説を集大成した作品。政治活動家だったためか、犯罪歴の多いトマス・マロリーは、牢獄の中で『アーサー王の死』を書いた。彼の作品は、それ以後のアーサー王伝説の源流となる。
彼は編集する際、散逸する物語をまとめ、さらにインターレースの手法で書かれた複雑な散文ロマンス物語を丁寧に並べ替える作業を行った。そして、三角関係(eternal triangle)からの大団円(Great Circle)へと至る構成、偶然性からはじまる戦争という構成など、ロマンス文学への大きな貢献をした。また、彼の作品では、正義なるガウェインの地位が貶められ、不正なるランスロットが贔屓される構成になっている。
彼の作品には、キャクストン版写本(1470年)、ロバート・サウジー版製本(1817年)、ウィンチェスター版写本(1934年発見)がある。このうち最も原典に近いのはウィンチェスター版とされる。

1485年、リチャード3世を破りヨーク家(白薔薇)のエリザベスと政略結婚してテューダー朝を創始したヘンリー7世は、ウィンチェスターで誕生した王子をアーサーと名付けた。未来のアーサー王だったはずの王子は脆弱で、強国アラゴンからキャサリンを妃に迎えながら、夭逝した。次男のヘンリーはヘンリー8世として即位、キャサリンとの離婚問題からカトリックを離れて英国国教会を創設し、英国の歴史に多くの足跡を残した。

時代は中世から近世(ルネサンス)への移行期であり、封建制の衰退や火薬が登場して騎士道は終焉しつつあった。合理性を重んじるルネサンスでは、魔術・妖精が登場したり、姦通や近親相姦が描かれる騎士道ロマンスは軽蔑されるようになった。

1570年 『学校教師』ロジャー・アスカム(エリザベス女王の家庭教師)は、『アーサー王と死』について、この本の意図はあからさまな殺戮と猥雑な文章にしかないと批判した。

1590-1596年 『妖精の女王エドマンド・スペンサー(1552-1599、イギリス)…エリザベス1世に捧げられた長詩。妖精の女王に助けを求めに来る乙女ウーナ。彼女の母親(王妃)は悪い竜につかまってしまった。王妃を救出すべく赤十字の騎士ジョージが選ばれる。ジョージは魔女や巨人と戦うが、アーサー王子に助けられる。幾度の困難に打ち勝ち、高潔な徳を身に着けたジョージは悪竜と対決する。ジョージは何度も倒されそうになるが、乙女ウーナの信仰の祈りに助けられ、みごと悪竜を退治する。解放されたウーナの祖国では盛大な祝いが催され、騎士ジョージはウーナ姫と結婚する。
※のちにスーパーマリオやドラゴンクエストのモデルとなっている。

1605年『ドン・キホーテミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616、スペイン)…騎士道物語を読み過ぎて気が狂ったドン・キホーテを描いた。騎士道へのアイロニーで溢れている。

詩人ジョン・ミルトン(1587-1674)は、建国叙事詩をアーサー王伝説で書こうと考えたが、調べれば調べるほどアーサー王の実在性に疑問を抱き、旧約聖書を題材にした『失楽園』(1667)を書く。ミルトンは『ブリテンの歴史』(1670)の中で、数十ページを費やしてアーサー王の実在性を否定している。こうしてアーサー王物語は徐々に読まれなくなっていく。

1817年 『アーサー王の死ロバート・サウジー版(1774-1843)が出版された。ロバート・サウジーは刊行が途絶えていたトマス・マロリー『アーサー王の死』を編集・出版する。これを機に中世のテクストの再発見が行われ、「アーサー王復興」と呼ばれる文化現象が起こる。

1823年 トマス・マロリー『アーサー王の死』を限定1500部でオーブリー・ビアズリー(1872-1898)の挿絵付き(全2冊)で刊行したもの。

1833年 『シャロットの姫アルフレッド・テニスン(1809-1892)。シャロット姫はランスロットに一目ぼれしたアストラットのエレインである。画家のウォーターハウス(1849-1917)はシャロット姫の絵画を三枚描いた(1888年、1894年、1915年)。

1837-1901年 ヴィクトリア朝。イギリスのヴィクトリア女王(1819-1901)が統治していた時代。この時代、ラファエル前派という芸術運動が興隆する。主要メンバーはジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)である。彼らは、ラファエロ(ルネサンス時代の巨匠)より以前の中世の伝説や文学を拠り所とした。アーサー王伝説をモチーフとする絵画も多く描かれた。

1859-1864 『国王牧歌アルフレッド・テニスン(1809-1892)…アーサー王伝説をモチーフにした12の物語詩。1章「アーサー王の誕生」2章「ガレスとリネット」3章「ゲライント(エリック)の結婚」4章「ゲライントとエニート(エリックとエニード)」5章「ベイリンとベイラン」6章「マーリンとヴィヴィアン」7章「ランスロットとエレイン」8章「聖杯探索」9章「ペレアスとエタール」10章「最後のトーナメント」11章「グィネヴィア」12章「アーサーの死」

1850年 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)のオペラ『ローエングリン』が初公演される。『パルチヴァール』(パーシヴァルの物語)の中の「エルザとローエングリン(白鳥の騎士)」をモチーフにしている。今日でも『婚礼の合唱』(結婚行進曲)は独立して演奏されることも多い。

1865年 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の楽劇『トリスタンとイゾルデ』が初公演される。ワーグナーはこの曲で楽劇というジャンルを確立した。哲学者ニーチェはこの曲を通してワーグナーの熱狂的なファンになった。

1882年 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の楽劇『パルジファル』が初公演される。円卓の騎士パーシヴァルの物語。

1924年 ケンプ・マローン(1889-1971)は、アーサー王のモデルはローマ帝国の軍人ルキウス・アルトリウス・カストゥス(2世紀後半~3世紀前半)であるという学説を発表。彼はローマから派遣されて、現代のスコットランドとイングランドの国境に相当するハドリアヌス長城で北方のピクト人と戦った。彼と同定されるのは、ネンニウスの『ブリトン人の歴史』では、アーサーは王ではなく傭兵隊長だったと記されているからである。しかし、アーサーは5、6世紀に活躍したとされるため時代がだいぶずれ込む。
アーサー=アルトリウス説を採用した映画に『キング・アーサー』(2004年)がある。また、PCゲームのFateシリーズの主人公もアルトリア(女性形)・ペンドラゴンとしている。

1934年 ウィンチェスター版(写本)の発見。キャクストンによって編集される以前のトマス・マロリーの『アーサー王の死』の写本が発見される。より原典に近いとされる。

1993年 『アーサー王伝説の起源―スキタイからキャメロットへC.スコット・リトルトン(1933-2010)…アーサー王伝説は黒海北岸のスキタイ起源であるとの学説。175年にローマのマルクス・アウレリウス帝はサルマティア人(黒海北岸のイラン系遊牧民)を徴用し、その初代傭兵隊長はローマ人のアルトリウスであった。イギリスのリブチェスターにはローマの砦があり、2~4世紀にかけてサルマティア人の傭兵部隊が駐屯していた。この部隊長は代々サルマティア人が務めることとなり、初代隊長のアルトリウスの名をとって”アーサー”と称するようになり、その慣習がローマ帝国がブリテン島から撤退した後も続いたのではないか。彼らは北方のピクト人の侵入からブリタニアを守護した。その後、サクソン人の侵入が相次いだ6世紀に、ケルト人と共にサクソン人と戦ってブリテン島に一時的な勝利をもたらしたアーサー(サルマティア人の隊長)が伝説となった。さらに、エクスカリバー、円卓、聖杯の話などもサルマティアの神話(ナルト叙事詩)からの借用だと説く。
映画『キング・アーサー』(2004年)はこの学説を採用して描かれている。

◆アーサー王物語のあらすじ

紀元前55年、 ローマ軍がブリテン島を征服する。
その後、410年にローマはブリテン島から撤退し、幾つものケルト人(ブリトン人)の国家が生まれた。

魔術師マーリンは人間を父とせず、インキュバス(夢魔)と人間の女性のあいだに生まれた。
母親はマーリンが生まれるとすぐに僧侶のもとで洗礼を受けさせ、悪魔に支配される運命から救った。

その頃、ブリテン島を治めていたのはコンスタンス王であった。
彼には、モインズユーサー(後のユーサー・ペンドラゴン)、アンブロシウス(ペンドラゴン)の三人の息子がいた。
長男モインズは王位を継承した。
しかし、モインズ王は家老ヴォーティガンの裏切りのために、サクソン人に征服されてしまう。
モインズ王の評判は失墜し、ヴォーティガンの陰謀により家臣により殺害される。
正統な王位継承者であるユーサーとアンブロシウスも追放された。
こうして、ヴォーティガンがブリテンの王位を簒奪した。

ヴォーティガン王はユーサーとアンブロシウスの復讐を恐れて、防衛のために強固な砦の塔を築いた。
しかし、これと理由もないのに、砦は何度も崩れてしまう。
星占いをすると、土台の角石を人間の父親なしに生まれた子供の血で浸さなければならないと出た。
ヴォーティガン王はマーリンを見つけ、生贄にしようとした。
しかし、マーリンは砦の塔が崩れ落ちる本当の原因は、塔の地下で二匹の竜が住んでおり、彼らが戦う時に地震が起きるのだと話した。
ヴォーティガンは塔の下を掘らせると、本当に二匹の竜がいた。
一匹は白い竜で、もう一匹は赤い竜だった。
二匹の竜は戦いはじめたが、マーリンは戦いを煽り、赤い竜は敗れ、白い竜は姿を消してしまった。
マーリンは、赤い竜はウェールズ、白い竜はサクソンを表しており、この二匹の竜の戦いはコーンウォールの猪(アーサー王)が白い竜を倒すまで終わらないと予言した。
やがて、ユーサーとアンブロシウスの大軍が攻めてきて、ヴォーティガンは倒される。
こうして、アンブロシウスが王位に就いた。

アンブロシウスは魔術師マーリンを最高の助言者として立てた。
その頃、サクソン人との戦争が起こった。
マーリンはユーサーとアンブロシウスのどちらかが死ななければならないと予言した。
二人は協力してみごとサクソン人を打ち破ったものの、予言どおりアンブロシウスは戦死してしまう。
この時、巨大な炎の竜のように見える彗星が出現した。
マーリンはこの彗星こそがユーサーの息子がサクソン人を打ち破る予兆であると予言する。
こうして、ユーサーが次の王位に就いた。
この時、ユーサーはこの彗星を表す二匹の竜の紋章を作り、自分をペンドラゴンと名乗った。(またはアンブロシウスの別名ペンドラゴンを継承したとも)。
これがのちのアーサー王の父となるユーサー・ペンドラゴンである。

ユーサー(ウーゼル)は、引き続きマーリンを顧問官とし、マーリンの魔法の力でアイルランドから巨石を運ばせ、前王ペンドラゴンの墓を築いた。
これが、今日のストーンヘンジである。

ユーサー王はカーライルの地で、騎士たちを招集して饗宴を設けた。
騎士たちは自分の妻を同伴して饗宴に出席した。
コーンウォール公ゴルロイスも自分の美しい妻イグレインを連れてやってきた。
ユーサー王はイグレインに一目惚れしてしまったが、彼女は誘いを断り、夫に報告した。
ゴルロイス公は報告を聞いて、急いで妻を連れて密かに宮廷から立ち去った。
しかし、ユーサー王はこれを無礼と受け取り、軍隊を進めてゴルロイスのティンタジェル城を包囲した。
ユーサー王は魔術師マーリンに、イグレインと結婚できるよう助力を頼む。
マーリンは「二人の間にできた子は私に預けるように」という条件を付けて、援助を承諾した。
そして、魔法でユーサー王をゴルロイス公の姿に変身させると、ユーサーはイグレインと何度も交わった。
やがてゴルロイスは戦いが殺され、ユーサー王はイグレインを妻に娶った。
この二人から生まれたのが、アーサーである。
約束どおり、アーサーはマーリンに預けられ、エクター卿のもとで育てられた。

アーサーを懐妊する前に、王妃イグレインは正式な夫であるゴルロイス王とのあいだに、モルゴースエレインモーガン・ル・フェイの三人の娘をもうけていた。
モルゴースはオークニー国ロット王に嫁ぎ、ガウェイン(後の円卓の騎士)を産んだ。

その後、マーリンは湖の乙女ヴィヴィアンに恋をした。マーリンはアーサー王に別れを告げると、ヴィヴィアンと共に旅に出た。
マーリンは彼女と交わろうと魅了の魔法を使ったりした。
ヴィヴィアンはこれを恐れ、マーリンを大きな石の下にはまっている岩に連れて行った。
そしてマーリンをその石の下に潜り込ませると、岩をふさいで二度と出られないように封じた。
その後、ヴィヴィアンはペレアス卿と結婚した。

父ユーサー王が死んだ時、アーサーは15歳であった。
アーサーは正統な王位継承者であったが、後継者争いが起きる。
そこでブライス司教はクリスマス前夜に神に祈りを捧げると、カンタベリー大聖堂の入口に不思議な石が現れた。
その石には一本の剣が刺さっており、その柄には次のような言葉が刻まれていた。
「わが名はエクスカリバーカリバーン) 正しき王への宝なり」
こうして名高い騎士たちはこぞってこの剣を抜こうとするが、誰もこれを抜くことができなかった。
ペンテコステの日、毎年ブリテン全土の騎士たちが馬上槍試合を行う。
アーサーはまだ異父兄弟ケイ(エクター卿の実子)の従者の身分だったため、主人のお供をして試合についてきた。
ケイが試合で剣を折ってしまったため、ケイは新しい剣を持ってくるようアーサーに命じた。
アーサーは家に戻るが見つからないため、大聖堂の前に剣が石に刺さっているのを思い出して大聖堂に行く。
そして、アーサーはその剣をいとも簡単に引き抜いて、ケイのもとに持っていった。
ケイはこれが聖剣だと知って王位を得たいと思ったが、怪しむ人々を納得させるために一旦その剣を石に刺し戻した。
しかし、ケイはそれを抜くことができず、アーサーだけが剣を抜くことができることが皆の前で証明された。

こうしてアーサーはイングランド王として即位する。
アーサーはキャメロット城を拠点にして勢力を拡大。しかし、他国の王がこれに反発。
ぺリノア王と戦った際に名剣カリブルヌスが折れて敗れてしまう。
剣を失ったアーサーは、魔術師マーリンに連れられて、とある湖を訪れる。
湖の中から湖の乙女ヴィヴィアンの手が現れ、アーサーはに収まった聖剣エクスカリバーを手に入れる。
なんと、この鞘は受けた傷を回復する魔法の力があるという。

オークニー国のロット王はアーサー王に対抗した。ロット王はアーサーの宮廷に妻のモルゴースをスパイとして送り込んだ。王妃モルゴースが宮廷に訪れるとアーサーは一目惚れしてしまう。しかし、彼女はアーサーの父違いの実の姉(ゴルロイス王の娘)であった。アーサーはそうとは知らず、彼女と一夜を共にする。そして、不義の子モードレッドが生まれる。

アーサーはアングロ=サクソン軍やウェールズ軍と戦い勝利し、ブリタニア全土を統一する。

アーサー王の元には多くの優れた騎士が集う。
アーサーは、レオデグランス王の娘、グィネヴィアに恋をする。
魔術師マーリンの反対を推し切り、二人は結婚する。
この時に、グィネヴィアが持参した大きな円卓がキャメロット城に運ばれる。
アーサーに仕える騎士たちは円卓を囲む。このことから、「円卓の騎士」と呼ばれる。席は十二あり、空席になると新人が迎えられる。十三番目の席は「危険な席」と呼ばれ、呪いがかかっている。

◇アーサー王と主要な円卓の騎士たち
アーサー王…ユーサー・ペンドラゴンとイグレインのあいだの不義の子。

ケイ…アーサーの異父兄弟。アーサーの育ての父エクター卿の実子。
モードレッド…アーサーとモルゴース(実の姉)のあいだの不義の子。アーサーに反逆する。
ランスロット…フランスのベンウィックのバン王の息子。幼少期に湖の乙女ヴィヴィアン(ニミュエ)にさらわれ育てられる。聖杯探索に出る。
ガウェイン…ロット王とモルゴースの長男。ランスロットに弟を殺された復讐を誓う。聖杯探索に出る。
ガレス…ロット王とモルゴースの子。ガウェインの弟。ランスロットに過失で殺される。
ガヘリス…ロット王とモルゴースの子。ガウェインの弟。ランスロットに過失で殺される。
アグラヴェイン
ぺリノア…ノーサンバランドの王。アーサーと一騎打ちをして仲間になる。
ラモラック…ぺリノア王の息子。
パーシヴァル…ぺリノア王の息子。聖杯探索に出る。
ガラハッド…ランスロットとエレインのあいだの不義の子。危険な席に座る。聖杯探索で聖杯に達し天に召される。
ボールス…ボールス王の息子。聖杯探索で聖杯に達する。
ベディヴィア…エクスカリバーを湖に返還した。

ベイリン…「ベイリンとベイラン」
ランヴァル…『ランヴァル』
エレック…ラック王の息子。『エレックとエニード』
クリジェス…『クリジェス』
ユーウェイン…獅子の騎士。『イヴァンまたは獅子の騎士』
ローエングリン…白鳥の騎士。「エルザとローエングリン(白鳥の騎士)」。
トリスタン…コーンウォールのマルク王の騎士。「トリスタンとイゾルデ(イズー)」の物語。

フランスから来たランスロットとアーサーの王妃グィネヴィアは禁断の恋に落ちる。
モードレットはランスロットとグィネヴィアの不貞の現場をおさえて告発する。
ランスロットは逃亡し、グィネヴィアは捕らえられる。
アーサー王はグィネヴィアを火刑を宣告するが、ランスロットが彼女を救出する。
しかし、その時、ガウェインの二人の弟(ガヘリスガレス)を殺めてしまう。二人はランスロットに敵意がないことを示して、武装していなかったのに関わらず。
これにガウェインは怒り、復讐を誓う。
アーサー王はランスロット討伐のため、ガウェインと共に大軍でフランスに渡る。
ランスロットは王妃の命の保証を条件にアーサー王にグィネヴィアを返還し、和解する。

イングランドでモードレッドが反乱を起こす。
アーサー王はすぐに帰国し、カムランの地でモードレットと対峙する(カムランの戦い)。
ガウェインはこの戦いに破れ、ランスロットに謝罪と救援を求めるが時期を逃す。
アーサー王とモードレッドは一騎打ちとなり、相打ちとなる。
モードレットは死亡し、アーサーは深傷を負う。
アーサーは従士ベディヴィアに聖剣エクスリカバーを湖の乙女ヴィヴィアンに返すように託す。
ベディヴィアがエクスカリバーを湖に投げ入れると、手が現れ、剣を受け取り、消える。
アーサー王は、「私はアヴァロン島(妖精の国、りんごの生い茂るという意味)に行って傷を癒さねばならない。いつかこの世が窮地に陥った時に戻って来る」と言い残し、姉のモーガン・ル・フェイや湖の乙女ヴィヴィアンに付き添われ、船に乗って消えて行く。
アーサーの墓碑には、「ここに、過去の王にして未来の王アーサーは眠る」と記されている。
アーサーの死後、王妃グィネヴィアは尼僧となり、ランスロットは世捨て人となる。

◆聖杯探索

聖杯とは、主イエス・キリストが最後の晩餐の際に使用した杯のこと。
アリマタヤのヨセフはローマ兵が十字架上のキリストのわき腹を槍で突き刺した時に、その杯でキリストの血を受け取った。
彼はこのロンギヌスの槍聖杯をヨーロッパに持ち込み、彼の子孫は代々これを守り受け継いできた。

ところで、漁夫王フィッシャーキング)はカーボネック城ぺラム王であるが、ぺラム王はベイリン卿と戦ったが、ベイリン卿が手にしたロンギヌスの槍によって足に重傷を負ってしまう。
しかも、この負傷は自然治癒しない呪いであった。
ぺラム王は激しい苦痛を感じ、彼の王国も荒地と化してしまった。

魔術師マーリンは荒地を回復するために聖杯を探すようにと、ガウェインを通してアーサー王に伝えた。
ペンテコステの前夜、円卓の騎士たちはキャメロット城に集まって食卓についていた。
突然、雷鳴が鳴り、一条の光が差し込んできた。
それから聖杯が中に入ってきて広間を横切ると消えていった。
ガウェインは、自分は十二ヵ月と一日のあいだ聖杯を探しに出かけ、それを見つけ出すまでは決して戻らないつもりだと宣言した。
他の円卓の騎士たちもこれと同じ誓いを立てた。
アーサー王はガウェインともう二度と会えなくなることを悟り、嘆き悲しんだ。

広間に老人が入ってきて、こう言った。
「王よ、私は国王の血をひく若者を連れてまいりました。彼はアリマタヤのヨセフの一族で、ぺラム王の娘エレインの子です」
彼の名はガラハッドといった。

漁夫王ぺラム王)は美しい娘エレインシャーロット姫)がいたが、あまりに美しいので魔女モルガン・ル・フェイの妬みを受け、魔法で古城に幽閉されていた。
そこにランスロットが現れ、エレインを救出する。
エレインはランスロットに求愛するが、ランスロットは王妃グィネヴィア一筋だったので断る。
諦めきれないエレインは、魔法使いに頼んでグィネヴィアに変身し、ランスロットと一夜を共にする。
こうしてエレインは妊娠し、ガラハッドが生まれたのである。
そういうわけで、彼はランスロットの子であるが、母親と共に祖父のぺラム王の城で育てられた。
そして、母親のエレインが年頃になったガラハッドをアーサー王のもとへ送り込んだのである。

アーサー王は彼を「危機の席」(それはキリストを裏切ったユダ・イスカリオテの席であり、呪われた13番目の席)に座らせたが、ガラハッドは何事もなく腰をおろしたため、みな驚いた。

みなに惜しまれつつ見送られながら、円卓の騎士たち―ガラハッド、ガーウェイン、ランスロット、パーシヴァル、ボールス―は各々、聖杯探索の旅に出発する。

◇ランスロットの聖杯探索

ランスロットは何日も森の中を彷徨う。
奇妙な文字が刻まれている石の十字架を見つけ、そのそばに廃墟の礼拝堂がある。
内部を覗くと、絹布で覆われた祭壇があり、その上に銀の燭台があり、六本の蝋燭が立てられていた。
しかし、鉄の柵があって中に入ることができない。
仕方なく、ランスロットはその場で眠り込んでしまった。
すると、白くて美しい二頭の馬が現れ、その馬は病気の騎士を運んでいた。
馬は十字架の前に来ると、燭台と聖杯がひとりでに十字架の前にやってきた。
病気の騎士は神に祈り、聖杯に近づいて口づけすると、彼の病は治癒した。
しかし、それを見ていたランスロットは身動きを取ることができない。
病気から回復した騎士は従者に、
「この騎士はなぜ聖杯が現れたのに眠り続けているのだろう」
と尋ねると、従者は
「きっと重い罪を懺悔していないのでしょう」
と答え、ランスロットの馬に乗って去って行ってしまう。
やがてランスロットは幻から目を覚ますと、天から声が聞こえてくる。
「ランスロットよ、聖杯のある場所から立ち去れ。お前の罪がこの地を汚さないうちに」
(ランスロットはアーサー王の王妃グィネヴィアとの姦通の罪を抱えていた)
この言葉を聞いたランスロットは呻きながらその場を立ち去った。
ランスロットは森の隠者に罪を懺悔し、罪を償うために静かに暮らしたという。

◇パーシヴァルの聖杯探索

パーシヴァルはキャメロン城を出発するが、突然20人もの騎士に襲われる。
パーシヴァルの馬が倒されてしまい、もはやこれまでかというその時、赤い十字の紋章を付けた白い楯を持つ騎士が現れ、パーシヴァルを救出し、20人の敵を追いかけて森の中へ駆けて去っていった。
彼はガラハッドであった。

馬を失ったパーシヴァルは途方に暮れたまま眠っていると、目の前に美しい婦人が立ち、「私が望むときに私の願いをかなえて下さるなら、馬を貸しましょう」と申し出る。
パーシヴァルは喜んで承諾すると、婦人はどこからか漆黒の馬を連れてきた。
パーシヴァルが馬に飛び乗ると、馬は勢いよく走り出し、そのまま川の激流へと突入しようとする。
パーシヴァルは思わず十字架を切ると、馬は彼を振り落とし、いななきながら激流の中へ飛び込んでいった。
この漆黒の馬は魔女が遣わした悪魔だったのである。

朝になると、パーシヴァルはいつの間にか海の近くの荒野にいた。
やがて海の方から一艘の船が向かってきた。
船の上には美しい婦人が乗っており、パーシヴァルに力を貸して欲しいと頼む。
パーシヴァルは頷くと、婦人は彼の武具を外させ、船の中へと誘惑しようとした。
パーシヴァルは剣の柄の先にあるキリスト像に思わず十字架を切ると、婦人は恐ろしい叫び声を上げ、船に乗って逃げ去っていった。
パーシヴァルはまたしても悪魔に誘惑されたのだと悟った。

夜が明けると、パーシヴァルはいつの間にか海岸に立っていた。
そこにボールスとガラハッド、パーシヴァルの妹が現れ、四人は再会する。
四人は喜び合って船に乗って旅をつづけた。
すると船内に銀のテーブルがあり、その上に紅い布に包まれた聖杯が置いてあった。
すると、風が吹き、船はサラス市へと運ばれていった。
サラス市では王が死に、新しい王を決めるために人々が集まっていた。
すると天から声が響き、「今この地に着いた騎士たちのうち、一番年下の者を王に選べ」と告げる。
そこで人々はお告げに従い、ガラハッドをサラス市の新しい王にした。
しかし、一年余りが過ぎた頃、ガラハッドは天へと召されてしまう。それとともに聖杯も再び姿を消してしまうのであった。

パーシヴァルとその妹は、この地で亡くなり、残されたボールスは二人をガラハッドの墓に葬ると、アーサー王の待つキャメロット城に旅立った。
こうして聖杯探索の旅は終わりを告げる。

◆トリスタンとイゾルデ(イズー)

◇登場人物
トリスタン…コーンウォールの騎士。マルケ王の甥。媚薬を飲みイゾルデと恋に落ちる。
クルヴェナル…トリスタンの従僕。

(金髪の)イゾルデ…アイルランドの王女。マルケ王と政略結婚する。媚薬を飲みトリスタンと恋に落ちる。
モルオルト…アイルランドの騎士。イゾルデの叔父。トリスタンとの決闘で敗れて死去。
ブランゲーネ…イゾルデの侍女。イゾルデに毒薬でなく媚薬を渡す。

マルク王…コーンウォールの王。トリスタンの叔父。政略結婚でイゾルデの夫となる。
メロート…マルケ王の忠臣。トリスタンとイゾルデの密通を王に告げる。

(白い手の)イゾルデ…ブリタニー国のホエル王の娘。トリスタンの妻となる。

トリスタンはリオネス国のメリダオス王とイザベラ王女の息子である。
しかし、トリスタンは生後すぐに両親を亡くし、父の家来に引き取られるが、誘拐された末に海に流されてしまう。
たどり着いた先のコーンウォールのマルク王(叔父)に拾われる。
トリスタンはマルク王に仕える騎士(円卓の騎士)となる。
マルク王はコーンウォールに朝貢を要求するアイルランド王と争いとなる。
そこで、トリスタンはアイルランドの騎士モルオルトと決闘する。
トリスタンは勝利するが、モルオルトの剣に塗られていた毒により重傷を負う。
傷を治療できるのはアイルランドの王女イゾルデのみであった。
トリスタンはタントリスという偽名を使って、アイルランドに渡る。
そこで身分を隠してイゾルデの治療を受け、彼女の介抱により回復する。
治療が終わるとトリスタンはコーンウォールに帰国する。
帰国後、トリスタンがイゾルデの美しさを口にすると、マルク王は興味を示し、トリスタンにイゾルデを妻にしたいから連れて来るようにと命令を出す。
トリスタンは再びアイルランドを訪れた。
アイルランド王は凶暴な竜に悩まされており、竜を退治した者に王女を与えると布告を出していた。
トリスタンは竜を退治するが、その場で力尽きて気絶してしまう。
イゾルデに恋焦がれていた卑小な騎士が竜を退治したのは自分だと名乗り出る。
イゾルデは不満に思い、侍女ブランゲーネらと竜の住処へ赴く。
イゾルデ一行は気絶しているトリスタンを発見し、城に連れて帰る。
イゾルデはトリスタンを介抱するが、彼が叔父モルオルトを殺した騎士だと気づく。
イゾルデを勝ち得たトリスタンは、同盟の証としてイゾルデをマルク王の妻とすることをアイルランド王に求め、承諾を得る。
トリスタンとイゾルデはコーンウォールへ向かう船に乗る。
結婚に不満であったイゾルデは、毒薬で叔父を殺したトリスタンを殺し、心中することを決意する。
しかし、それに気づいた侍女ブランゲーネは、こっそりと毒薬を媚薬にすり替える。
この媚薬はイゾルデの母が敵国に嫁ぐ娘を心配して初夜の床でマルス王に飲ませるよう侍女に渡していたものだった。
イゾルデはワインの中に薬を混ぜてトリスタンと飲むが、媚薬のおかげで二人は死ぬどころか恋に落ち、情熱的に関係を持つ。
コーンウォールに着くと、イゾルデはマルク王に嫁ぐ。
しかし、その後もトリスタンとイゾルデは密通を重ねる。
マルク王の忠臣メロートは二人の密通を王に告げる。
トリスタンはコーンウォールから逃げ出し、ブリタニー国(フランスのブリターニュ地方)でホエル王の娘である「白い手のイゾルデ」と出会い、結婚する。
イゾルデと同じ名前であったからである。
しかし、トリスタンは戦いで瀕死の重傷を負う。
これを治療できるのは「金髪のイゾルデ」しかいないため、トリスタンはアイルランドへ使者を派遣する。
トリスタンはこの時、帰りの船にイゾルデが乗っているなら「白い帆」を、乗っていないなら「黒い帆」を掲げるように命じた。
イゾルデは使者によって事態を知り、アイルランドから船で駆けつける。
トリスタンは妻(白い手のイゾルデ)に帆の色を尋ねるが、嫉妬にかられた彼女は「黒い帆です」と答えてしまう。
その答えに絶望したトリスタンは(金髪の)イゾルデの到着を待たずに死亡した。
そして、到着した(金髪の)イゾルデもトリスタンの死を嘆き悲しみ亡くなった。
二人は同じ場所に埋葬され、そこから二本の木が寄り添うように伸び、切っても切っても再び枝は寄り添うという。

◇歴史
トリスタンとイゾルデは、元々スコットランドの伝承であったが、のちにウェールズ、コーンウォールで伝説化され、フランスに伝わり、アーサー王伝説と組み合わさった。

1175年『トリスタンブリテンのトマ
1210年『トリスタン』(未完)ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク(1170-1215、ドイツ)
1230-40年 『散文のトリスタン』リュース・ド・ガ(1230-1235)、エリ・ド・ボロン(1240年以降)…ケルト神話である「トリスタンとイゾルデ」の物語をアーサー王物語に初めて組み込んだ作品。
1595年 シェイクスピア(1564-1616)の『ロミオとジュリエット』のモデルになったとされる。
1865年 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の楽劇『トリスタンとイゾルデ』が初公演される。哲学者ニーチェはこの極によりワーグナーの熱狂的なファンになった。

◆サー・ガーウェインと緑の騎士

アーサー王の宮廷でクリスマスの宴が開かれている。
そこへ突如、全身が緑色の大男、緑の騎士が現れる。
緑の騎士はアーサー王を挑発し、「自分の首を大釜で斬ってみろ、もし自分が無事だったら、一年後に緑の礼拝堂にて同じ目に遭わなければならない」と述べた。
アーサー王はこの挑戦を受けるが、ガウェイン卿(円卓の騎士)が進み出て、緑の騎士の首を斬り落とした。
転がり落ちた生首を足蹴りして遊ぶ騎士たち。
しかし、首無しの緑の騎士は斬られた首を拾い上げ、生きたまま立ち去ったのである。
一年後、ガウェインは緑の礼拝堂へ向かい旅立つ。
旅の途中、立派な城館を見つける。
領主に歓迎されたガウェインは数日滞在することになった。
領主はガウェインに、領主が狩猟で得る獲物と、ガウェインが城内で得たものを交換し合おうという約束をした。
翌日、領主は狩猟をしに家来を引き連れて出発した。
その後、領主の妻がガウェインの部屋にやって来て、彼を誘惑した。
ガウェインはこの誘惑を振り切り、彼女に口づけをするに留まった。
帰宅した領主は、射止めた鹿肉をガウェインに贈り、ガウェインは領主に口づけを与え、互いが得たものを交換をした。
こうしたことが、三日間のあいだ毎日つづいたが、ガウェインは彼女の誘惑に屈しなかった。
ただし、三日目に奥方から、いかなる猛者からも傷つけられることがないという腰帯を受け取った。
ガウェインは再び出発し、いよいよ緑の礼拝堂にたどり着き、緑の騎士に再会する。
ガウェインはお返しの一撃を受けるために首をあらわにする。
しかし、緑の騎士は大釜を二度首寸前まで振り下げた後、三度目に振り下ろしたが、首に切り傷を与えるだけに留めた。
一命を取り止めたガウェインに、緑の騎士は真実を告げる。
実は、城館の領主は緑の騎士で、ガウェインの騎士としての度量を試していたのであった。
二度の寸止めはガウェインが奥方に手を出さなかったためで、三度目のかすり傷は腰帯を受け取って守りに入ったからであった。
領主はベルシラックという名で、魔女モルガン・ル・フェイの魔法によって緑の騎士の姿になっているのだという。
こうして二人は互いの武勇を称え合い、ガウェインはアーサー王のもとへ帰還した。

◆騎士道物語とサブカルチャー

550年『ブリトン人の没落』ギルダス(516-570、イングランド)
830年『ブリトン人の歴史』ネンニウス
960年頃『カンブリア年代記』…ウェールズの歴史年表
1136年頃『マーリンの生涯ジェフリー・オブ・モンマス(1100-1155年頃)
1136年頃『ブリタニア列王史ジェフリー・オブ・モンマス(1100-1155年頃)…アーサー王の生涯
1155年『ブリュ物語』ウァース(1115-1183)…『ブリタニア列王史』のフランス語翻案
1165-89年『レー(Lais)』(邦題『十二の恋の物語』)女性詩人マリー・ド・フランス…『ランヴァル』(円卓の騎士ランヴァル)、『すいかずら』(トリスタンとイゾルデの一片)。
1170-1190年クレティアン・ド・トロワ(フランス)…『エレックとエニード』『クリジェス』『イヴァン(ユーウェイン)または獅子の騎士』『ランスロ(ランスロット)または荷車の騎士』『ペルスヴァル(パーシヴァル)または聖杯の物語』。
1175年『トリスタンブリテンのトマ
1191年 グラストンベリー修道院でアーサー王の墓発見
1200年頃『ブルートラヤモン(1188-1207頃、イギリス)
1200年 ハルトマン・フォン・アウエ(1160-1210、ドイツ)…『エーレク(エレック)』『イーヴェイン(ユーウェイン)』。
1200年頃 『アリマタヤのヨセフ(聖杯由来の物語)』『メルラン(魔術師マーリン)ロベール・ド・ボロン(1150-1200頃、フランス)…聖杯伝説のキリスト教化
1200-10年『パルチヴァールヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160/80-1220、ドイツ)。
1210年『トリスタン』(未完)ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク(1170-1215、ドイツ)。
1220-30年『ランスロ=聖杯サイクル』(流布本サイクル)フランス
1230-40年『散文のトリスタン』リュース・ド・ガ(1230-1235)、エリ・ド・ボロン(1240年以降)…トリスタンとイゾルデ
1230-40年 『後期流布本サイクル』作者不詳
1275年『騎士道の書』ラモン・リュイ(1232-1315、マヨルカ王国)
14世紀末『サー・ガウェインと緑の騎士』…ガウェイン
1350年、1382-1410年『マビノギオン』…ウェールズ神話
1485年『アーサー王の死トマス・マロリー(1399-1471、イングランド)…アーサー王伝説の集大成
1590-1596年『妖精の女王』エドマンド・スペンサー(1552-1599、イギリス)
1605年『ドン・キホーテ』ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616、スペイン)
1817年『アーサー王の死ロバート・サウジー版(1774-1843、イギリス)
1858年『アーサー王物語』トマス・ブルフィンチ(1796-1867、アメリカ)
1884年『騎士道』レオン・ゴーティエ(1832-1897、フランス)…騎士の十戒
1889年『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』マーク・トウェイン(1835-1910、アメリカ)
1905年『薤露行(かいろこう)』夏目漱石(1867-1916)
1922年『荒地』T・S・エリオット(1888-1965、イギリス)
1937年『ホビットの冒険』J.R.R.トールキン(1892-1973、イギリス)…指輪物語の前史
1938-58年『永遠の王』T・H・ホワイト(1906-1964、イギリス)…この小説を元に映画『王様の剣』『キャメロット』が制作された。
1950-56年『ナルニア国物語』C・S・ルイス(1898-1963、イギリス)
1954-55年『指輪物語』J.R.R.トールキン(1892-1973、イギリス)
1963年映画『王様の剣』(ディズニーアニメ、アメリカ)
1967年映画『キャメロット』(アメリカ)
1968-2001年『ゲド戦記』アーシュラ・K・ル=グウィン(1929-2018、アメリカ)
1974年『ダンジョンズ&ドラゴンズ』世界初のRPG(ボードゲーム)
1979-80年『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』(日本アニメ)
1979-81年『アーサー王シリーズ』(三巻)ローズマリー・サトクリフ(1920-1992、イギリス)
1979年『はてしない物語』ミヒャエル・エンデ(1929-1995、ドイツ)
1979年『ウルティマ』PC用ゲーム(RPGの元祖)
1981年『エクスカリバー』映画
1981年『ウィザードリィ』PC用ゲーム(RPGの元祖)
1982年『レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯』(BBC)…聖杯はイエスの子孫を指すという解釈。ダ・ヴィンチ・コードに影響を与える。
1985年『スーパーマリオブラザーズ』任天堂(TVゲーム)
1986年~『ドラゴンクエスト』エニックス(TVゲーム)
1987年~『ファイナルファンタジー』スクウェア(TVゲーム)
1989年映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(アメリカ)
1995-97年『小説アーサー王物語』バーナード・コーンウェル(1944-)
1997年『ウルティマオンライン』(PCゲーム)…MMORPGの始祖
1997-2007年『ハリー・ポッター』J・K・ローリング(1965-、イギリス)
2002年『ファイナルファンタジーⅪ』スクウェア・エニックス(PCゲーム)…日本産MMORPG
2003年『ダ・ヴィンチ・コード』ダン・ブラウン(1964-、アメリカ)
2004年『キング・アーサー』映画(アーサーはサルマティア人の隊長説を採用)
2004年~『Fate/stay night』TYPE-MOON(PCゲーム、アニメ2006年~)
2015年~『Fate/Grand Order』TYPE-MOON(スマホゲーム、アニメ2016年~)

◆アーサー王伝説と絵画芸術

1837-1901年 ヴィクトリア朝。イギリスのヴィクトリア女王(1819-1901)が統治していた時代。この時代、ラファエル前派という芸術運動が興隆する。主要メンバーはジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)である。彼らは、ラファエロ(ルネサンス時代の巨匠)より以前の中世の伝説や文学を拠り所とした。アーサー王伝説をモチーフとする絵画も多く描かれた。


『ブリタニア列王史』の挿絵 15世紀


N ・C・ワイエス アーサーを抱きかかえるマーリン



ウォルター・クレイン「石から剣を引き抜くアーサー」



N・C・ワイエス 1922年



スピード・ランスロット「湖の乙女と円卓の騎士ランスロット」1912



チャールズ・アーネスト・バトラー『アーサー王』



ジョン・コリア『グィネヴィア王妃の五月祭の祝い』1897年頃



『ランスロ=聖杯サイクル』の挿絵にあるアーサー王の円卓と円卓の騎士たち 1470年



アーサー王の騎士と聖杯のイラスト 1475年頃



ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『聖杯』



エドウィン・オースティン・アビー『アーサー王の円卓と”危険の座”』



ジョージ・フレデリック・ワッツ『ガラハッド卿』



フェルディナンド・リーケ『聖杯を探索するパーシヴァル卿』



アーサー・ハッカー『パーシヴァル卿の誘惑』



エドワード・バーン=ジョーンズ「聖杯の礼拝堂におけるランスロットの夢」1896年



ジョゼフ・ノエル・ペイトン『聖杯を見るガラハッド卿』



エドウィン・オースティン・アビー『聖杯に至るガラハッド卿』



エドモンド・ブレア・レイトン『騎士号授与』



エドモンド・ブレア・レイトン『影』



ハーバート・ジェームズ・ドレイバー「ランスロットとグィネヴィア」1890年代



アーサー・ラッカム カムランの戦い



エドワード・バーン=ジョーンズ「アヴァロンのアーサー王の眠り」1881-1898年



ジェームズ・アーチャー「アーサー王の死」1860年



エドワード・バーン=ジョーンズ『欺かれるマーリン』1874年



フランク・カドガン・クーパー『魔法使いニミュエなる湖の姫』



ガストン・ビュシエール『冠を戴く姫君イズー(イゾルデ)』



ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『トリスタンとイゾルデ』



ハーバート・ジェームズ・ドレイパー『船の中で媚薬を飲んでしまったトリスタンとイゾルデ』



エドモンド・ブレア・レイトン「トリスタンとイゾルデ」



ガストン・ビュシエール「トリスタンとイゾルデ」1911



ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「シャロットの女」1888年



ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「ランスロットを見つめるシャロットの女」1894年



ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「影の世界にはもううんざり、とシャロットの女は言う」1915年



ウィリアム・ホルマン・ハント「シャロットの女」1905年



フレデリック・サンズ『モルガン・ル・フェ』



エドモンド・ブレア・レイトン『エイレン』



ガストン・ビュシエール『エルザとローエングリン』

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