見出し画像

内的家族システム療法(IFS)、パーツ心理学

内的家族システム療法(IFS:Internal Family Systems Model)は「パーツ心理学」の一種である。1980年代リチャード・シュワルツによって開発された心理療法である。

心は潜在意識に存在する複数のパーツ(多重人格的なもの)から成り立っており、それらのパーツたちが心の中で家族システムを形成している。その家族システムの核には全体のファシリテーター的な存在であるセルフ(真の自己)が存在する。パーツには独自の視点、記憶、観点があるし、お互いに矛盾、対立している部分もある。すべてのパーツは自分を守るために働く肯定されるべき存在であり、矛盾や対立がある状態は自然でもある。治療の目的は、セルフがリーダーシップを取って、この内的家族のバランスを肯定的に調和した状態を保つことで心理機能が回復することを目指す。

パーツには主に3種類のカテゴリーがある。①エグザイル(追放者)、②マネージャー(管理者)、③ファイアーファイター(消防士)

エグザイル(追放者)はトラウマの重荷を背負っている存在で、マネージャーの管理を受けながら内的社会の片隅に住んでいて、トラウマの傷が心の全体を支配し、般化(汎化)しないように自分を守っている。インナーチャイルドのような存在。

普段はマネージャー(管理者)が、エグザイルたちが内的社会の表に出て行かないように心をコントロールしている。「~するべき」、「~するべきない」、といった規範意識で心を統制することで自分を守っている。しかし、マネージャーがうまく機能しなかったり、疲弊してくると、エグザイルが脱走し、内的社会の表に出て来て、注目を浴びようとする。意識があるエグザイルに集中すると、心の一部であるはずのエグザイルのトラウマが、まるで自分自身の人格全体だと錯覚して般化(汎化)してしまい、全身がトラウマと同一化して、自分を見失い、意識がトラウマに呑みこまれる。

そうならないように、最後の手段としてファイアーファイター(消防士)が出動する。ファイアーファイターは、般化(汎化)した心の炎上の火を消すために、衝動的で自傷的な行動や依存的・中毒的な行動を引き起こすことによって、幻想によってエグザイルから意識を逸らさせ、自分が死なないように自分の心を守っている。例えば、アルコール、セックス、爆発的な怒り、過食、解離など。最終的には心は身体を病気にさせることによって強制的に身体を休ませるように表層意識に働きかけるだろう。それらはすべて自分を守るための機能なのだが、放置することは危険だから、心的バランスを取り戻すのが望ましい。

治療では、セルフ(自己、内的家族のファシリテーター)のリーダーシップを強めることで心的バランスを持続できるようにすることが目標である。エグザイルたちは個々のトラウマを背負っているので、その重荷をリリースすることが必要となる。しかし、エグザイルはマネージャーの管理下に存在するので、まずマネージャーにコンタクトを取り、エグザイルに接触する許可を得る必要がある。そのために、まずセルフはプロテクター(マネージャーやファイアーファイター)の存在は敵ではなく、むしろ自分を守るために働いてくれているパーツであることに深く感謝し、肯定的に近づき、こうしてエグザイルのトラウマをリリースするために同盟を結ぶ。エグザイルのトラウマがリリースされれば、プロテクターが疲弊したり、頻繁に出動しなくて済むようになるからである。

こうして、許可を得たセルフは、個々のエグザイルにアクセスする。そして、エグザイルの話を傾聴し、エグザイルもまた自分を守るために重荷を担ってくれていたことに深く感謝し、肯定的に接することで、そのトラウマの重荷をリリースする。こうして、セルフがファシリテーターとしてのリーダーシップを取っていくことで、心の中の内的家族システムは正常化される。セルフは肯定的に内的家族のパーツたちをマインドフルネスの視点で見守ることで、心の社会バランスを持続することができる。

自己(セルフ)以外にも、潜在意識の中には数多くのパーツという他者が生存しているという視点を持つことが大切である。心を無理やりに従わせようとするのではなく、自分という他者に傾聴する態度が大切なのである。そのパーツたちは互いに異なる価値観や感情を持っていて、互いに矛盾したり対立していたりする部分もある。私たちは現実社会でも他者の尊厳や自分とは異なる価値観を尊重しながら平和に暮らすように、心の中の他者たちにもパーソナルスペースが確保されている方が自然である。つまり、心の中のアンビバレンスな感情や自己矛盾はあるがまま存在していて良いのである。論理的に無理に統合する必要はない。逆に、あるパーツの信念や固定観念が心の全体を支配し、般化(汎化)してしまうと、自分の多様な人格のある面だけが全体かのように錯覚して、心身は緊張し、パーツたちは窮屈になり、あるがままの心の矛盾や対立が抑圧されてしまう。私たちも他人から自分の一面だけを見て、それがすべてだと思われるのは心地よくないのではないだろうか。自分の心もそれと同様なのである。トラウマの傷が刺激されたり、セルフの意識が完全主義に陥っていたりするとそうした”過度な一般化”による抑圧が生まれやすい。だから内的家族環境にも、適度な自由な空間、余白の空間を残しておいて、パーツたちが矛盾や対立の間を自由に行き来できるスペースを確保しておくことが、心的バランスを保つ上で大切である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?