早口言葉(かえるぴょこぴょこ…)について

かえるぴょこぴょこ
三ぴょこぴょこ
合わせてぴょこぴょこ
六ぴょこぴょこ

という早口言葉をご存じだと思う。
私はこのように教わった。
しかし、現在のある小学生の国語の教科書には、こう書いてある。

『こくご 一下 ともだち』2010年(光村図書出版)83頁

かえる ひょこひょこ
三ひょこひょこ
あわせて ひょこひょこ
六ひょこひょこ

あれ、ぴょこぴょこではない!?
ちょっと調べてみよう。


『日本国語大辞典』の「ぴょこぴょこ」の頁には、

洒落本・辰巳之園(1770)
「帰(かへ)ろ、ひょこひょこ三(み)ぴょこぴょこ」

と記載されていた。

そうなのか!確認してみよう。

そこで、国立国会図書館デジタルコレクションで、
洒落本・辰巳之園(たつみのその)を調べてみた。

27頁の中央あたりを見て欲しい。

『辰巳之園』(1770)27頁

くずし字で書かれており読みにくいのだが、
がんばってこれを読み解くと、

「帰(かえ)ろひょこひょこ三(み)
ひょこひょこ 六(む)ひょこ七(なな)ひょこ八(や)ひょこひょこ
九(ここ)のひょこひょこ十(と)ひょこひょこ」

と書いてあるっぽいことが判別できる。

※しかし、とある言語学の先生の話によると、「帰ろひょこひょこ三ひょこひょこ」までは「ひょこひょこ」でほぼ確定だが、「六ひょこひょこ」以降には、右上に黒い点が打ってあり、これらが強調の意味なのか、半濁点なのか、不濁点なのか、はたまた音楽的なリズムの指示を表しているのか、はっきりしないようである。個人的には、この黒い点は漢数字にも打ってあるので、半濁点ではない可能性が高いと感じる。

「帰ろひょこひょこ三
ひょこひょこ △六・ょこ・七・ひょこ・八・ひょこひょこ
九の・ょこひょこ・十・ひょこひょこ」

点と太字の部分は、その文字の右上に黒い点が打ってある箇所を示す。


『徳川文芸類聚』<第五巻>(1914-1916年)の「辰巳之園」の書き下し文ではどうなっているのか確認しよう。

ここの55頁(デジタル版では47頁)を見ると、

『徳川文芸類聚』<第五巻>55頁

「帰ろひょこひょこ三ひょこひょこ、
六ひょこ七ひょこ八ひょこひょこ、
九のひょこひょこ十ひょこひょこ」

と書いてあることが分かる。
同様の記述は、
『近代日本文学体系』〈第11巻〉(1928-1929年)の123頁にもある。

ついでに、『大日本国語辞典』<第四巻>(1910年)では、
「ひょこひょこ」と「ぴょん」の項目はあっても、
「ぴょこぴょこ」の項目はなかった。
よって、この時代にはまだ「ぴょこぴょこ」という言い方は広く流通していなかったことを示唆するので、『辰巳之園』も「ひょこひょこ」と読んでいた可能性が高いと言える。

したがって、

「帰(かえ)ろひょこひょこ三(み)ひょこひょこ
六(む)ひょこ七(なな)ひょこ八(や)ひょこひょこ
九(ここ)のひょこひょこ十(と)ひょこひょこ」

というのが、一応は原典だろうということが判明した。


ん!?
ということは、『日本国語大辞典』の記述は少し間違っていることになる。
正しくは「三ひょこひょこ」なのである。

しかし、ここには「合わせてぴょこぴょこ」という表現は出て来ない。
さて、早口言葉の起源は、『外郎売』(ういろううり)(1718年)だそう。
そこには、


武具、馬具、ぶぐ、ばぐ、三ぶぐばぐ、合わせて武具、馬具、六ぶぐばぐ。
菊、栗、きく、くり、三菊栗、合わせて菊栗六菊栗、
麦、ごみ、むぎ、ごみ、三むぎごみ、合わせてむぎ、ごみ、六むぎごみ。

などと、書かれている。
どうやら早口言葉の「合わせて~」という言い方は『外郎売』に由来するようだ。

250年以上前には、
すでに原形があったとは驚きである。

しかし、いつから「帰ろ」が「かえる」になったのだろうか。
国立国会図書館デジタルコレクションの『道外物語』(1809年)の24頁を見ると、

『道外物語』(1809年)デジタル版24枚目

この本の書き下し文が載っている『絵本稗史小説 第15集 』(1926年)の272-273頁も併せてみて見よう。

『絵本稗史小説 第15集』272-273頁

ここでは、

かへるひょこひょこ三(み)ひょこひょこ
四(よ)ひょこ五(いつ)ひょこ六(む)ひょこひょこ.
七(なな)つひょこひょこ八(や)ひょこひょこ
九(ここの)ひょこひょこ十(と)ひょこひょこ.

と書いてあることが判明した。
したがって、1809年までには、
「帰ろ」が「かへる」となっていることが分かった。

そして、我々は遂に決定的な資料に行き着いた。
『皇都午睡』初編上巻(みやこひるね、西沢一鳳(1802-1852)著、1850年10月刊行)という江戸の見聞録である。

このPDF版の46頁には、

『皇都午睡 初編 上巻』(1850年10月)PDF版46頁

蛙ひょこひょこ
三ひょこひょこ
合わせてひょこひょこ
六ひょこひょこ

とある。なんと!
現在の早口言葉と完全に同じ形である。
したがって、
1850年までには現在の形は完成していたことが判明した。


しかし、今回の調査では結局、
いつ頃から「ぴょこぴょこ」になったのは分からなかった。

とはいえ、
ザ・ドリフターズの「ドリフの早口ことば」(1980年12月21日リリース)
の歌詞の中には、

カエルピョコピョコ
3ピョコピョコ
合わせてピョコピョコ
6ピョコピョコ

と書いてあり、
少なくとも1980年代までには「ぴょこぴょこ」になっていることは判明した。

さらに、証拠としては弱い傍証だが、1950年代前半頃までには「ぴょこぴょこ」と教わった人物の証言を確認している。だから、少なくともドリフターズが発祥というわけではなさそうだ。

先程検証したように、1910年頃の国語辞典にも「ぴょこぴょこ」の項目は見当たらないようだった。
したがって、だいたい1910年~1950年頃までの間に「ぴょこぴょこ」が流通した可能性が高い、
というアバウトな予測が立てられるかも知れない。


現在のとある小学一年生の国語の教科書が、

かえる ひょこひょこ
三ひょこひょこ
あわせて ひょこひょこ
六ひょこひょこ

と変わっているのは、
元来の読み方により合わせた結果なのかもしれない。

しかし、蛙ならば「ぴょこぴょこ」の方が蛙らしく聞こえる、という感想も幾人から寄せられた。
確かに現代の感覚ではそうとも言えるかも知れないし、現代の早口言葉なのだから、現代の感覚により合わせても良いのではないか、とも思う。

次いでだが、『洗髪のお妻』己黒子(1910年)71頁を見ると、
「笹折から蛙が三匹ヒヨコヒヨコ」という用例があった。

『洗髪のお妻』己黒子(1910年)71頁



果たして、いつから「ひょこひょこ」が「ぴょこぴょこ」に変わったのか…。

まだ謎は残っているものの、今回の調査はここまでにしたい。

この調査が少しでも、「ぴょこぴょこ」と習った世代と、「ひょこひょこ」と習った世代のジェネレーションギャップの解消に貢献してくれれば幸いだと思う。


※最後に、この興味深いテーマを提供してくれた☆さん、この調査のために尽力してくださった、add(noyer)さん、中俣先生、黒井瓶さん、その他さまざまなアドバイスを下さった方々に感謝する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?