早口言葉(かえるぴょこぴょこ…)について
かえるぴょこぴょこ
三ぴょこぴょこ
合わせてぴょこぴょこ
六ぴょこぴょこ
という早口言葉をご存じだと思う。
私はこのように教わった。
しかし、現在のある小学生の国語の教科書には、こう書いてある。
![](https://assets.st-note.com/img/1656504268958-9pJcRnFa3V.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1656504268990-K9KM0w6j5z.jpg?width=800)
かえる ひょこひょこ
三ひょこひょこ
あわせて ひょこひょこ
六ひょこひょこ
あれ、ぴょこぴょこではない!?
ちょっと調べてみよう。
『日本国語大辞典』の「ぴょこぴょこ」の頁には、
洒落本・辰巳之園(1770)
「帰(かへ)ろ、ひょこひょこ三(み)ぴょこぴょこ」
と記載されていた。
そうなのか!確認してみよう。
そこで、国立国会図書館デジタルコレクションで、
洒落本・辰巳之園(たつみのその)を調べてみた。
27頁の中央あたりを見て欲しい。
![](https://assets.st-note.com/img/1656424468235-xyVnB1DIAU.jpg?width=800)
くずし字で書かれており読みにくいのだが、
がんばってこれを読み解くと、
「帰(かえ)ろひょこひょこ三(み)
ひょこひょこ 六(む)ひょこ七(なな)ひょこ八(や)ひょこひょこ
九(ここ)のひょこひょこ十(と)ひょこひょこ」
と書いてあるっぽいことが判別できる。
※しかし、とある言語学の先生の話によると、「帰ろひょこひょこ三ひょこひょこ」までは「ひょこひょこ」でほぼ確定だが、「六ひょこひょこ」以降には、右上に黒い点が打ってあり、これらが強調の意味なのか、半濁点なのか、不濁点なのか、はたまた音楽的なリズムの指示を表しているのか、はっきりしないようである。個人的には、この黒い点は漢数字にも打ってあるので、半濁点ではない可能性が高いと感じる。
「帰ろひょこひょこ三
ひょこひょこ △六・ひょこ・七・ひょこ・八・ひょこひょこ・
九の・ひょこひょこ・十・ひょこひょこ」
点と太字の部分は、その文字の右上に黒い点が打ってある箇所を示す。
『徳川文芸類聚』<第五巻>(1914-1916年)の「辰巳之園」の書き下し文ではどうなっているのか確認しよう。
ここの55頁(デジタル版では47頁)を見ると、
![](https://assets.st-note.com/img/1656440689961-ULSMMFBhAr.jpg)
「帰ろひょこひょこ三ひょこひょこ、
六ひょこ七ひょこ八ひょこひょこ、
九のひょこひょこ十ひょこひょこ」
と書いてあることが分かる。
同様の記述は、
『近代日本文学体系』〈第11巻〉(1928-1929年)の123頁にもある。
ついでに、『大日本国語辞典』<第四巻>(1910年)では、
「ひょこひょこ」と「ぴょん」の項目はあっても、
「ぴょこぴょこ」の項目はなかった。
よって、この時代にはまだ「ぴょこぴょこ」という言い方は広く流通していなかったことを示唆するので、『辰巳之園』も「ひょこひょこ」と読んでいた可能性が高いと言える。
したがって、
「帰(かえ)ろひょこひょこ三(み)ひょこひょこ
六(む)ひょこ七(なな)ひょこ八(や)ひょこひょこ
九(ここ)のひょこひょこ十(と)ひょこひょこ」
というのが、一応は原典だろうということが判明した。
ん!?
ということは、『日本国語大辞典』の記述は少し間違っていることになる。
正しくは「三ひょこひょこ」なのである。
しかし、ここには「合わせてぴょこぴょこ」という表現は出て来ない。
さて、早口言葉の起源は、『外郎売』(ういろううり)(1718年)だそう。
そこには、
…
武具、馬具、ぶぐ、ばぐ、三ぶぐばぐ、合わせて武具、馬具、六ぶぐばぐ。
菊、栗、きく、くり、三菊栗、合わせて菊栗六菊栗、
麦、ごみ、むぎ、ごみ、三むぎごみ、合わせてむぎ、ごみ、六むぎごみ。
などと、書かれている。
どうやら早口言葉の「合わせて~」という言い方は『外郎売』に由来するようだ。
250年以上前には、
すでに原形があったとは驚きである。
しかし、いつから「帰ろ」が「かえる」になったのだろうか。
国立国会図書館デジタルコレクションの『道外物語』(1809年)の24頁を見ると、
![](https://assets.st-note.com/img/1656501017079-71JdoSOLZj.jpg?width=800)
この本の書き下し文が載っている『絵本稗史小説 第15集 』(1926年)の272-273頁も併せてみて見よう。
![](https://assets.st-note.com/img/1656502470627-ey7FTa8Vip.jpg?width=800)
ここでは、
かへるひょこひょこ三(み)ひょこひょこ
四(よ)ひょこ五(いつ)ひょこ六(む)ひょこひょこ.
七(なな)つひょこひょこ八(や)ひょこひょこ
九(ここの)ひょこひょこ十(と)ひょこひょこ.
と書いてあることが判明した。
したがって、1809年までには、
「帰ろ」が「かへる」となっていることが分かった。
そして、我々は遂に決定的な資料に行き着いた。
『皇都午睡』初編上巻(みやこひるね、西沢一鳳(1802-1852)著、1850年10月刊行)という江戸の見聞録である。
このPDF版の46頁には、
![](https://assets.st-note.com/img/1656503387519-rFo2CluoO7.jpg?width=800)
蛙ひょこひょこ
三ひょこひょこ
合わせてひょこひょこ
六ひょこひょこ
とある。なんと!
現在の早口言葉と完全に同じ形である。
したがって、
1850年までには現在の形は完成していたことが判明した。
しかし、今回の調査では結局、
いつ頃から「ぴょこぴょこ」になったのは分からなかった。
とはいえ、
ザ・ドリフターズの「ドリフの早口ことば」(1980年12月21日リリース)
の歌詞の中には、
カエルピョコピョコ
3ピョコピョコ
合わせてピョコピョコ
6ピョコピョコ
と書いてあり、
少なくとも1980年代までには「ぴょこぴょこ」になっていることは判明した。
さらに、証拠としては弱い傍証だが、1950年代前半頃までには「ぴょこぴょこ」と教わった人物の証言を確認している。だから、少なくともドリフターズが発祥というわけではなさそうだ。
先程検証したように、1910年頃の国語辞典にも「ぴょこぴょこ」の項目は見当たらないようだった。
したがって、だいたい1910年~1950年頃までの間に「ぴょこぴょこ」が流通した可能性が高い、
というアバウトな予測が立てられるかも知れない。
現在のとある小学一年生の国語の教科書が、
かえる ひょこひょこ
三ひょこひょこ
あわせて ひょこひょこ
六ひょこひょこ
と変わっているのは、
元来の読み方により合わせた結果なのかもしれない。
しかし、蛙ならば「ぴょこぴょこ」の方が蛙らしく聞こえる、という感想も幾人から寄せられた。
確かに現代の感覚ではそうとも言えるかも知れないし、現代の早口言葉なのだから、現代の感覚により合わせても良いのではないか、とも思う。
次いでだが、『洗髪のお妻』己黒子(1910年)71頁を見ると、
「笹折から蛙が三匹ヒヨコヒヨコ」という用例があった。
![](https://assets.st-note.com/img/1656490078982-x0OZBjr6tq.jpg?width=800)
果たして、いつから「ひょこひょこ」が「ぴょこぴょこ」に変わったのか…。
まだ謎は残っているものの、今回の調査はここまでにしたい。
この調査が少しでも、「ぴょこぴょこ」と習った世代と、「ひょこひょこ」と習った世代のジェネレーションギャップの解消に貢献してくれれば幸いだと思う。
※最後に、この興味深いテーマを提供してくれた☆さん、この調査のために尽力してくださった、add(noyer)さん、中俣先生、黒井瓶さん、その他さまざまなアドバイスを下さった方々に感謝する。
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