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団塊ジュニアが考える今の中学生

団塊ジュニア世代です

私は今年48歳になる団塊ジュニア世代です。
戦後ベビーブーム時に生まれた両親がいます。
今の日本の後期高齢者前後の世代が親の世代で、
就職氷河期の世代が私の世代です。
まさに日本の人口ピラミッドにおけるもっとも山の大きな世代です。

ダブル受験の娘がいます

私には高校3年生と中学3年生の娘がいます。
そうです。ダブル受験です。
世間話をすると「ダブル受験だと大変だね、家に居場所がなくなるね」と言われますが、今のところそこまでの緊迫感はありません。
良いことなのかもっと焦らなければならないのかは分かりませんが、少なくとも父親の私は焦っています。

特に中学生の次女は勉強をする習慣がいまだについていないので、そこから取り組まなければなりません。合格への道のりはまだまだ長そうです。

中学生の学校での教材や、先生とのやり取りの話を聞いていると、自分が中学時代とはかなり変わったなと思います。

団塊ジュニア世代が中学生の頃

自分が中学生の時は、とにかくついていくのに必死でした。
勉強も、部活も、塾も、なにもかもに必死でついていった思い出が強いです。

学校の授業は教科書を読んで、答えや意見を発表して、宿題が出て、宿題をやらなかったら、放課後まで残されて。中間・期末テストは広い範囲の試験範囲から容赦なく出題されて、点数が悪かったら切り捨てられて。

部活はテニス部でした。
たくさんの部員が所属しているので、テニスコートでの練習は上級生しかできませんでした。1年生の秋までは、フェンスで囲まれたテニスコートの外で素振りばかりしていました。
たまにテニスコートに入れてもらえた時は、球拾いと声出しが仕事です。
「いつかテニスコートで思いっきりラケットを振りたい」そんなことを考える一年生でした。

塾は学力によってクラス分けがはっきりしていました。
2か月に1回のテストの結果で所属するクラスが上下しました。まるでサッカーJリーグの入れ替え戦のようです。クラスが落ちないように必死で勉強しました。

どんな環境においても必死でくらいついていきました。
また、ついていくことができない生徒には、強引に先生がついてこさせました。

宿題を忘れたならば放課後にやらせる。
テニスの部活では最初は素振りばかりの練習メニュー。
給食で嫌いな食べ物が出てきたら昼休みでも食べ終わるまで席を立てない。
学校に行きたくない生徒がいたら、先生が家まで訪問して生徒を連れてくる。

そんな環境で全員が育ってきたので、全員がある程度のレベルまでは到達しているのが団塊ジュニア世代でした。
ある程度のレベルに達した人たちが高校受験や大学受験を戦います。レベルの高い学校はとんでもなく難しい問題を出題し、容赦なく人を切っていきます。そうでもしないと絶対数が多いので選出することができません。
どんどんふるいにかけられるのが団塊ジュニア世代です。


現在の中学生

今の中学生はどうでしょうか。娘から聞いている話だけなので、正確には分かりません。実際にその場にいる娘にしてみたら「そんな簡単にまとめるなよ」と怒るかもしれません。

授業について。
娘の教材を見ると、教科書とは別に「ワーク」という参考書兼問題集みたいな教材があります。教科書の内容を「ワーク」で簡潔にまとめ、基本的な問題も一緒に掲載されています。
私が中学生の時は、教科書を丸暗記して、問題集は本屋さんで買っていました。それが今は学校が至れり尽くせりのおもてなしをしてくれます。

学校に行かなくても、それはその人の個性だと認めてくれます。無理やり学校に連れてくるなんてことはしません。個人の考えを尊重しています。強制連行なんてもってのほかです。

給食で食べたくないものは事前にアンケートを取ります。そこに記載しているものは食べなくてもかまわないというルールです。
確かに、給食で無理やり食べさせられた料理が好きになったかと言われたら答えはノーでしょう。でも、栄養バランスを考えると食べたほうがいいでしょう。食事の好き嫌いは、あまりこだわっても仕方がないなと大人になった今は強く思います。
しかし、今の中学生は食べたくないものは食べなくてもよい権利を持っています。

すべてにおいて、基本的には生徒の意思を尊重するということでしょう。そのうえで生徒の自主性を伸ばすために学校は存在するという立ち位置です。
勉強したいならばいくらでもできる環境があります。でも強制的にやらせることはしません。「勉強をしないのも一つの個性」という考え方なのでしょうか。
なので、団塊ジュニア世代と異なり、今の中学生はみんなのレベルがまちまちです。とんでもなく勉強ができる人もいれば、掛け算も分からないという生徒もいます。ある程度、一定ラインまで全員が到達していた団塊ジュニア世代とは異なります。
やりたい人はどんどん伸びて、やりたくない人はそれなりで。でもそれなりの生徒であってもその人の個性だからそれでいいじゃないという時代なんだなと思います。

どちらが幸せなのでしょうか

さて、強制的にやらされてみんながある一定のレベルまで達している団塊ジュニア世代と、生徒の個性を尊重し自主性に任せる現代の中学生のどちらが幸せなのでしょうか。

「自由に自分の意思で過ごすことができる今の中学生の方が幸せに決まっているじゃないか」という意見が多いのでしょうか。
それは確かに間違っていないかもしれません。
でも中学生において、自分の強い明確な意思はどこまであるのでしょうか。
その意思を育てるのが今の中学校の役割ですよということなのかもしれません。
私は、中学生にそこまでの意思や自主性を求めるのはかわいそうだなと思ってしまいます。
自分が中学生の時、
すぐに怒る先生がいたり、怖い先輩がいたり、学力クラスが明確な塾があったから、必死に頑張ったんだと思います。それがなければ、ラクな道を選んでばかりだったと思います。将来の夢なんてとても考える頭脳はもっていませんでした。どうやって目の前を切り抜けるか、そのことだけを考えていました。
そんな中学時代だったからこそ、最低限の勉強ができて、好き嫌いなく食べることができて、上下関係も身に付きました。

今の中学生はどうでしょう。
いやだったらやらなくても注意されません。強制的にやらされることもなくなりました。つらいことをしなくて済むので楽になったのかもしれません。
でも、その結果、最低限のことができないまま大人になってしまう人がいるのではないでしょうか。

何の悪気もなく生きてきたのに
誰からも注意されずに生きてきたのに
それが自主性だとおもっち着てきたのに

そんな人たちが大人になったら、社会の物差しで評価されてしまいます。
大人になった時に現実の評価を目の当たりにして、その衝撃は想像を絶するでしょう。自分を保ち続けることができるのでしょうか。

はたしてどちらが幸せなのでしょうか。

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