見出し画像

運動嫌いであれば


今回はテーマ「#一歩踏みだした先に」という応募に参加して
僕の人生、実体験をご紹介。


改めて

北海道北広島市に生まれ現在は戻ってきて住んでいる、
いち社会人です。
今話題の日本ハムファイターズの新拠点、
北海道ボールパーク: HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGEが
出来上がる市に住んでいます。
……ざっくりとしていますが笑

僕自身の話や会社云々の話は僕の他記事に記載させて頂いていますので、
興味がございましたら見てみて下さい。
省略させていただきます。

都会に比べると自然に溢れている代わりに大型商業施設は無論、
コンビニすら子供の足では危うい距離にありました。
そんな市に生まれ育ってきました。


大の運動嫌いで、泣き虫

母は僕に向かってこう言いました。

「私は運動音痴よ」、と高らかにドヤ顔で。

そういう母の遺伝がほぼ継いだのではないかと思うくらい、
僕も運動音痴です。

当時の友達全員が運動に長けていて
なおさら周りの目が痛く刺さり、
運動をしたくないの一点張りでした。

痛いのは嫌だ。
辛いのは嫌だ。でよく泣くのも
拍車をかけていました。

今でこそ笑っていられますが
それこそ人生、何があるか分からないんですよね。


他人事みたいな我が人生

中学生にあがり、成長期へと迎えました。

華やかな学生生活……なんてものはなく。
1学年50人規模。
変わらない友達に囲まれ進学していきました。
待っていたのは進学のための受験勉強。
運動嫌いの僕は部活動などするわけもなく。
勉強漬けの日々が続いていました。

それから、一年後。
入学当初にあった身長が160㎝から170㎝へ伸びました。
見繕っていた制服はたった1年で買い替え。
父は180㎝後半で、その息子。
遺伝はまんまと受け継いだのだ。

それに対して周りの目は変わっていき、
ある友人から一言。

「お前、バレーボール部に入らない?
これから絶対、伸びるのに勿体ないって」

それが今の僕をつくりあげた出会いだった。


人生転換期

名付けるなら、これに限る。
僕の実体験もとい人生における
大きく変わるタイミングがココだった。

先ほどの勧誘に対し、僕にあったのは諦めだった。
「どうせ、僕なんか」と自虐的だったのは覚えている。

ただ、それでもしつこく勧誘してくれた。
ものは試しと体験入部という形でやってみたものの、
腕立て伏せなんかできて10回程度。
バレーボールは固く感じる。
楽しいなんて思わなかった。

でも、それは僕だけではない。
ボールを上手くコントロールできるわけでもなく、
点を決めることすら一苦労の姿を見てしまった。

運動において他人の努力する姿を初めて見た。
何でも運動が出来た友達も同じだったのだろうか。

体験してしてから変わった。
僕の事を知っている両親からは反対されたものの、入部を決意。
バレーボールに打ち込んだ。

先の話は長くなりそうなので簡潔に。
結果的に言えば、友達の予想通りに身長は180㎝後半となった。
バレーボールは続け、高校・大学とスポーツ推薦で進学。
今はジムに通って、ウエイトトレーニングを行っている。

今もふと思うところはある。
勧誘されなければ運動嫌いのままではなかったのか、と。

考えるのは不毛と分かっていても
あのタイミングで選んだ瞬間に
ここまで先が変わるなんて思いもよらない。
他人の人生を見ているようなのだから。
人生何が起こるか分かったものじゃない。
だから選択を迫られたときに選ぶのはこれからも「挑戦」だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?