疎外感について

疎外感について考えたい。

わたしは物心ついてから今まで一貫して疎外感を持っている。誰でもそうなのだろうか、自分以外のことがわからないので何とも言えないけれど。
幼い頃からひとつの遊びに熱中しやすく、周りの友達がみんな飽きているのにわたしだけがまだそれをしたくて、しつこく誘ってウザがられた。そのせいかいつも取り残された気持ちになっていたように思う。
グループで一緒に行動するというのもなんだか馴染まなくて、基本わたしは1人もしくは2人で過ごした。2人というのは心地良い。自分と相手しかいない。そこには空気感も同調圧力も存在せず、自分の言いたいことや相手の言っていることがほぼダイレクトに近い形で伝わる、ような気がする。小学5年生のとき初めて3人の仲良しグループなるものに参加したけれど、6年生になる頃には追い出されていた。思えばそれはわたしにとって人間関係における1番最初の挫折だったかもしれない。

それ以降中学、高校、大学と生きていくうちにわたしは社会性を身につけ、複数人でも楽しく過ごせるように少しずつ進化を遂げてきた。
けれどもわたしの中の疎外感は決して消えたことがない。誰と誰が付き合っているとか、それに準ずる他人の噂話とか、テレビやゲームの話とか、わたしにとってはずっとどうでもいいことだった。そのときの話題に興味がないからといって疎外感を感じる必要もないのだろうが、いつもなぜだか少しだけ居心地の悪さを感じて、それと同時に自分に異物感を覚える。周りに馴染めていない自分が悲しく、もしかしたら少しだけ喜びを感じているのかもしれない。そうだとしたら随分捻くれているな。

こうやって少し思い返してみただけでも、わたしと疎外感とはかなり長い付き合いになる。常に存在していて当たり前、きっと今後も消えることはないのだろう。結局、大人になるというのは自分の中のそういうものを徐々に飼い慣らしていく過程のことを言うのだろうな、と思ったりする。


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