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ブータン人大量出国時代に考える、国際協力のあり方

1.身近に迫りくる「大量出国」問題

ここ1年ぐらいでしょうか、Facebookでオーストラリアのビザが発給されるたびに、申請したブータン人の嬉しそうな顔写真と、実名が頻繁に掲載されるようになりました。こういう形でソーシャルメディアに露出することを、ブータン人はなんとも思っていないのだろうかと、ずっと怪訝に思っていたのですが、5月3日、そのFacebookに見慣れた顔が載っていました。

うちのプロジェクトのカウンターパートKでした(涙)。

奥さんや子どもさんたちと嬉しそうに写っている写真にはびっくりでしたが、その翌日、配属先の大学のある教員と雑談していて、電気通信学科のラボ専属技師でオーストラリア留学のために辞める人間は2人いると聞かされました。Kの他にもう1人って誰だろう。電気通信学科のラボ専属技師って5人しかおらず、すぐに全員の顔と名前が浮かびます。

5日、そのKにいつ大学を辞めるのかと厭味ったらしく訊いた時、ついでにもう1人が誰なのかも訊いてみました。

またまたうちのプロジェクトのカウンターパートであるYでした(涙)

KにしてもYにしても、マネージャーのカルマ・ケザンさんやファブラボ専属のテンジンと違い、頼まれれば手伝ってくれるぐらいの意味でのカウンターパートです。うちのプロジェクトのカウンターパートは、公式には学長も含めて14人いますが、これまでも紹介してきたとおり、ラボ専属技師(Lab Technician)は大学当局や教員からの指示で行動するポジションなので、同じラボ専属技師間の「阿吽」で力仕事やらロジスティクス支援やらやってくれることが多少あっても、自ら会議で発言したり、どこかで発表したりする権限はどうやらないようです。

したがって、2人とも、ファブラボCSTの制度作りに貢献してくれたとは言いがたく、「カウンターパート」と定義できるほどの仕事量はなかったと思います。それでも、昨年11月末にアイデアソンを開いた時には参加してくれていたし、その後そのアイデアにもとづいて解決策の試作や量産に取り組んだ時には、実際の作業をやってくれたメンバーでもありました。

5月11日には、教職員あげての送別会が開かれました。辞める教職員はなんと6人です。でも、「教員」は1人だけで、残りは「ラボ専属技師」や「管理部門職員」でした。うち、オーストラリアに行くのは「教員」や「ラボ専属技師」の計4人。あとの2人は送別会欠席でしたが、うち1人は家庭の事情だとか。

官公庁や学校、医療機関などでは、オーストラリアに留学や移住をする人が続出して、毎週のように職場の送別会が開かれていると耳にします。その上、後任確保も後手に回り、引継ぎもまともにされないから、残っているスタッフに負担がかかり、サービスの質が劣化する状況が起こっているケースも。

ファブラボ・ブータンの元スタッフの中にも、オーストラリアに行ってしまった若者が4人います。私がティンプーでよく使っていたタクシーの運転手も、「娘をオーストラリアの大学に入れて、娘のビザで自分もオーストラリアで運転手として働こうかと考えている」と言ってました。

大学でも教職員の離職は起きていました。でも、それは現在進行中の大学教育改革で、王立ブータン大学傘下のカレッジの学科を極端に理工学系にシフトさせ、人文・社会科学系の学科の定員を絞ろうとしていることにともない、文系学科のカレッジで主に起こっている現象だと私は思っていました。

だから、私のいる科学技術単科大学(CST)は辞めたのはゾンカ語教師だけで、今の大学教育改革の時流に乗っているCSTから、教職員が流出するなんてもったいないこと、誰が考えるのだろうかとたかをくくっていたのです。

しかし、結果はお話ししたとおりです。うちの大学の教職員の中にもヒエラルキーはあって、「Teaching Faculties」と呼ばれる教員が最も上で、「Lab Technician」(ラボ専属技師)や「ADM Officer」(事務職)、その他庶務の人たちは下です。そうすると、待遇がよろしくないラボ専属技師の中には、修士の学位を取ってステップアップしたいと考える人は当然いますし、ひょっとしたら教員の中にも、修士号すら持たずに学士号のまま教員採用された人は、修士を取るチャンスを虎視眈々と狙っていたかもしれません。

この国には、その人の能力を測る尺度が「学士」「修士」「博士」といった学歴しかありません。日本だともっといろいろな資格や免許が存在し、それらが当該分野におけるその人の知識やスキルを証明してくれますが、そういう代替的ものさしがないと、すべてが学位に集約されてしまい、学位取得にドライブがかかるような状況を招いてしまいます。

ステップアップを考えて留学機会を狙っているのならまだいいですが、待遇への不満がその底流にあると漏らしてくれたスタッフもいます。オーストラリアに行けば、未熟練労働に従事してもブータン国内で常勤ポストで働くよりもいい収入になるといいます。物価上昇率ほども給料が上がっていかない。国内にいては生活も厳しい。だったら誰だってオーストラリアに行きたいと考えるでしょう。

CSTは大学教育改革の時流に乗っているから辞めないなどというのは幻想でしかなく、今回の6人は氷山の一角に過ぎません。この6人の離職によって、私の周りの人もざわついています。カルマさんやテンジンですら、プロジェクトの協力期間中はともかく、期間終了後いつまでファブラボCSTまわりにいられるのかはわからないと言います。


2.心境複雑な送別会

今回のKやYの離脱劇は、2人がそれほどプロジェクトの枢要を担っていたカウンターパートではなかっただけに、プロジェクトへの影響はそれほど大きなものではないと思います。でも、2人は実は昨年9月に日本に派遣された技術研修員のメンバーで、ファブラボ浜松やファブラボ長野で受け入れていただいています。研修を一種の投資と考えると、その費用はどう回収すべきでしょうか。KやYはまだ比較的ファブラボCSTの運営に協力してくれていた方だと思いますが、それで投資を回収できたのかと問われると、正直悩みます。

さらに、もしこれが、カルマさんやテンジンのように、ファブラボCSTの運営や技術的バックボーンを担っている人物であったとしたらどうだったかと考えると、心がざわつきます。

世話になったこともあるので、KやYの送別会には私も出席しましたが、彼らのすがすがしい表情を見ても、同僚たちの贈る言葉を聴いても、心はまったく晴れません。心境は複雑で、笑顔で送り出そうという気持ちにはまったくなれませんでした。


3.「オーストラリア」に侵食される国際協力

さて、こんなことはブータンの職場では日常茶飯事となっている昨今、我が国が従来得意としてきた、カウンターパートがいる前提での技術協力は、もうブータンでは限界に来ているのではないかと感じます。自分の配属先での人材引留め努力の不足を棚に上げて、問題を一般化するような発言でごめんなさい。でも、こうなってくると、何年もかけて人を育てるというのは、今のブータンには合わないのではないかと思えてくるのです。

カウンターパートが頭数だけは大勢指名されている私のプロジェクトなどはまだましな方で、協力隊員の方は通常カウンターパートと一対一で活動されていることが多いと思うので、そのカウンターパートが急にいなくなると、カウンターパートの分の仕事も負わされるような状況になります。

長年、「丸投げ」とか「マンパワーサポート」とか、私たち自身が自虐的に語って来た言説は、今はもっと悪化しているのではないかと思います。

ブータンの技術協力で、何年もかけて育てたカウンターパートが、突然「オーストラリアの奨学金が取れたから2週間後に辞めたい」と急に言い出すというケースは、私の1回目のブータン駐在時、JICAブータン事務所長時代からすでに顕在化していました。日本人専門家からの苦情を受けてカウンターパート機関の長にクレームを入れると、「留学するという選択は個人の権利、私たちは介入できない。即戦力を後任として配置するから、それで勘弁してくれ」と言われます。技術協力を何年も続けてきたカウンターパートの後任に「即戦力」って、そんな即戦力がいるなら技術協力など必要ないではないかとあきれていると、配置された後任が実は大学新卒1年目だった…。

こういうケースが年に数件あると、さすがに看過できなくなり、ブータンを兼轄しているインドのオーストラリア大使館の国際協力担当の方がブータン入りし、国際機関や二国間協力実施機関の長を集めて意見交換会を主催された際、私は、「なぜ留学ビザが下りてから2週間程度で職場を辞めなければならなくなるのか。これでは、オーストラリアの外国人受入れ政策が、現場での開発協力の足を引っ張っているのではないか」と問いました。もう5年以上前のことです。大使館の方は、「知らなかった。確認する」とおっしゃっていましたが、現状は、改善どころか悪化してます。Kは、留学ビザが下りてからCSTを去るまでに、わずか10日しかかかっていません。

オーストラリアの外国人受入政策が、日本の二国間開発協力の有効性を損ねている状況にあるわけで、日本政府としてオーストラリア政府に何か「もの申す」ことができるチャンネルはないのでしょうか。


4.人がその場に長く留まることを前提としない国際協力

では、こんな状況で何ができるのでしょうか。ここからは、日頃思ってきた自分の勝手な私見を開陳させていただきます。

少なくとも、出発点は、人がその場に長くとどまることを前提とした国際協力のモデルは、ひとまずリセットしたところから考え方を再構築することなのではないでしょうか。

1つめは、現職(OJT)よりも就業前(Pre Service)にフォーカスした人材育成です。これまでの人材育成のやり方は、公的機関にすでに在籍している職員をカウンターパートにして、何年もかけて一緒に働く中で育てるというものでしたが、これほど人材流出が起きることが常態化しているのなら、もともと漏れがあるとされてきた就業前の大学生や中高生、職業訓練生を対象とした指導であってもいいじゃないかと思えてきます。言い換えれば、これらの学生・生徒をカウンターパートと見なした開発協力です。

おのずと、そこで教える内容も、そこに携わる開発協力人材の自主性にだけ任せるのではなく、ある程度ガイドラインを実施側で作成して、それを異なる配属先で活動する関係者に周知していくことも求められるでしょう。

2つめは、公的機関直営よりも現地民間事業者の活用です。ファブラボCSTの持続可能な運営のあるべき姿を考えると、学生が機械を使っているケースが少ない午前10時から午後4時頃までの機械の稼働時間をどう上げるかが課題となります。テンジン君も自分の授業があって時々ファブラボを留守にしたりすることがあり、この時間帯にCSTの被用者が受託生産に精を出すというのは難しいと考えられます。仮にCSTの教職員が注文を取って来たとしても、それをテンジン君に丸投げされては困る。ファブラボ専任スタッフがCSTの機構定員上簡単に増やせないというのなら、いっそ公設民営にして、民間事業者に運営を委託したらどうなのかと。そうすれば、専従スタッフも確保でき、受注者は空き時間に営利活動だってできる。

もともと、国連機関や世界銀行、アジア開発銀行などがブータンで行っている事業は、民間のコンサルタントを使っているケースが多いので、相手国側公的機関に職員がいてカウンターパートを務めることが前提となっている日本の開発協力のやり方とは、「職員大量出国」の影響の出方が違うような気がします。

法的にはいろいろ制約があってすぐには難しいかもしれませんが、こうして、民間事業者を公的サービスに取り込んで、民間の人材の活用を進めることを、技術協力プロジェクト、協力隊派遣など、事業形態を問わず、事業横断的にもっと考えて、カウンターパート機関にも働きかけていくことが長期的には必要なのではないでしょうか。人は去っても受託企業はとりあえず残ります。人がいなくて受託事業ができない状況を万が一迎えたら、事業委託を他社に切り替えるとか、そういう割り切り方もあるのかと…。

3つめは、「プロジェクト」自体の再定義です。技術協力プロジェクトでは、協力期間終了後のインパクトの持続性や自立発展性が常に問われます。しかし、その協力が終わって日本人の関係者が去ったあと、数年が経過してその場所に行ってみると、協力期間中に活況を呈していたプロジェクトのサイトが閑散としていて、今は別のドナーの資金で行われている別のプロジェクトへの対応で忙しくしている元カウンターパートの姿が見られることが多い。かと思うと、全然別の場所でたまたま近くにいたブータン人と会話した中で、「昔〇〇先生にお世話になった。いい先生だった」と言っていただくこともあります。

従来の技術移転型プロジェクトであれば、協力期間が終了しても、カウンターパートはその場に残ってプロジェクトのインパクトの維持発展にずっと貢献していってくれることが想定されていたと思います。でも、協力期間終了後、相手がどこに行ってしまうかわからなくても、その協力期間中にある目標指標だけを大幅に改善させるという、インパクト型プロジェクトというのももっと認められてもいいのではないでしょうか。そこで重要なのは、どういう成果指標を設定するかでしょうけど。

4つめは、特定技術の移転よりも、どこに行っても使える技術やスキルにフォーカスすることです。何かを教わってもどうせその相手はその場を去っていくのだから、いっそのこと去って行った先でも生かせる技術やスキルを育てるのに注力した方がいい。これも自分のプロジェクトで起きたカウンターパートの退職に際し、私が自分に言い聞かせたことです。KやYが、引っ越した先にもファブラボはある。だから、日本に研修に行かせたりしてプロジェクトが彼らに行った投資は、もっと長い目で回収を捉えた方がいいのかも…。

CSTの学生が大学を卒業し、将来どこに行ったとしても、その近所にはファブラボやメイカースペースはたいていあります。だから、「身近なところに工作機械がある今のうちに、使用する経験をいっぱい積んでくれ」と、利用者向けオリエンテーションでは必ず伝えるようにしています。

ファブラボはネットワークのことも指します。ファブラボCSTの利用者が将来「卒業」して、世界のどこかのファブラボとつながってくれたら、それがファブラボCSTとそれらのラボとのつながれるきっかけになるかもしれないじゃないですか。そういう意味では、小中学校でのSTEAM教育や探求型学習にコミットしていく道筋なんて、もっとあってもいいのではとも思います。

5つめ―――。書こうとしたのですが、人の移動の問題とどう絡めて述べたらいいのか整理がまだつかないので、これはまたの機会にさせて下さい。


5.こぼれ話

ところで、このオーストラリアへの大量出国問題についてはこぼれ話もあります。私のFacebookの知り合いで、長年、英国人女性篤志家のブータン側エージェントとして、彼女のブータン向け支援の個人事業を支えてきたU君が、自身のFacebookで、「オーストラリアのビザが下りた」とアナウンスしていました。友人の多くが「おめでとう」と祝辞を贈っていたのですが、U君はその翌日、慌てて別のポストをFacebookに載せ、「あれはフェイクだ、信じるな」と発信していました。こういうフェイクニュースで衆人の心をさらにざわつかせる不届きな輩も出てきているのは、とても残念なことです。

本日のお話は、自分のプロジェクトのカウンターパートが2人ほぼ同時に辞めたという出来事に端を発して書きはじめたものですが、プロジェクトの自立発展性を損ねるものだとの前提で進める議論の過程で、そういう状況を批判的に捉える日本の関係者の側にはまったく交代や異動がないという前提も、けっこう根拠があやしいかもしれないと、最近思っています。


【2023年6月13日追記】

いずれ書こうと思いますが、久しぶりに2015年のSDGs策定当時のことを思い出す機会があって、過去に自分がどんなことをSSブログで書いていたのか調べていたのですが、そしたらこんな記事を見つけました。熟練労働者の国家間移動を促すことが持続可能な開発の実現にかなり費用対効果が高い方策だとの研究論文を引用したものです。

自分でも書いていたことを忘れていました。これを読むと、熟練労働者が国外流出するのを黙認する政策というのも、あながち的外れではないのかなとも思えてきました。

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