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ファブラボ・ネパールとの対話を開始

1990年代後半、初の海外駐在任地として首都カトマンズに住んでいた私にとって、ネパールは思い出の地であります。妻と私が名付け親になったお嬢さんもいて、ちゃんと教育も受けて両親と私たちの間で英語~ネパール語の通訳をやってくれるまでに成長してくれました。その後、インドやブータンのJICAの事務所でも勤めましたが、その都度、1週間程度のお休みをいただき、ネパールには足を運んで彼女の成長を見守りました。

駐在した当初はまだ若かったこともあり、日常生活でも使いこなせる程度のネパール語は現地で覚えました。一時は忘れかけていましたが、ネパール系住民が多いブータン南東部のプンツォリンで暮らす今、現地の人とのコミュニケーションでそこそこ役に立つ武器となっています。

今回は、ブータンからは一時離れて、ネパールのファブ事情について、私の知る限りの情報をご提供したいと思います。


1.きっかけはネパール大地震

2018年、当時JICAブータン事務所長だった私は、5月と9月にネパールを訪れました。2015年4月から5月にかけて、ネパールを大きな地震が二度襲いました。最初の訪問は、先述したお嬢さんとそのご両親が、被災から3年経過して、どのような生活を送っているのか確認してくるのが目的でした。以前住んでいた住居が崩壊し、一家で引っ越した後だったので、人に尋ねて住まいを探すのが大変でした。それでもなんとか発見し、旧交を温めることができました。

早々に目的をクリアした後、せっかくネパールに来たのだから、大地震の際に被災地に3Dプリンターを持ち込み、瓦礫を復興資源に変える取組みを行ったという国際NGOの活動が、今どうなっているのか調べてみようと思い立ちました。

その国際NGOの名はCommunitere(コミュニテーレ)といいます。残念ながら、Communitereはすでに現地活動を終えていて、その活動はNepal Communitere(ネパール・コミュニテーレ)という組織に移管されていました。ただ、瓦礫を復興建設資材に再利用するというような記述はネット上では見当たりませんでした。このあたりのことは、以前のnoteでも紹介しているので、そちらも参照していただければと思います。

noteの記事では、Nepal Communitereが現在「FabLab Nepal(ファブラボネパール)」を名乗っているように書きました。しかし正しくは、Nepal Communitereはその後Impact Hub Kathmandu(インパクトハブ・カトマンズ)となり、そこにデジタルファブリケーション機能が付設され、それがファブラボネパールとなっているようです。


2.技術支援を行えるField Readyの存在

2018年5月のネパール訪問では、Nepal Communitereには行けたものの、場所の確認とちょっと活動に触れる程度のことしかできませんでした。里帰りの際に思いつきで行ってみたものなので、期待した通りの成果がすぐに得られるとは私自身も思っていませんでした。一方で、この時は別の国際NGOの現地事務所をアポなし訪問することができました。それがField Ready(フィールドレディ)です。

「ネパール大地震の際に被災地に3Dプリント技術を持ち込んだ国際NGO」という条件で検索をかけると、Communitereはあまりヒットしませんが、Field Readyは確実にヒットします。ですので、パタンにある彼らのオフィスの場所も、ネットですぐに確認でき、アポ取りよりもとにかく突撃で行ってみようと考えました。門の前でチョキダール(警備員)に声をかけ、なんとかネパール語で説明してスタッフにつないでもらいました。それが、ベン・ブリトンさんとラム・チャンドラ・タパさんでした。

Field Readyは民家に入居。パタン病院に近い(2018年)
左端がベンさん、筆者の左隣がラム・チャンドラさん
建物の一室を3Dプリンターが占拠。ここで試作されたものはThingiverseでもダウンロード可能
現地で入手可能な素材を利用して、被災地での救援活動に使えるエアバッグを試作。今やネパールの全州に配備されている
3Dプリントされたビニール管連結パーツ

Field Readyは緊急援助・人道支援の現場に新技術を適用し、支援のやり方にイノベーションをもたらすことをめざす国際NGOで、2016年5月の世界人道サミットでは、「科学と人道支援」というアジェンダのリード役となっていました。このサミットにはJICAからも代表団が出ていましたが、「存在感を示す」というのが出席の目的となっていることが多いので、役員クラスか部長クラスによる全体会議での発言機会の確保とバイ面談、あとはどこかの研究機関やドナーとサイドイベントを共催するのに追われていて、「科学と人道支援」というアジェンダがあったとしても、その時点ではアンテナに引っかからなかったかもしれません。

被災地の現場で何が喫緊求められているのかは、現場にいないとわかりません。おのれのスキルを高めていって、現場で必要とされるニーズに、現場で入手可能な資材と、自ら持ち込んだジェネラルパーパス・テクノロジーを駆使して、現場レベルで迅速に対応しようとするField Readyのアプローチは、私にとっては大きな驚きでした。そして、そういうプロセスにラム・チャンドラさんのようなネパール人も加わり、いずれネパール人で運用していけるようになることが期待されています。

実際、被災から3年が経過した2018年当時はすでに復興フェーズに入っていたため、Field Readyは、次の災害に備えて捜索救援活動に利用できる器具の研究開発や、全国のヘルスポストを巡回して不具合のある医療器具を特定し、その場で3Dプリントして実装するといった活動にシフトしていました。また、非常事態で役に立つスキルを平時に高めておくため、ハードウェア・スタートアップの支援にも関わっており、それが先述したNepal Communitereのようなインキュベーション施設への技術的支援にもつながっています。

ベンさんと知り合いになれたことがきっかけで、同年9月にNepal Communitereが会場になって、ネパールで初めてのメイカーフェア「Kathmandu Mini Maker Faire」が開催された際、ベンさんに紹介してもらって、Nepal Communitereのバハル・クマール代表にも会うことができたのです。

現場で必要とされるデザインスキルをかなり高いレベルにまで高めているスタッフがField Readyにいることが、将来的にカトマンズにファブラボができた場合も、技術的に大きな支援基盤になるに違いない―――私はそう感じました。さらに、英国(DFID)が継続的にNepal Communitereの支援は行っているようでしたし。


3.ファブラボブータンのネパール訪問

このあたりまでの経緯は、拙著『ブータンにデジタル工房を設置した』でもご紹介しました。2018年当時、ファブラボブータンのツェワンは、彼独自の欧州へのネットワーク開拓に加えて、私が足で開拓したチャンネルをあとからなぞってネットワークを広げるような動き方もしてくれていました。2018年11月のField Readyネパールチームのブータン招聘も、ツェワンがベンさんと連絡を取って実現させたものです。

さらに、ツェワンは、ファブラボブータンのカルマ・ラキ代表とともに、2019年7月、Field Readyが「Humanitarian Design Challenge」というデザインスプリントを開催した際、ゲストとして呼ばれてカトマンズを訪問しています。

この頃、私はすでにJICAブータン事務所長としての任期を終えて帰国していたので、当時ファブラボブータンの置かれていた状況まではあまり把握していません。でも、ネット情報で見る限り、4月に国王陛下がファブラボを訪問され、5月にモンガルでブータン初のロボティクス五輪が開催され、外部者から見ると順風満帆だったように思えました。ツェワンやカルマ代表のネパール訪問も、このイケイケの時期に行われたものです。

ただ、あとで聞いたところでは、この頃からスタッフに対する給与未払いの問題が起き始めていたそうで、足元の実施体制にほころびが見え始めた時期でもあったようです。カトマンズ訪問後、ファブラボブータン側で、その経験を自身の活動でも生かそうとの動きは確認することができません。一方、Nepal Communitere、現在のImpact Hub Kathmanduの側では、ブータンに倣って我々もファブ施設を作ろうと盛り上がったようで、そこから2021年1月のファブラボネパール発足に向けた歩みが始まっています。ネパール初のファブラボ設置ということで、米国MITやファブファンデーション、ダッソー社からの直接支援も得られたようです。

しかし、ファブラボブータンとの接点は、ここで途切れています。


4.Field Readyとのつながりの維持

ちなみに、私が現在のJICA技術協力プロジェクトの専門家の打診を受けたのは、2020年2月頃のことです。しかし、その直後から新型コロナウィルス感染拡大がはじまったので、ブータン渡航の目途はまったく立ちませんでした。東京で待機している中で何ができるのかを考え、カウンターパートである王立ブータン大学科学技術単科大学(CST)とネパールのField Readyをつなぐオンライン会議を2020年7月に開いたことがありました。その際にも窓口だったベンさんと連絡調整を行いました。

また、Field Readyのアジア太平洋地域担当ディレクターで、2018年11月にベンさん、ラム・チャンドラさんとともにブータンを訪問したアンドリュー・ラムさんとも、連絡を取っていました。もともとField Readyの経営陣に近いアンドリューさんには、「緊急人道支援分野でJICAとの連携をもっと深めたい」と言われ続けていました。しかし、日本のODAの実施体制では、緊急支援は国際緊急援助隊事務局だし、人道支援と言われても、内容によっては人間開発部だったり、平和構築室だったりと、窓口がわかりにくくなっています。組織対組織の対話のチャンネルが作りにくかったので、私には何もできませんでした。しかし、国レベルであれば、JICAのフィジー事務所長に連絡して、同国でのField Readyの支援したイノベーションハブを視察してもらうよう働きかけたりして、私の肩幅でやれることはやったつもりです。それを理解して、生かすことを考えて下さるかどうかは、私以外のJICAの役職員の意識の問題だと思います。もちろん、私自身の社内での発言力、説得力の乏しさは、言わずもがなですが。

Field Readyとは、このような連絡のチャンネルを私の方で細々と維持していたわけです。ここから話をファブラボネパールの方に戻していきます。


5.関係構築のきっかけ

ファブラボネパールとの対話のきっかけとなったのは、10月にインドネシア・バリ島で開かれた第17回世界ファブラボ会議(FAB17)、通称「Bali Fab Fest」です。私自身はこの年次会合には出席していませんが、ファブラボCSTからは私の同僚でファブアカデミーを今年修了した4名が、また私が派遣されているJICAのプロジェクトからは、業務実施コンサルタントのチームの補強人員で入っておられるファブラボ浜松の竹村真郷さんと、国際大学GLOCOMセンターの渡辺智暁先生がバリ入りされました。

また、この直前、私が一時帰国した際、アフリカ某国の日本大使館の特命全権大使とお目にかかる機会があり、大使のご意向を伺った上で、Field Readyのアンドリューさんを大使にご紹介すると約束していました。実際に連絡を取ってみると、アンドリューさんはField Readyをすでに辞め、Internet of Productionという、別のアライアンスを立ち上げておられました。(「生産拠点のインターネット」って言葉も、なんだかシンボリックですね。)

アンドリューさんは、自分はField Readyを離れているが、アフリカの話はあれば協力するとおっしゃっていました。彼は、ケニアの某ファブラボの理事をされているようです。彼もまた、バリ入りされていました。

加えて、JICAが初めてファブラボを支援したケースとして知られるフィリピンのファブラボボホールで働いていたリチャード君も、フィリピンからバリ入りした4人の中に含まれていました。彼は、フィリピンのField Readyのチームに加わったとのことでした。(ファブラボで力をつければ、Field Readyの現地事務所というのはキャリアパスとしては大いにありだと思います。)リチャード君は、竹村さんや渡辺先生とも元々面識があります。実は私も2015年12月にファブラボボホールを訪問したことがあり、リチャード君とはそこで会っているのですが、忘れられてました。

JICAと関係の深い3カ国のファブラボの担当者がバリで初会合

リチャード君からは、「必要ならField Readyのネパールチームにもつなぐよ」と言われました。JICAと関わりのあったフィリピン、インドネシア、ブータンの3つのファブラボは、バリで顔合わせのミーティングを行いました。その後、竹村さんから、「アンドリューさんと会った」「ファブラボネパールから来ていた3人に会った」という写真がSNSで送られてきました。

ファブラボネパールからバリに来ていた3人(写真/竹村真郷さん)

もともとつながり自体はあったField Readyはともかく、ファブラボネパールとつながるきっかけが作れた瞬間でした。


6.ファブラボネパールとの初の対話

そして、ここからは私とファブラボネパールとのやり取りになります。竹村さんからメアドを教えていただいたので、私はさっそく一報を入れました。ちょうど、Impact Hub Kathmanduが11月中旬に「Global Plastic Upcycle Makeathon」という、3日がかりのオープンイノベーションイベントをやっていたので、うちで行った10月のメイカソンの経験も合わせ、経験と教訓の共有機会を持とうという提案も込み込みで。

しばしの間を置いて、カトマンズから返事が届き、11月30日、ファブラボCSTとファブラボネパールの初のZoom会議をすることになりました。当方からは、マネージャーのカルマ・ケザンさんと専属技師(兼ファブアカデミー卒業生)のテンジン君、それにCSTの学生インターンが同席しました。先方は、12月末で退任されるバハル・クマール女史に代わってImpact Hub Kathmanduの代表に就任するパドマクシ・ラナさんと、バリに来ていたパラブ・シュレスタ君、シャシャンク・デワン君が出席しました。

Zoomで初顔合わせしたファブラボネパールの3人。手前がパドマクシさん。

パドマクシさんから、面談希望の主旨について冒頭ブリーフがありました。主には2点あり、1つは、来年ブータンがホスト国となる第18回世界ファブラボ会議(FAB18)でのイベント共催の提案、もう1つは、JICAネパール事務所につないでほしいとの要望でした。

1点目については、個人的にはまだFAB18が本当にブータンで開催できるのかどうかは不安なので、方向性については同意するけれど、先ずはお互いを知ることから始めようと私の方から逆提案しました。もうちょっと広い視聴者を集めて、経験共有機会を設けようというものです。繰り返しになりますが、私は彼らが行ったメイカソンのアレンジや、内陸国文脈でのプラスチック廃棄物のアップサイクリングの取組みには興味がありましたし、話をしてみると、私たちが行ったメイカソンも、彼らに学びになるところがありそうでした。

また、ファブラボネパールはImpact Hub Kathmanduという、インキュベーション施設のハードウェア開発支援部分を担っているという位置付けなので、パドマクシさんの話は、かなりスタートアップ支援に特化して論じられている印象がありました。一方、ファブラボCSTは、大学学内に併設されたファブラボなので、先ずは技術教育のあり方を見直そうというプロジェクト目標の設定をしています。スタートアップ支援に焦点を当てた活動にはまだ未着手の状態で、Impact Hub Kathmanduに対して議論を受けて立つとしたら、CST側でも、テック・インキュベーションセンターや、近隣のチュカ県経済開発担当官(EDO)にも入ってもらって、より包括的な体制を取る必要がありそうです。

さらに、ファブラボネパールは、ファブラボCSTがブータンのファブコミュニティ全体の代表だと誤解していたようです。今ブータンにはファブラボが6つあって、CSTはそのうちの1つに過ぎず、南西地域のコミュニティのニーズに応えることが求められているという点への理解も、意外と不十分に終わったように思われました。次回またZoomでミーティングをやるなら、もっと視聴者のカバーを広げて、他のファブラボからも出席者を募ろうという提案を、こちらからさせていただきました。

ネパールのJICA事務所につないでほしいとの要望の背景は、次のようなものです。彼らは100%民営で行っているファブラボです。世界的に見ても民営の場合は資金難に陥っているところが多くあるように思いますが、それと同様の課題を抱えています。なかなかネパール政府の支援も得られない状況なので、ドナーから資金支援を受けたいということのようです。

しかし、以前別の記事でも書いた通り、ドナーがファブラボを新設したり、特定ファブラボを何らかの形で支援する意思決定をするのには、非常に時間がかかります。そういうアプローチの仕方ではドナーは最初から警戒姿勢を強め、まず期待通りには動きません。特にJICAは動かないでしょう。逆に、デジタル工作機械のようなジェネラルパーパス・テクノロジーは、使いようによっては現在実施中の様々な分野課題におけるドナーの実施案件で、何らかのソリューションの試作が必要になった時に、それに対応できるものでもあります。むしろ、現在実施中の案件と紐づけられるようなプレゼンを、ドナーに対しては行うべきではないか、私からはそう伝えました。

例えば、私はブータンでは新任隊員への現地オリエンテーションでファブラボの活用についてお話させていただいていますし、技プロの専門家の方々ともコミュニケーションを取り、連携を積極的に進めてきています。JICAブータン事務所は、もともと、事務所の調度品のカスタマイズ製作について首都のファブラボに発注するような取組みを、私が専門家として着任する前からして下さっています。そういう試作品の製作プロセスにファブラボが絡むことによって、デザイン料や人件費等を得るという歳入フローができ、認知度も高まるのではないかと考えます。

ネパールでも、JICAに限らず、多くのドナーが様々な事業を行っておられることでしょう。現在のJICAのネパール事業の概要は、私も不勉強で承知していませんが、それならば使ってみようかという小さな試作品製作機会は、ネパールにもあるのではないかと思います。

資金援助の要請ではなく、そういうシングルヒットを積み重ねていって欲しい。先ずはファブラボネパールが立地するImpact Hub Kathmanduの敷地に、JICAの関係者を案内する機会を提案してみてはどうかと。

以上については、ファブラボネパールの3人に対してだけでなく、JICAネパール事務所の所長さんにもお伝えしたところです。これで動いてくれるかどうかはファブラボネパールの今後の行動次第でしょう。


7.最後に

隣の芝生は青いとよく言われますが、私から見ると、ファブラボネパールは、①Impact Hub Kathmanduの敷地内にすでに様々なテナントが入居していて、ハードウェア開発の拠点が加わることで構内でのシナジーが生まれやすい、②Field Readyや英国Royal Academy of Engineeringが技術的専門性の高いエキスパートを置いて技術的なバックストッピングが効いている、③ネパール政府があまり介入して来ないことで、かえって政治的思惑に振り回されずに自律的な活動が組み立てやすい、④スタートアップの層だけでなく、潜在的利用者・受益者の層がブータンに比べて圧倒的に厚い、といった点で、大きなアドバンテージがあるように思えます。

ネパールで行われている開発協力事業の関係者の方々、何か現場に近いところでのプロトタイピングの可能性があれば、是非活用をご検討下さい。私の方からは、自信を持っておつなぎします。

Impact Hub Kathmanduは、27年前に私たちが住んでいた自宅から比較的近い場所にあります。そして、その頃に生まれた若い子たちとZoomでコラボの話をするのは、なんだかとても不思議な感覚でした。私のようなオッサンなんぞがのこのこ代表ヅラして出ていくより、こちらも早く若い子たちにバトンを渡したいと思ってしまったのでした。

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