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066/1000 サイクリングと映画鑑賞でリフレッシュ。今日も解体作業はお休み。

えとうともこ@福井←福岡 です。今朝は5:30に目が覚め、以前から行ってみたかった九頭竜川の上流側へ行ってみることにして、チャリでスタート。解体業者さんが7:15には来てしまう平日土曜日と異なり、祝日の今日は時間の縛りがないので、遠くまで行っても平気です。永平寺から三国港まで整備されているはずの川沿いのサイクリングロード、福井市内は工事中で閉鎖されている箇所が途中にあり、下流方向は気分よく走れないことがわかっていました。浄水場の近くに自転車を休ませて、3キロ走ってからGo!! 
県の内水面総合センター→松岡河川公園→鳴鹿大堰→九頭竜川資料館というルートをたどってきました。途中何か所か信号機のある交差点を横切る必要はあるけれど、基本的に堤防に整備された道は坂もほとんどなく、ノンストップで快調に走れます。家からだと往復17~18キロの行程。もっと体力と脚力があるランナーなら走れる距離だと思うけど、今の私には無理だなぁ。上記のそれぞれのポイントにトイレもあること、確認。また行ってみよう。

午後は、2014年の映画「小さいおうち」をテレビで鑑賞。いろんな意味で、いい映画。ひとさまのレビューを読むと、わかってないなーという感想が多くて、ちょっとショック。伝わらないものなんだなぁ。山田洋次監督、すばらしい。黒木華も存在感が独特でうまかったし、なんといっても松たか子の演技がすごいと私は思ったんだけど、脇を固める豪華な役者さんたちの上質な演技あっての作品の質なんだろうと感じました。
中島京子さんの原作小説を読んだことはありませんが、映画の中でも出てくる、バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」は、我が家のこどもたちが大好きでした。私もお気に入りの絵本のひとつ。
おうちは生きていて、こころをもっているという話だったよね、、、ということで、あらためて解体してしまった実家の建物に思いが帰っていったりしました。
映画の中の小さいおうちは、東京大空襲で焼失してしまいます。その最期についてのエピソードはとても痛いし、救いでもあるし、皮肉でもある。ひとは、迷うし、惑うし、追いつめられるし、愛するし、愛し合うし、救いたいと願うし、罪悪感に苦しむし、それでも救われるべきものなのだ。

画像は、鳴鹿大堰からの眺め。堰き止められた豊かな水は、福井平野を張り巡らされた農業用水を通じて流れていき、田畑を潤し、実りを約束し、たくさんの命を育んでいることを知っているので、とてもありがたい気持ちになりました。


🔷2019・09・16  066 /1000

① 姿勢をよくすること。 △→ 朝、出かけたあとは引きこもっていたため姿勢悪くなりがちに。でも、午後にチアリーディングの日本選手権とバレエのドキュメンタリーをテレビ視聴したら、意識高まりました!

② ヨガを毎日実践すること(ヨガの師匠が重視する開脚を含む)○→ 以前に比べると自分の足を動かしやすくなった。股関節が特別やわらかくなったわけではないけど、自分の身体を自分のコントロール下に置くことへ向かった進んでいる感じがある。

③ 週に3回最低1キロ以上ずつ走ること。 今日も○ → 堤防3キロ。

④ 週に1キロ泳ぐこと。 未(→今回の福井滞在では、ジムや市民プール行きは諦めています)

⑤ できるだけ植物ベースの食事を摂ること ○ → 玄米を炊いたら、つい食べすぎていて、体重計に載るのが怖い、、、

⑥ 食事の際50回以上噛むこと。 △→ ちょっと早食いっぽくなっている。反省。

⑦ 投資に関する勉強を続けること。 ○ → 原油価格、そりゃ上がるよね、、、明日の東京市場はどうなるでしょう?

⑧ 今も書いている日記を毎日継続すること。 ○→ 今の日記帳は4月はじまりなので、そろそろ半分埋まることになる。半分くらいがページを開いたときに、いちばん安定するよね。

⑨ 日記で自分と他者をそれぞれ褒めること。 ○ → 今日もよくがんばっている。あなたも私も。

⑩ 1000日チャレンジの仲間を応援すること。 〇→ noteを中心に応援しています。

⑪ 以上①~⑩について、このnoteにできるだけ記録すること。〇(今書いてる)

今日はいいリフレッシュの日になりました。
さて、明日はいよいよ実家解体作業の大詰め。しっかり見届けなくては。

明日もいい日でありますように。

おやすみ〜


(以下、FB投稿文をコピペしておきます)

市の浄水場→県の内水面総合センター→松岡河川公園→鳴鹿大堰→九頭竜川資料館というコースを小さな自転車で走ってみました。福井市内より永平寺町内のほうが施設が整備されているような。景色がよくて気持ちよかったです。
映画「小さなおうち」は、いろんなことを考えさせられました。noteに書きそびれたこととしては、歴史的事実としては戦争中と考えられている時期も、市民の暮らしは穏やかで街はにぎやかで、ごく普通だったんだというのが怖いということ。絵本「ちいさいおうち」の主人公の幸せな(長生きする)おうち、実は技術力の高い日本ではとっくに実現可能なのに、そういう家を作ってこなかったんだよね、きっと…と悔しく感じたり…
ふと選んだ映画だったのに、家とか建物とか昭和という時代とかに気持ちがいってしまう内容だったのは、やっぱり偶然じゃないかも?

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