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罪と罰

読書

「終わらない戦争」小泉悠 :著 文春新書
を読んだ。
小泉悠氏は巻末の著者略歴によると
2022年より東京大学先端科学技術研究センター専任講師でロシアの軍事・安全保障が専門、となっている。
この著者の本を読むのは
「ウクライナ戦争」小泉悠 :著 筑摩書房 に続いて2冊目。
この「終わらない戦争」はロシアの軍事・安全保障の専門家である小泉氏と、関係する専門家同士の6回の対談で構成されていて

「ある時点における限られた(そして多くの場合は信憑性の不確かな)情報を専門家たちはどのように捌いているか」「専門家同士の思考プロセスを垣間見る」という色彩の濃い一冊になったのではないか

と、小泉氏は記している。
さてそこで素人としては
実に色々な情報があって・実に色々に考えるモノだなあ
以上の感想は持ちようがなかったのだが
一つだけ
これまで自分の中でモヤモヤとしていたことの回答があった。
それが
罪と罰 という視点。
大国の行動を抑止するのに役立つのは「罰」であって「罪」ではない、と。
考えてみると
罪とは倫理を基にしているのでそれが罪か罪でないかは時代により文化により集団により果ては人により種々様々であるが、罪を犯した人に損を与えることが罰なのである。
そもそも
悪人には二通りある、と思う。
悪いと分かって悪事を働く悪人と悪いとも思わずに悪事を働く悪人である。
悪いと分かっている悪人にはその罪を説くこともできようが
悪いと思わない悪人に罪を説いても「ナンのこっちゃ」である。
悪人が「悪いことをした」と悔いて罰を受けるなら納得できるが
「悪いことをした」などとはこれっぽっちも思っていない悪人だったら
罰を与えてもしようがないのではなかろうか
と、ずっとモヤモヤしていたのだが
悪いことをすれば罰せられるとなれば
それは損になるから歯止めがかかるだろう。
世の中にとっては罪と感じようと何だろうと
悪事が少なくなればとりあえずはそれでいいのだ。
動物でも 罰=損 は避けるものなのである。
ナンか、こう、自分としては割り切れたのでござる。

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