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まるで炭酸のように泡立ち、軽やかに変化するお店、『豆醍珈琲』。 #KUKUMU

兵庫県神戸市の和田岬駅。ここは大阪湾と神戸湾に面した岬の街です。駅のそばにある広々としたノエビアスタジアム芝生広場を通り抜け、静かな住宅地へ進むと見えてくるのは、小さな一軒のお店。

お店の名は「豆醍珈琲」(トウダイコーヒー)。店主は、上田善大(うえだよしひろ)さん。神戸元町で12年間営業していたカフェバー「コーヒーとお酒 スジャータ」を2020年に閉め、2021年1月、新しくオープンしたのがこのお店です。

「お店は預かりものであって、僕の所有物ではないんです。お店はお客さんがつくっていくものだから」。

一風変わった経営哲学をもつ上田さん。彼の人間的な魅力に惹きつけられるかのように、「コーヒーとお酒 スジャータ」は連日たくさんのお客さんでにぎわっていました。そのスジャータの常連客であり、ファンでもあった私、森川紗名が、現在の「豆醍珈琲」を取材させてもらえることに。「豆醍珈琲」に伺うのは今回がはじめてです。

では、いってきます!
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和田岬駅から徒歩5分ほどでお店に到着。かわいらしいポスターがドアの横で出迎えてくれました。デザインは切り絵作家のトダユカさん。上田さんの奥さまです。

店内は清潔でうっすらとほの暗く、思わず長居したくなるような心地のよい空間が広がっています。

店主の上田さんが、さっそくお店の看板メニューであるコーヒーを入れてくださいました。コーヒーを片手に、豆醍珈琲のこと、上田さんのことをたっぷり伺います。

the rocket gold starさんのマグカップがとってもかわいい。

昔、思い描いていた「かっこいいお店」ではないけれど。

——— とっても素敵なお店ですね。内装がかわいらしくて居心地がいいです。

上田さん(以下、上田):ありがとうございます。最近は Instagram や web の情報を見てお客さんが来てくださるようになったので、他に埋もれないような工夫をしたいと思ってお店をつくりました。
たとえば壁紙は印象に残る模様にしたくて、竹久夢路がデザインしたものを選びました。
ほら、コカ・コーラって、デザインの一部を見ただけでコカ・コーラだと分かりますよね。それと同じで、壁の柄を見ただけで「あ、豆醍珈琲や」って分かってもらえたら素敵やなって。

ひと目見て印象に残る竹久夢路の壁紙。

——— 壁の柄、ほんとうに素敵です。Instagram で拝見しましたが、内装をほとんど手作りされてるんですよね。

上田: そうなんです。お店全体の耐震補強だけは工務店さんにお願いして、あとは自分でつくりました。友達の左官職人さんに手伝ってもらいながら壁を塗って、床に青いタイルを貼って、テーブルや棚なんかも自作して。僕、なんでも一度は自分でやってみたい性格なんですよね。

——— 上田さんの手や心配りが全体に行き届いているから、お店の雰囲気にあたたかみを感じるのかもしれません。

上田: ありがとうございます。僕が昔思い描いていた「かっこいいお店」とはだいぶ違ってきてるな、とは思ってるんですけどね。

——— 思い描いていた「かっこいいお店」ってどんなものだったんですか。

上田: 自分がお客さんとして行きたいと思えるお店、でしょうか。そんなお店を、自分でつくれたら嬉しいなあと思っていました。それこそ、前のお店(スジャータ)のときは「お客さん目線」を意識しながら、かっこいいお店であるために工夫していましたね。
たとえば、お客さんがお店の扉を開けたときに、まず何が目に入るかを考えていました。
お客さんがまっさきに目にするのは、横長のワイドな窓とカウンター席。窓から神戸元町のキレイな夜景が見えます。そしたら夜景を邪魔しないよう、お店の人は端っこにいるのがいいよな、とか。
四季を問わず、常に同じスタイルでお店に立つことも決めていました。夏は短パンにビーサン、冬はダウンを着るとかじゃなくて、常に白シャツにエプロン。お店の雰囲気を壊さない調度品のような存在がいいなと思って。

切り絵作家 トダユカさんの素敵な作品。

——— そこまで深くこだわってらっしゃったんですね。おかげで、私もひとりのお客さんとして気持ちよく過ごさせてもらっていました。

上田: 今は「お客さん目線」みたいなものが一切ないんですよ。というのも、このお店は開店時間が12時~16時で、生活の合間に営業しているんです。
お店のとなりにある自宅で朝から家事をして、家のことが片付いたらお店を開けます。
お店のオープン中も、自宅から子どもたちが遊びにきたり、奥さんもしゃべりに来たりするから、まるで家族にハイジャックされているような状態になることもあって(笑)。
オンとオフが融合したような環境だからか、自然とお客さん目線を意識することがなくなっていきました。家事をするように仕事をしています。

——— では、今はプロとしての気持ちを特別に高めることなく、自然体でお店を営んでらっしゃるんですね。

上田: うん。もう、めっちゃそうなんですよ。オープンしてから徐々に変化して、オンとオフがないような今の状態になりました。
昨日の話なんですけど、16時を過ぎた頃に、植木鉢の配置を考えたり、植木に水をやったり、枝を切ったりしてたんです。そしたらご夫婦ふたりで来られたお客さんに「もう閉まってますか?」って聞かれて。
ちょっとびっくりしたんですよ。僕のなかに「お店が閉まっている、開いている」の感覚がなくて。「あ、そうか16時か。ほんまや、閉める時間か。いや、でも、僕さえお店にいればいつでもどうぞ」って気持ちでコーヒーをお出して、30分くらいそのご夫婦とおしゃべりしていました。

——— ふふふ。なんだかホッとするエピソードです。

上田: まあ、これはこれで、いいんやろうなあ。


「家事するように仕事する」というスタイル。

——— 営業時間が12時~16時というスタイルが珍しいと思いました。営業時間は元から決められていたんですか。

上田: そうなんですよ。3人の子どもたちの世話をしたり、洗濯したり、ごはんつくったりする時間のすきまを狙って、12時~16時やったらいけるな、と。

———  家族との生活に重きを置いてらっしゃるんですね。

上田: 家族の生活が最優先っていうのは、ほんとうにそうですね。家事は基本的に僕がやっています。
家事の役割分担しようとしていた時もあったんですけど、曜日や時間帯で奥さんと分担してしまうと「今日はちょっとお願い」となったときに、僕がめっちゃしんどくなってしまうんで。
そういうのは性に合ってないなあと思って僕が全部やることにしました。奥さんには「家事はたまに趣味としてやってもらえたら、僕はめっちゃうれしい」って伝えています。

——— へー! 男女関係なく家事や育児をやるというのは世の中のスタンダードになってきてはいますが、ここまでする人もなかなか珍しいです。

上田: どうなんでしょうねえ。僕は、家族というのは「今回の人生で自分のまわりにやってきてくれたお客さん」やと思ってるんですよ。ちょっと今のお店の経営と近い感覚かもしれません。
今世の巡り合わせで僕の元に来てくれた、期間限定の預かりもののような。せっかく縁あって出合えた人たちやからこそ、家族の満足と納得を追求したいっていう思いが強いのかもしれない。
そうしたら自然と、生活の合間にお店を開けて、まるで家事をするように仕事をする、というスタイルになりました。

——— なるほど……! ご家族を最優先に考えるのは、上田さんにとって、とても自然なことなんですね。

上田: 前のお店(スジャータ)を閉めた理由も、新型コロナウィルスにかかるとリスクが高い家族がいるので、病気を家に持ち帰るのを防ごうと思ってのことでしたしね。
その時々の家族にとっての最善をつくしたい。自分ができることを丁寧にやる。必要があれば、自分の生き方やスタイルを変えていく。
普段はあんまり意識していないですけど、そういう選択は僕にとって自然なことかもしれないです。

「向上」ではなく「スライド」したい。

——— 上田さんの話を聞いていると、無理に自分の志を通そうとか、やり切ろうとする頑固さがなく、変化を柔軟に受け入れていこうとしている感じがします。

上田: そうですね。向上心がないんです。「一生懸命やる」みたいな言葉も、ここ数年言ったことも、思ったこともないです。

——— 他のインタビュー記事で読んだのですが、サラリーマン時代に行ったお遍路がきっかけで、向上心がなくなったっておっしゃっていましたね。

上田: ああ、はいはい。お遍路の途中、滝行をしようとしたときに、僧侶の人に止められた話ですね。
「滝行しても、観音様とかが見えるようになるだけやから、やめとき」って。「え、十分すごくないですか、それ」と思ったんですけど(笑)。
その方に「いや、見えても仕方ないよ。自分が強くなっても、また次に立ち向かう相手がより強くなるだけやから」と諭されて納得しました。
あのときだいぶ価値観が変わりましたもんね。いやー、今思い返すと我ながらおもしろい体験でした。

——— はい(笑)。上田さんはその時からずっと、向上するのではなく、変化の波にいかに上手く乗るかを大事にされてきたんですね。

上田: そうですね。最近もまた、自分の考え方や受け止め方のスタイルを変えようと思ってるんですよ。

——— というと?

上田: 今、育児や家事、仕事とこなしてて、日々「やるべきことをやってる!」という達成感はあっても、自分のなかの満足感や納得感がないんですよね。ときどき息の詰まる感覚もあって。
そうなると、家族にとって“重い存在”になってしまうんですよ。いやー、なんか良くないですよね。このままだと誰に対しても良くないんで、透明になっていかないとと思って。

——— 透明!?

上田: ええ。だって、家族の誰かが「ふー」とか言いながら洗濯ものとかたたんでたら、重たいじゃないですか。そうじゃなくって、僕が透明になって、物事の受け取り方や感受性の型を変えて、機嫌よく、満足して、鼻歌を歌ってる状態にならんとあかんよなあと思って。

——— 感受性の型を変える……。

上田: 目の前に広がる世界を見たときに、同じものでも見る人によって捉え方や感じ方って違うと思うんです。
僕はついつい、何か問題に出くわすと「家族は大切な預かりものだから、僕がなんとか解決しないと」、「どんなにしんどくても期間限定やから」と考えてしまいがちで。
「僕は平和にこの場を収められたら、それでいいんや」と自分を守っていたところがありました。それがひとつの「型」になってしまっていたんですね。
保険をかけたような受け止め方と行動の「型」が、僕のなかに閉塞感を生んでいる気がしています。だから、僕にとって当たり前になっている「前提」を疑って、「自分の型」を卒業したいなあ、と。

——— それって、具体的にどういうことなんでしょうか。

上田: たとえば、「アイス食べたーい」と子どもに言われたとしたら、今までは「いや、もう2個食べたやん。我慢しようねー」と返すのがパターンだったんです。
だけど、これからはもっと偶然に身を投げ出してみてもいいかなと。子どもの言葉に耳を澄まして、様子にも目を凝らしながら「じゃあ、僕が半分食べるから2.5個にしよか」とか「アイスを上からじゃなく下の方向から食べるんやったら食べてもいいよ」とか言ってみたり……。まあ、たとえばですけど(笑)。
「父親」とか「大黒柱」とかの役割に囚われないで、もっと自由になって偶然に身を任せていきたいですね。

——— 守らない戦略、というか、保険を捨てる、というか……。

上田: そうですね。保険、やめます。もう来月から更新しません。仮に「上田さん、今解約したら損しますよ。もうすぐ満期やのに!」って説得されても「全然いいっす。僕にとってはプラスですから」みたいな(笑)。

——— 保険更新せず(笑)!  上田さんの問題意識の持ち方は、いわゆる一般的なものではなく個性的でおもしろいです。なにか参考にしている考え方はありますか。

上田: 今、哲学者の千葉雅也さんが書いた『現代思想入門』をちょうど読み返しているところなんです。
変化したがっている自分の背中を押してくれるヒントがたくさんあるんですよ。「こうでなければならない」と考えられがちな「既成の秩序」や「前提」を覆すような思想が、分かりやすく解説されていて。
先人の思想を学ぶことと、その思想を念頭に置いて日常を生きることとを繰り返して、「知恵」と「体験」の2本の紐をより合わせていくような、新鮮な縄を編んでいくような、そんなことをこれからしていけたらなとは思ってますね。

——— お話を聞いていると「向上心がない」とおっしゃる一方で「家族のためによりよく変化しよう」とされているのが、とても興味深いです。

上田: ほんまですね。……あ、でも、「向上」と思ってないんやと思います。「右肩上がり」的な比喩がまったくしっくりいかない。「向上」ではなく、「スライド」したいなと思ってるから。

——— ああ、なるほど。「もっとお金を稼ぐ、経済的に豊かになる」みたいなことではなく、自分にとっても家族にとってもより心地のよいところに、スルっとスライドするイメージ……。

上田: うまーく、労力少なめでスライドできたらなと思っています。もし、自分がいい感じに変わっていけたら、家族にいい影響がありますよね。家にひとり良くない感じの人がいるのか、良い感じの人がいるのかじゃ全然違う。そういう意味ではやりがいがあるなあ。

インタビューを終えて。

上田さんの愛読書である、哲学者の千葉雅也さんが書いた『現代思想哲学』に、デリダという思想家の考え方を解説した一文があります。

デリダの場合は、日常のなかに他者性が泡立っているようなイメージだと僕は思います。日常を、いわば他者性のサイダーのようなものとして捉える感覚です。一切の波たちのない、透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的魅力を持っているような、ざわめく世界として世界を捉えるのがデリダのビジョンであると言えると思います。

千葉雅也 著『現代思想哲学』

デリダのビジョンと、上田さんの生き方が重なります。3人の子どもたちのままならなさに振り回されながらも、そこに豊かさを見出す視座。家族に揺さぶられる日常を受け入れて、自分をしなやかに変化させてゆく柔軟性。上田さんは「他者を排除して自分の世界を安定させていたい」と望む人ではなく、他者を迎え入れ、常に泡立ち、変化し、その都度さまざまな表情を見せる炭酸水のような人なのだと感じる取材でした。

そんな上田さんとおしゃべりしたくて、今日も豆醍珈琲に幾人ものお客さんが訪れます。そして、お客さんを迎え入れるたびに、日を重ねるごとに、お店は少しずつ変化を重ねていきます。今、この瞬間の、豆醍珈琲で、あなたもひとやすみしてみませんか。
豆醍珈琲には、メインメニューのコーヒーをはじめ、おいしい炭酸ドリンクもありますよ! 今回はアップルヴィネガージンジャーエールをいただきます。

「昔、知り合いの氷屋さんから『お兄ちゃん、氷はケチったらあかんで』って言われたんですよ」と、上田さん。それ以来、氷は氷屋さんから仕入れているそう。
「炭酸水を注ぐ瞬間、BGMの音量を少し下げるんです。シュワシュワシュワっていう音を聞いて欲しくって」。ささやかなところにまでゆきわたった心くばりにびっくり。
伝わりますか? このはじけるシュワシュワ感!

アップルヴィネガージンジャーエール。一口いただくと、リンゴ酢とジンジャーエールのさわやかな香りが鼻から抜けていきます。シュワっとはじける炭酸の刺激がたまらない!

豆醍珈琲
〒652‐0855 兵庫県神戸市兵庫区御崎町1-5-2Instagram https://www.instagram.com/todaicoffee/

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文 :森川紗名
写真:上田善大・森川紗名
編集:栗田真希

食べるマガジン『KUKUMU』は、毎月テーマを決めて、食べることについてのnoteを更新していきます。4人のライターによるそれぞれの記事をお楽しみください。毎週水曜日の夜に更新予定です。『KUKUMU』について、詳しくは上記のnoteをどうぞ。また、わたしたちのマガジンを将来 zine としてまとめたいと思っています。そのため、上記のnoteよりサポートしていただけるとうれしいです。

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