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社畜が25年間の洗脳を解いた話【5】|上書き洗脳か催眠解除か

前回(↓)のつづきです。

「べち先生」

わたしは、かの天才科学者 苫米地英人博士を勝手にこう呼ばせてもらってる
(自分の中だけで…いや、今公表した)
怒られるな、たぶん。

すみません。このnoteでは”べち先生”で通します。


師匠がすべてじゃないのか?

べち先生の書籍を読み漁った結果、
当時のわたしがどういう状態だったのかを簡単に説明しておく。

わたしは、変性意識状態で人が催眠にかかることや、
人の心を動かす話法を使った商談テクニックを
すでに師匠から教わっていて、その知識や技術を仕事にも活かしていた。
べち先生の脳科学をベースにした学術的で論理的な解説、
仏教ベースの思想に触れ、

「なんだ、師匠だけがすごいんじゃないんだ」

と、純粋に思ってしまった。
まあ、わたしがあまりも無知だったというだけの話なんだが、

「師匠の教えがすべてではないのか?」

と、より真理を探究したいと思うようになった。
簡単に言えば視野が広がったのだ。


べち先生から教わったこと

もともと厨二病なところがあるわたしは、
陰謀論的なべち先生の本も大好物。
学校で教わった歴史が真実ではないことや、
社会の仕組みを知ってとても驚き衝撃を受けた。

実はべち先生、スピリチュアルを完全否定されているが、
そこはあんまり気にしていない(笑)
個人的に霊の存在は認めるけれど、
目に見えない存在に対してそこまで恐怖心がわかなくなったのは
べち先生のおかげだと思ってる。

人は目の前の現象を自分の都合のいいように情報処理し記憶していく

べち先生から教わった最も大きな教えはこれかもしれない。

べち先生のことも、わたしがどれだけ都合よく記憶していたのかが、
この脱洗脳シリーズを書き始めてよくわかった。


上書き洗脳か催眠解除か

前回の話では、数百人規模のべち先生のセミナーに参加するべく、
師匠に察知されながらも会場までたどり着いたところまでお伝えした。

運よくべち先生のお顔が良く見える位置に座ったわたしは、
メモはそこそこに彼の一挙手一投足を食い入るように見つめていた。
師匠以外で、わたしの知りたい真理を説く立場の人物を
初めて目の前にしたからだ。

みながメモを取るのに一生懸命な中、
たまたまわたしの周りの全員が下を向き、
わたしだけが正面を向くような時が一瞬訪れた。

その瞬間、べち先生と目が合ったのだ。

ほんの一瞬だったけれど、体感は数分。
ドキドキして、そのあとの話が頭に入ってこなかったのを覚えている。

洗脳されたかも…

当時のわたしはそう思ってしまっていた。

なぜ、そう思ったか。

わたしには、オウム真理教教団幹部の有名な女性信者に対し、
初対面で目が合った瞬間その場を支配したべち先生が、
一瞬で洗脳を解いたという情報の記憶があった。

その場(空間)を支配する」というのは、
師匠からもよく感じていたことだった。

目が合った瞬間、べち先生とわたししかその場にいない感覚さえあった。
師匠以外の教えに触れた罪悪感もあったのだろう。
(上書き)洗脳されたのではと恐怖心に近い感情を感じていたのだ。

このブログを書くにあたり、
べち先生の脱洗脳に関する情報ソースを色々と調べてみたが、
わたしの記憶通りの内容はどこにも見当たらない。
教団幹部の女性信者の脱洗脳情報はあるが、
一瞬で解いたとは書かれていない。

そのセミナー以降、わたしはべち先生の情報にあまり触れなくなっていく。
だが、視野を広げてもらったおかげで、
自分の知らない新しい教えに積極的に触れるようになっていった。

今ならこの時のことをよく理解できる。

あれは、上書き洗脳ではなく催眠解除の瞬間だったのだと。

脱洗脳と違い催眠解除というのがポイント。
実際に、あのセミナーから今に至るまで6年以上が経過している。

オウムの論理で考えている彼女の頭では、もう何も考えられない状態に陥っていた。そのため自分自身で考えるしかなくなる。この「自分で考える」という行為が、実は脱洗脳のプロセスそのものなのである。

苫米地 英人. 洗脳原論 (p.126). 春秋社. Kindle 版.

当時を思い出しながらブログを作成するにあたり、この文章を見つけた。

やはり、あれは催眠解除。
これまでの6年間は、
わたし自身が「自分で考える」という脱洗脳のプロセスだったんだ。

そのプロセスを歩むには、
催眠解除されるというわたしにとって都合のいい記憶が必要だったのだろう。




最後までお読みいただきありがとうございます!!
「師匠って誰?」「何に洗脳されてたんだ?」という方はこちらもご覧くださいm(_ _)m


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