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社畜が25年間の洗脳を解いた話【4】|天才科学者 苫米地英人博士とサイキック師匠

みなさん、自分年表ってつけてますか?

わたしは、いろいろあったこの数年で、自分の過去を振り返りつつ、自らの思考パターンや変化のきっかけを可視化するためのワークとして記録するようにしています。

ま、単にいつ何をやったかを忘れちゃうからなんですけどね。
人生40年以上生きると、記憶がポロポロとこぼれ落ちていくもんです。

前回書いた脱洗脳のきっかけになった1冊の本も、アマゾンの履歴から拾って年表に追記してました。

今回は、その小さな1歩を踏み出した後のお話。


天才科学者 苫米地英人博士とサイキック師匠

苫米地 英人(とまべち ひでと、1959年9月7日 - )は、日本の認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。カーネギーメロン大学計算言語学博士(Ph.D. in Computational Linguistics)。

Wikipedia

天才科学者 苫米地英人博士。
おそらく、わたしたちの年代だと知らない人は少ないのではないか。

そう、あのDr.苫米地だ。

師匠の教えに背き、わたしが手にしたのは偶然にも苫米地博士の書籍。
その1冊を読み進める中で、彼のことを思い出すことになる。

あれ?この人、オウム真理教信者の洗脳を解いた人じゃなかったっけ??

1990年代、日本を震撼させた一連のオウム真理教事件。
地下鉄サリン事件発生当時、わたしは高校生だった。
まるで映画の世界のような連日の報道に、テレビにくぎ付けになっていたのをよく覚えている。

その流れで、元信者の脱洗脳を手掛ける人として、苫米地博士がテレビに出ていたのを思い出した。
お名前はもちろんのこと、お顔も特徴的だったので覚えていた。

ここに来ての苫米地博士との再会(会ってはないが)
これぞまさに、縁起

最初の1冊目を皮切りに、博士の本を読みまくった。
脳科学、世界の仕組み、洗脳、コーチング、仏教…
どの本の内容もとても興味深く、自分の思考や境遇と照らし合わせると、
現状の環境に徐々に違和感を感じるようになっていた。

それからしばらくして、わたしは博士が登壇するとあるセミナーに参加することにした。
正直、セミナー内容には興味がなく、博士と同じ空間にいたいというストーカーみたいな理由(笑)

それは都内某所の高層ビルにある収容人数数百人規模の大きな会場。
私の席は前から10列目の真ん中くらいだったと記憶している。
実際に、壇上の博士ご自身やホワイトボードの文字も良く見えた。

ちょっと話は戻るが、
当時わたしが住んでいたのは、転勤のため引っ越したとある地方の山奥。
わたしは1日半の休みをとり移動に半日かけ、このセミナーのためだけに上京した。

しかも、その会場。わたしの会社(本社)の目と鼻の先。
誰にも内緒で来ていたので、会社の人に会わないかと冷や冷やした。

もし見つかったら、もちろんセミナーのことは言わないが、
怪しまれ倒すのは間違いないし、影でいろいろと言われるのも必至。

運よく誰にも会わずにすんだが、ちょっと肝を冷やす出来事があった。

空港からセミナー会場までの移動中に、師匠から電話がかかってきたのだ。

師匠でもある社長からの電話を無視するわけにはいかず、電話に出た。
「休み中にごめんね」と、電話の内容は仕事の話。
会話の途中、わたしの後ろで響く音。

ピーーン、ポーーン

わたしが電話に出たのは、JR品川駅のコンコース。
この音は、定期的に鳴るあの間延びした特徴的なチャイム音。

やばい、バレる。

ほんの一瞬、間ができた。
でも、師匠はそのまま会話を続けた。
わたしは悟った。東京にいることがバレたと。

あのチャイム音、出張の多い師匠なら都内JRの大型駅だとすぐにわかるはず。
休みの日に、なぜ東京に?と思っただろう。
絶対にバレたのに何も言われないことに肝を冷やすと同時に、
師匠のある種サイキックに近い察知能力を心底感じる出来事だった。

このあと、わたしはセミナー会場に向かい、リアルDr.苫米地に会うことになる。

つづく…


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