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鬼が築いた石段の先に

国立別府病院は、別府市の北のはずれにある。病院の西側を小高い山が取り囲み、東側には別府湾が広がる。風光明媚な立地である。 “田舎”ともいう。別府病院から鉄輪に通じる道路には、動物飛び出し注意の看板にイノシシが描かれている。そういう場所だ。

国立別府病院は、大正14年に亀川海軍病院として創設された。豊富な温泉資源を利用し、温泉療法が行われていたという。しかし現在の国立別府病院には、温泉の設備はない。今は九州大学病院別府病院で、温泉治療が研究されている。

八幡竈門神社の境内から、わたしは国立別府病院を見下ろしていた。この日はひとりだ。鬼が一晩で築いたと伝えられる九十九段の石段の先に、病院の正面玄関が見える。

これからあの病院に乳がんの検査を受けに行く。いまだに信じられない。自分が最悪、死ぬかもしれない病気だなんて。

「別に死んでもいいや」

鳥居越しに広がる絶景を眺めながら、わたしは漠然と思っていた。わたしは子供のころからずっと死にたかった。いや、生きていることに意味を感じられなかった、と言った方が的確かもしれない。死ぬほど辛いことも特になかったから、46歳の今まで生きてこられた。でも、人間は誰しも心の中では死にたいと感じている。そう思っていた。

昔、彼氏にその話をして大そう驚かれたことがある。別府に引っ越してくる直前まで、同棲していた人だ。人生で一番長く一緒にいた他人である。とても頭の切れる人で、一本筋が通っているところが好きだった。

その元カレが、Wikipediaに載るぐらい有名な創価学会の大御所の息子だと知ったのは、わたしが一人で別府に引っ越す直前だった。元カレとは15年間付き合ったが、ついに結婚の話は出なかった。わたしは、自分が結婚に向かない性格だからだと思っていた。今の夫と3か月で成婚したことを考えると、元カレと結婚に至らなかったのは宗教の違いが大きかったように思う。

元カレのせいで、子供を産める年齢は逃してしまった。わたしはそのことを恨んではいない。人間なんて生まれてこない方が幸せなのだから。どうせいつかは死ぬのだし。

それに、元カレからは楽しく生きる方法を教わった。具体的にどんなことか、うまく説明できないけれど。例えるなら、「他人と比べて落ち込まない」ということだろうか。他人と比較することから苦しみが始まる。どうせ比べるなら、自分はスゴイ!と思っていた方がいい。たとえそれが勘違いであったとしても。恵まれているように見える人でも、そのことに気が付いていなければ不幸だ。

わたしは拝殿でお賽銭をあげ、検査結果が悪いものではないよう願った。

拝殿の前には、かわいいカメの石像が祭られている。八幡竈門神社は、カメに因縁の深い神社だ。神亀四年(727年)の創建で、亀山という山の上に社殿が建っている。この辺りは亀川と呼ばれる地域で、平安時代に白いカメが見つかった。カメを朝廷に献上したところ、天下の瑞祥吉兆であると大変喜ばれ、年号を嘉祥(848-851年)に改めたと伝えられている。

拝殿前のカメの像は、大分トリニータのマスコット「ニータン」のモデルにもなった。大分トリニータは2008年ナビスコ杯で優勝、2021年には天皇杯で準優勝している。スポンサー企業も大分ではそう多くないだろう。よく頑張っている。

「鬼滅の刃」の聖地としても、八幡竈門神社は注目を集めている。主人公の竈門炭治郎の名字と、神社の名前が同じだからである。

八幡竈門神社に奉納された絵馬には、鬼滅の刃のキャラクターが描かれたものが多く目につく。社務所の壁には、コスプレをした参拝者の写真がたくさん飾られていた。

九州には、竈門神社が3か所ある。
・宝満宮竈門神社(福岡県太宰府市)
・溝口竈門神社(福岡県筑後市)
・八幡竈門神社(大分県別府市)

宝満宮竈門神社は、大宰府政庁の鬼門に位置する宝満山に、鬼門除けのため建立された。溝口竈門神社は、豊満宮竈門神社から勧請(かんじょう/神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)した神社である。

別府の八幡竈門神社は、この2つの竈門神社とは全く関係がない。八幡竈門神社の一帯は昔、「竈門一族」と呼ばれる豪族が治めていた。神社の名前は竈門一族にちなんで付けられたという。(諸説あり)今でもこの辺りは内竈(うちかまど)という地名で呼ばれている。国立別府病院の住所も内竈だ。

鬼滅の刃の作者の吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)氏は、豊満宮竈門神社(または溝口竈門神社)の近くの生まれだといわれている。豊満宮竈門神社のある竈門山は、古くから修験道の霊場として知られていた。炭治郎のキャラクター設定には、修験道の影響がある。妹の禰豆子が入った箱を背負い野山を駆け回る姿は、山伏を連想させる。法被の市松模様は、豊満宮竈門神社の修験者の装束と同じだ。

豊満宮竈門神社と溝口竈門神社は、海神族の祖先で龍神として崇められる玉依姫命(たまよりひめのみこと)を主祭神としている。炭治郎が水の呼吸を使うのは、この玉依姫と関係があるのかもしれない。

八幡竈門神社の拝殿の天井にも、大きな竜の絵が描かれている。境内には、幹が竜の頭に見える木があったり、竜の出入り口といわれる木があったりする。しかし、八幡竈門神社の祭神に玉依姫の名前はない。

八幡竈門神社の竜の絵は、神社の火災除けのために氏子の画家から寄贈されたものだそうだ。境内の竜の木は、ただそう見えるというだけだろう。

八幡竈門神社は八幡宮だ。修験道とは無関係である。他の2か所とは違い、偶然ブームにのかってしまっただけなのだ。唯一、鬼滅の刃と共通点がありそうなのは、表参道の鬼が築いた石段だろう。

(八幡竈門神社のホームページより引用)
昔、竈門(かまど)の里に悪鬼が住んでいた。鬼は夜毎現れては人々を喰い殺し、里を荒しまわっていた。里人は困り果て、八幡様に鬼を退治して下さいとお願いをした。そこで八幡様は鬼に一晩のうちに百の石段を造ることが出来たら毎年人間をいけにえにやろう、もし出来なければ今後里に出て来てはならぬと約束させた。鬼は承知して、あちらこちらの谷や川から石を運び石段を造り始めた。鬼が九十九段まで造ったその時、神様がまだ出来ぬかとお聞きになられた。鬼はその言葉に一息つきあと一段と云った時に夜明けを告げる一番鶏が鳴いて夜が明けてしまった。鬼は驚いて逃げて行き、二度と里に現れなくなった。
(https://hachimannkamado.sub.jp/rekishi.html)

悪鬼が住む竈門の里とは、今の内竈のことだろうか。そうだとすれば、これから向かう国立別府病院がるあたりかもしれない。そんなことを考えていると、本殿から病院の方に向かって、一陣の風が吹き下ろしていった。
わたしは目を細めてつぶやいた。

「…のりおちゃん?」

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。