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お前も麻酔なしで乳輪に注射してやろうか

令和5年11月6日。入院当日である。わたしは自宅の近くから一人でタクシーに乗り込んだ。入院の時はまだ元気なので、ひとりで平気だろうと思ったのだ。退院の時は夫が迎えに来てくれることになっている。

自宅から国立別府病院までは、車で10分ほどだ。病院に到着すると、まずは総合受付で入院の手続きを済ませる。入院に必要な書類を担当者に手渡し、待合室で待機していると、白い上下を着た女性がわたしを呼びにやって来た。ナース服に似ているが、看護師とは違う服装である。
その女性は病室までわたしの荷物を持ってくれた。わたしより細くて小柄な人だ。なんだか申し訳なくて、わたしは「持ちます」と言った。
「いいんですよ」
笑顔でその人は答え、エレベーターや売店の場所を説明しながら部屋まで案内してくれた。

わたしの部屋は南館の3階だ。エレベーターを降りると、談話室のようなスペースとスタッフステーションがある。

ナースステーションのことを、今はスタッフステーションというらしい。スチュワーデスがフライトアテンダントに変わったように、看護婦も看護師と呼ばれるようになった。しかし、スチュワーデスはスチュワードの女性形なのに対し、ナースは性別を限定しない。ナースの何が問題でスタッフステーションに変更されたのだろうか。
医師や事務員などもナースステーションにいる。「ナース以外の者がなんでおるんか?」みたいなことを言ってくる患者がいるのかもしれない。

「うるせーバカ」

口が裂けてもそんなことは言えない職業だ。ちょっとした名称変更にも医療関係者の気苦労が垣間見える。本当にそんな理由なのかは知らないが。

わたしが案内された6人部屋は、わたしが入ると満床になった。全員がベッドの周囲のカーテンを閉めている。同室の人がどんな人たちかまだ分からないが、全員が乳腺外科の患者というわけではないようだ。
わたしがベッドにこしかけていると、テレビと冷蔵庫が搬入されてきた。
テレビ・冷蔵庫はセットで日額330円である。昔と違って、テレビカードなんかは必要ない。見放題である。別府市は民放3局しかないが、国立別府病院はBSも映る。福岡の放送も見られるのだ。
小百合はテレビと冷蔵庫のほかに、パジャマを病院からレンタルしていた。自宅にも寝間着ぐらいはあるが、入院中は前開きの服を着用するように言われている。手持ちの寝間着は、プルオーバータイプのスエットだけだった。パジャマのレンタルは一日250円。しかも毎日交換にきてくれる。一週間程度の入院なら、わざわざ買うよりレンタルしたほうがお得だ。
パジャマが届くと、わたしはさっそくそれに着替えた。清潔なシーツが敷かれたベッドのすぐ横には、テレビと冷蔵庫がある。天国かここは。今日はテレビを見たりゴロゴロしたりして、のんびり過ごそう。

「最高やんけ…」

だが、少しはやることがある。

・紙おむつとイヤホンの購入
・アイソトープの注射
・弾性ストッキングの採寸
・麻酔科医から全身麻酔についての説明
・本日のメインエベント「センチネルリンパ節シンチ」

センチネルリンパ節シンチは、センチネルリンパ節シンチグラフィの略だ。微量の放射線を放出する薬剤(アイソトープ)を注射し、体内から出てくる放射線を撮影して画像化する。
手術当日は、全身麻酔の後に青い色素(インジゴカルミン)を乳輪に注射する。そして色素が集まったリンパ節をさがし取り出すのだ。
センチネルリンパ節シンチは、「皮膚の上からセンチネルリンパ節の場所にあたりをつける」検査である。サインペンで皮膚に直接しるしを描くので、検査をする15時までにお風呂に入るよう看護師さんから言われた。

やることを列挙してみると、けっこう忙しい。まずは売店に買い物に行く。手術のときに着用するオムツを購入するためだ。
全身麻酔をすると、翌朝まで身動きがとれない。トイレにも行けないので、尿道にチューブを通して排尿する。万が一尿が漏れたときのためにオムツを着用するのだ。オムツは1枚あればよい。別府病院の売店には、大人用オムツが個別包装で売られている。
町のドラッグストアに、大人用オムツのバラ売りがあるか分からないが、無さそうな気がする。探すのも面倒なので、オムツは病院の売店で購入することにしたのだ。

病室のテレビにつなぐイヤホンも売店で売られている。わたしはiPhoneユーザーなので、手持ちのイヤホンはBluetoothイヤホンとiPhone用だけだ。イヤホンジャックに刺すタイプは無い。こういう時、androidは汎用性が高くていいなと思う。
別府病院にはローソンが売店として入っている。品揃えは外のコンビニと遜色がない。お弁当やサンドイッチなんかもある。病院で働いている人が食事を買う時なんかに利用するのだろう。たばこや酒はさすがに無いが、酒のつまみっぽいものはたくさん売られている。病院食は薄味で味気ないだろう。そう思ったわたしは、オムツとイヤホンと一緒におつまみジャーキーを購入した。

売店で購入したものを病室に置きにもどり、1階の乳腺外科外来に向かう。センチネルリンパ節シンチは15時からだが、3時間前にアイソトープを注射するのだ。
診察台で横になり、パジャマの前を開いた。

「痛っっっって!!!」

思わず大声が出る。麻酔とかするやろ普通。
「あー、痛いねぇ、ちょっとガマンしてね~」
大谷先生は慣れたもんである。
(ふざけやがって!お前も麻酔なしで乳輪に注射したろか!)
わたしは痛みに弱い。痛みで短気になりやすいタイプだ。ぼんやりした顔に生まれついたことは、むしろよかったのかもしれない。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。