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「コミュ力」高そうに見える手っ取り早い方法は「声をデカくすればいい」

「コミュ力が高い」のは世間的には良いことらしい。ただ一般的に「コミュ力」って思われているのは「発信のコントロール能力」のことで、適切なターゲットに対して、適切な時に、適切な立場から、言葉を発したり書いたりする能力なんだろうな、と思われる。

で、なんで、それが大事かというと、そうした方がオノレの主義主張を通し、ひいては「欲望」を満たすことができるからだ。そして、そういう観点からいくと「強い発信力」=「声が大きい」というものが「世間的なコミュ力」のバロメーターになる。

もちろん、発信力強者といえど、バランス感覚失って、恫喝して炎上みたいな人もいるから、磐石という訳ではない。

残念ながら「世間的なコミュ力」には「誰かと分かり合いたいという情熱」や「コミュニティーに対する愛情」は含まれておらず、孔子さまも仰ってます。

巧言令色すくなし仁

おお!ここにも「今年の漢字」あったか!!

さて、そんな「世間的コミュ力」強者たちが、世の中を形作る立場になり、20年度概算要求1344億円という巨費を投じて、これまた失敗しそうな事業をするらしい。

一応読んだけど、web サイト作るだけでも結構な額使ってんだろね。暇なニートにお小遣い渡して作らせた方が、具体的支援にもなろうし、国費の節約になりそうだけど。

結局。「世間的コミュ力」強者が、就職氷河期世代という「なんだかコミュ力なさそ」と香ばしい薫りがする人々をダシにして、内輪の祭に興じるのだろう。

僕は「コミュ力」とは「温かい心」そのものだと思う。それはセミナーや読書で磨けるモノではない。
そういう点では就職氷河期を紆余曲折生き抜いてきた人々には「コミュ力」についてのポテンシャルが多分にあると思うのだけど、苦労して「ひん曲がった」奴もいるからなぁ(笑)

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