黄金を運ぶ者たち インド編2 それぞれの暗闘①
インドは中国と並んで二大金消費国となっている。両国ともに自国の通貨に対する信用度が十分でないことも原因の一つであろうが、根本的にインド人も中国人もゴールドが好む度合いが、日本人とは次元が違う。
インド人のゴールド嗜好は、インドの習俗とも密接に関わりあっていて、例えば花嫁側から花婿側に対して贈られる「ダウリ」という持参金制度には、主に金製品が用いられ、花婿側の要求するレベルに「ダウリ」の内容が見合わない場合、花嫁が冷酷に扱われたり、最悪死に追い詰められる。
この事に対しての罰則が法で定められている程で、結婚後七年以内に妻が自殺や不審死した場合「ダウリ殺人」として、令状なしで逮捕される。
そんな文化があるインドでは、ゴールドの膨大な輸入量が貿易赤字の一因となっていて、政府はこれに関税をかけた。
日本への金塊の密輸は消費税分の利ザヤを目的としたものだが、インドへの密輸はこの関税分にあたる一〇パーセントを狙ったものだ。
僕が、仙道との逃避行や、山中と千葉の香港ルート運営をサポートしていた間、シンガポールのハッサンは、まず、自分達の資金で金塊を購入して、インドに持ち込み売却する手法を模索した。
しかし、インドで安全且つ安定的に、しかもドルもしくはユーロで売却できる方法が確立できなかった。更にインドから売却した現金を持ち出すハードルが高い。
彼は考えあぐねた結果、インド人密輸組織をパートナーとして計画を進める結論に至った。
もちろんインド人ポーターも運ぶ。しかし、インド税関による摘発がある。だから
「日本人がやればノーチェックでスルーできる」
ハッサンはそう言って、シンガポールに拠点を持つ密輸組織に僕らを売り込んだのだった。
そして、ハッサンは密輸組織の幹部と折衝を重ね、組織の金塊と、自分達の金塊を半々づつ運ぶという条件で、インド計画の道筋を作った。
日本からシンガポールなどを経由し金塊を受け渡して、インドまで運ぶわけだから交通費や滞在費も高くつく。経費はこちら持ち、半分の量で利益が出せるのか心配なところだが、日本の消費税八パーセントに対してインドは一〇パーセント。
またインドではゴールドを売却する際の、購入額とのスプレッドが小さい。こういった理由で、日本に密輸するのに比べて、計算上の利益率はあまり差がなかった。
そして最大の利点は、インドで金塊を渡したら、電話一本で、密輸組織の地下銀行を通じてシンガポールのハッサンに現金が入る仕組みだ。
現金が入れば、すぐにシンガポールで金塊を購入出来る。これによって、市場が休みの土日を除く週五でポーターを送り込める。香港と日本の往復はせいぜい週二回が限界。物量が減る分を回数で補える。つまり資金効率が良くなる。
ハッサンから計画の準備が整ったという一報が西野を通じて僕に入ったのは、シェアハウス案件が失敗に終わる直前のことだ。
この頃、僕は高橋のキャッチ事案から自分に及ぶであろう成田税関の捜査への警戒から、ハッサンとの連絡役を西野に委ねていた。
問題があったシェアハウス案件を中止にしなかったのは、僕も彼女もインド計画が実現するのに少々浮かれていたせいもある。
さて、悪い事は重なるもので、シェアハウス組に続いて、山中と千葉の運営で金塊二本のキャッチが起きた。ここで僕らの保有する金塊は三本まで減ってしまう。もちろん香港から日本への密輸計画は再び中止に追い込まれた。
そして、山中と千葉が香港から失意の帰国すると、利根川は「とりあえずキャッチの尻拭いで忙しい」と言い、頻繁にきていた連絡が途絶え気味になった。僕と西野はこれ幸いと、ハッサンとの連絡を密に取り、ハッサンは「早くシンガポールに来い」と誘いの水を向ける。
数日後、利根川は山中と組織解散の話をしているようだと千葉から相談を受けた。彼には「様子を見よう」とだけ言って、僕は西野に電話掛けた。
「ああ。なんか、そんな話されましたよ」
彼女は少しぞんざいな口調でそう言って
「利根川さんは流されやすい人ですからね」
と事もなげに言葉を繋ぐ。
「残り三本でインドやれるかね?」
僕は彼女に確認をするように尋ねる。
「だって、インド人とウチらで半々なら、二本つづになるから、二本あればいいんじゃないですか?」
明快な回答だ。
「まあ、そういう事になるなぁ。後はインドのプランをどう説明するかだなぁ」
僕は自分にも言い聞かせるように、そして西野の意向を探るようにそう言った。
やや置いて彼女が苦りきった口調で話を切り出した。
「あんな、根性なしたちは、もう放っておいて、私と真田さんとでインドやった方が良いですよ。解散となったら、利根川さんと真田さんと私とで一本つづで分割って話になるでしょうし。二本あればいいんでしょ」
合理的だし悪くない。この事は考えないではなかった。そうは言っても、インド計画も、僕がシンガポールに行って、ハッサンと膝を突合せて話してみないと、確証が持てないところもある。
もちろん空港を下見や、受け渡し方法の確認など、まず自分自身がインドに行かなければなるまい。
それらがクリアになるまで計画は内緒にしておいて、利根川と袂を分かつ必要はない。
「僕も考えたよ。だけども、ハッサンに会いたい。僕がシンガポールに滞在してバイヤーやる形で、ポーター送り込んでもらって日本に帰すプラン考えてもらえないかなぁ。まずそこから」
僕が控えめにそう言うと、彼女はやや不満そうな口調で答える。
「やっぱり、そうきましたかぁ。ちゃんと考えてありますよ。新しく投入するポーターにも、インドの前に日本運ばせて、経験を積ませないといけないとは思ってました。ただどうでしょう。真田さんを海外に出すとヤバいって言うでしょうし、連中は辞める気満々でしょうよ」
「そこは、何とかする。利根川さんのことだから、みんなで話し合おうと言ってくるだろうから、その場でシンガポールのプランを強く主張してもらえないかな」
僕がキッパリとそう言うと彼女は
「じゃあ上手くやってくださいね。真田さんはやるだろうけどさ」
と明るく言って、そこで話は終わった。
利根川から、会議の招集がかかったのはそれから間もなくのことになる。
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