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黄金を運ぶ者たち インド編1 シェアハウス案件①

「キャッチかぁ」
 僕はスマホの時計を俯いて見ながら小さく呻いた。
「そうですよね。到着からもう二時間」
 西野は溜息混じりに答える。普段感情を表に出さない彼女にも、はっきりと疲労の色が見えた。
 その日は清清しい秋晴れとは言いがたい、淡い曇り空の一日だった。品川駅新幹線改札口の目の前にあるカフェでのテーブルで、男女二人が暗い表情で、溜息をつきながら小さく呟く様は、すっきりしないその日の天候もあいまって、暫くの別れを惜しむカップルのようでもあるが、僕らはカップルでもなければ別れを惜しんでいるわけではない。気分は曇りどころか大雨だ。

 僕らは三名の新人ポーターが戻ってくるのを待っていた。三人のうち一人、陰気な女子大生だけはやってきて、彼女は渡す物は渡し、貰う物は貰って、俯き加減でそそくさとその場から消えていった。だがもう二人が現れない。もちりん連絡もない。二時間前に羽田に飛行機が到着していることはネットで確認済だ。状況から考えてキャッチされたことを受け入れる時間だった。

 フライトに不安要素はあった現れなかった二名のうち一人は女性で、彼女が今回のチームを組んだ。しかし彼女のポーターの募集方法は僕らの早々を越える拙さだった。後ろ暗いことは信頼できる人間にひっそりと伝えるものだと思うのだが、彼女はネット上オープンにポーターを募った。そうとは知らない運営チームは、面接をする前にスケジュールを組み、個別にトークアプリを使って連絡を取り合っている最中、具体的な仕事内容を知った一部の者が、犯罪だと騒ぎ始めていた。当然中止すべきだった。しかし「お金が欲しい」「稼ぎたい」という彼女の声に負けて今回だけということで、三人を送り出したのだった。

 この時彼女が声を掛けたのは(彼女自身もそうだが)月の家賃が二-三万のシェアハウス住人たちで、そこに一泊二日で十万という報酬を払うのだから、最終的に金銭欲で黙ると思ったし、使う飛行機の便名などは知らせていない状況だった。それになんとなくだが、シェアハウスに住む人間に対する侮りのようなものがあり、騒ぐだけで通報する気概はないだろうという考えがあった。しかしよくよく考えると、貧しい環境では、誰かの足を引っ張ることに劣情を燃やす人間も多いし、そういう者たちに絶好の大義名分を与えるようなものだ。僕らの判断は甘かった。
「まいったね」
 僕はコーヒーカップを口元に運び一口飲んだあと、届いた分だけは僕から利根川に渡しておくことを西野に伝えた。

「ありがとうございます」
 彼女は頭を下げてそう言うと、スッと席を立ち、これだけショックなことがあった割には肩を落とすこともなく、いつも通りのクールさを湛えてその場を後にした。
(強いなあ。彼女は)
 彼女も動揺しているはずだ、ただそれを表に出さないだけだ。そういう強さは僕にはない、それが羨ましくもあり、ビジネスパートナーとして心強く思えた。


 利根川が来たのはそれから三十分ほど経ってからだ。彼は駅のコンコースを抜けたところで、何かに怯えたように注意深く辺りを見回し、足取り重く僕の席に近寄ってきた。
(あいかわらず、分かり易い人だなあ)

 僕はそう思って、わずかに口元が緩むのを感じた。これくらい動揺をあからさまにされると、僕自身の動揺が正当化された気がして、妙な安堵感が沸いたのだ。とはいえ僕は神妙な顔にすぐさま切り替えて、立ち上がって彼を迎えた。

「僕の判断ミスです。申し訳ありません」
 僕はそう言って頭を下げたが、彼はそれを押し止めるように両手を僕の前に出した。そして二人同時に、力なく座席に腰を落とした。
「いえいえ。私も反対しなかったので同罪です。これからどうしたものか」
 彼の台詞に対していうべき言葉が見つからない。僕はうな垂れて唇を噛んだ。

「ちょっと、疲れましたので、糖分でも買ってきます」
 彼は自嘲気味にそう言って、カウンターに向かった。そして生クリームがたっぷりと浮かんだ甘そうな飲み物を手にし、再び席に着く。
「手配指示役の千葉も緊急時の連絡先をヒアリングしてなかったようで、またどうにかしようともしないし、こちらにぶん投げですよ」

 利根川は、苦りきった様子でそう言った。高橋の時でもそうだったが、キャッチと同時にスマホも押収される。だから住所なり、スマホなしでも連絡できる情報を把握しておくのは、運営の仕事の一つだ。だがこの頃運営の主体であった、山中や千葉は何かと手抜かりも多く、ヒアリングしていないだろうとは思っていた。

「それについては、ふたりのフェイスブックを見て、住んでいる所を確認して、電話番号も調べておきましたよ」
「流石真田さんだなあ。今晩でも私が連絡します」
 僕の対応に満足げな表情で応える利根川に、申し訳ないから僕自身で連絡することを提案したが、
「真田さんは、前のことがあるから、表には出ずオブザーバでいてください」
 と彼は言うのだった。
(オブザーバーねえ)

 甘い飲み物をストローで吸いながら、いつもの脱線した話題に移った利根川を目の前に、僕は半分上の空で、この奇妙な立ち位置となった二ヶ月を振り返った。

次話 シェアハウス案件②

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