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父と贈り物

 昨年は晩年父をよくしてくださった方からいろいろと贈り物をいただきました。四十九日を過ぎるとそれも落ち着いていたのですが、今年の夏にも送ってくださる方がいました。


私は母と暮らしているため叔母が気遣って受け取りの窓口となってくれていたのですが、一周忌を過ぎても送られてくることに心苦しさを感じているような旨と、私からお礼の連絡をして欲しいとメールがきました。

それはつまり私にやんわりとお断りの連絡をして欲しいのだろうと、思いました。


贈り物を贈ってくださる皆さんは父のことを本当に慕ってくださって

゙まだまだこれからじゃないか”と別れを惜しんでくださいました。


家族を振り回し周囲に迷惑をたくさんかけた父が思いがけず惜しまれて最期を迎えられ、家族として救われた部分も多くあり皆さんには心から感謝しています。

この1年、叔母は贈り物をいただくたびお礼の連絡と相手に合わせたお返しをして丁寧に対応してくれていました。


けれど、そろそろ叔母も限界だったようです。


私たち家族と見送ってくださった皆さんとは、父に対する気持ちがあまりにも違いすぎました。


皆さんはたくさん私たちに父がどんなに良くしてくれたか、慕われていたかを伝えてくださいました。それは私たちと父との距離を埋めようとしてくださるかのように。

それにはじめは救われていたのです。

でも、皆さんが過ごした10年弱で家族としてそれぞれが経験してできた溝はどうしても埋められないのです。

それが苦しかった。


私は30年。叔母は60年以上。

父と繋がっていることはいつだって不安でしかありませんでした。


゙皆さんが思うような人ではありません。本当はこんなことを…”と言ってしまいたくなる反面、よくしてくださった皆さんの思いを否定することは喪失を抱えた皆さんにむごすぎる仕打ちです。

自分たちの思いを飲み込めば飲み込むほど、思いの違いが息苦しくなっていきました。

困りましたね、だって誰も悪くありません。強いて言うなら父がいけない。(強いて言うなら?…いえいえ、紛れもなく父がいけません!)


今年も贈り物をくださった方は、いまも折に触れ父のことを思ってくださっていて、生前家族に孝行できていなかった父に代わって贈り物をしたい、そして気持ちの押し付けのようで申し訳ないが今しばらく付き合って欲しいとのことでした。

これがこの方にとってのグリーフケアなのだとわかりました。


贈り物は物に思いを込めること、受け取ることは物と共に思いを受け取ること、

故人への思いを受け取ることは家族の役目なのかもしれません。

もう少しの間、様々な思いを抱えながら思いのやり取りをすることになるでしょう。

その時はどうかできるだけ皆の気持ちが穏やかでありますように。



私が父から最後にもらった贈り物はティファニーのネックレスでした。

私が20歳になる年に、父はニューヨークへ遊びに行き購入してきました。

手渡してきたときの満足げな様子には本当に呆れてしまいました。だってみんなに返していないお金があるのに、相変わらず祖母の年金支給日にお金の無心の電話をかけてくるのに、ニューヨーク?ティファニー?

嬉しいはずがありません。(そして全く好みじゃないデザイン…)

父はいつだって形ばかりで独りよがりの家族サービスでした。


その時「いつか自分でもっと素敵なネックレスをティファニーで買う!」と心に決めました。

何というか、父に負けたくない!と思ったのです。










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