佐菜

昨年亡くなった父は、少々残念な父親でした。 セルフグリーフケア的な?30年を振り返る記…

佐菜

昨年亡くなった父は、少々残念な父親でした。 セルフグリーフケア的な?30年を振り返る記録です。少しずつ、拙い言葉ですが綴っていこうと思います。

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はじめに

 父は少々残念な人で、それが原因で両親は小学校6年生の時に離婚しました。私が離婚を聞かされた次の日の朝、父は出て行きましたが、その後も残念っぷりは相変わらずでした。 そんな父が昨年亡くなって、自分の中の落とし所のない気持ち、折り合いがつかない気持ちを文字に起こしてみようと思いました。 いわばセルフグリーフケアのようなものです。 残念な父と形容するように、父親として機能していない父でした。 また、うちは機能不全家族だったかもしれません。機能不全家族かどうかは私の主観なので自

    • 父と贈り物

       昨年は晩年父をよくしてくださった方からいろいろと贈り物をいただきました。四十九日を過ぎるとそれも落ち着いていたのですが、今年の夏にも送ってくださる方がいました。 私は母と暮らしているため叔母が気遣って受け取りの窓口となってくれていたのですが、一周忌を過ぎても送られてくることに心苦しさを感じているような旨と、私からお礼の連絡をして欲しいとメールがきました。 それはつまり私にやんわりとお断りの連絡をして欲しいのだろうと、思いました。 贈り物を贈ってくださる皆さんは父のこと

      • 父のことを書くこと

        自分のペースで書いていこうと思ってはいるものの、思うように書き進められなくてもやっとしています。 普段PCのメモに下書きをしているのですが、こうも進まないとPCの電源を入れることすら億劫になりますね。。ついYouTubeに逃げ込んでしまったりして 今は父にとってギャンブルがどのようなものだったかを書こうと思っているのですが、自分にとっては父のギャンブルに振り回された記憶ばかりなので途中でしんどくなってどうしても手が止まってしまいます。 向き合うとはこんなに面倒なことなの

        • 父とすいか

           今日は父の命日でした。仏前にすいかを供えるため、特売で598円の小玉スイカを買ってきました。父が特別すいかが好きだった訳ではありません。(多分。。) では、なぜ買ってきたかと言うと父に文句を言うためです。 父が亡くなってから1人で死後の手続きをしていた私は、慣れない作業に追われ毎日くたくたになっていました。 最初の1ヶ月は仕事以外はずっと父に関する事に時間を取られ、まともに休むことができないほどでした。 あまりにもしんどくて、何度か父の遺影に 「ふざけんな!クソ親父!

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        はじめに

          父とギャンブル

           父が亡くなった後、ある人から父の秘密のブログの存在を教えてもらいました。 父は表向きにはFacebookを活用していたようでしたが、父を最期まで気にかけ看取ってくださった友人には一切見せなかった一面がそのブログにはありました。 私の知る限り硬く面白みのない文章を書く人で、Facebookの投稿も案の定でしたが、秘密のブログでは“!”を多用したテンション高めの文章でした。(とはいえおもしろくはないのですが) ブログの内容は主に競馬の予想と結果で、他に宝くじとお年玉付き年

          父とギャンブル

          父の青年期

          子供の頃から勉強ができた父は、地元の進学校から国立大学の工学部へ進学しました。 いわゆる高学歴なのですが、あまり父からは大学の頃の話を聞いたことがありませんでした。 過去の栄光にすがるタイプの父がなぜ饒舌にならなかったのか、私なりの考察です。 祖父は地方公務員、祖母は独身時代銀行に勤めた職業婦人でした。そんな祖父と祖母の実家は両家とも医療関係の家系で、祖母の父は医師で今で言う開業医をしていました。 祖母は生まれた長男が神童と噂されるほど賢く(※誰が言ったか知りませんが

          父の青年期

          直感的に感じたこと

           小学校に入学する頃になると私はなんとなく「この家族はいつかばらばらになるんじゃないか」「両親はいつか離婚しちゃうんじゃないか」と思うようになりました。 なんとなくです、本当に。時折ふと、そんな気持ちがよぎるのです。 漠然とした不安感に加えて、「どうしてそんなこと思っちゃうんだろう..」と自分への不信感がわきました。でもそう思ってしまうのは必然でした。 父・母・祖母(父方)の3人は、しばしばけんかをしました。 “なんでこんなことになったんだ” “自分はみんなを思ってこん

          直感的に感じたこと

          生まれた頃からを少しずつ

           私は父・母・祖父(父方)・祖母(父方)・兄1・兄2のもとに生まれました。 兄1の上に姉がいたのですが、死産だったため私は家族にとって待望の女の子だったようで、祖父は私が2~3歳の頃に亡くなりましたが、数少ない祖父との思い出もかわいがってもらった記憶がほとんどです。 特に母はどうしても女の子が欲しかったそうで、私が生まれてとても嬉しかったそうです。ただ幼い私は「自分は姉の代わり」と認識していました。全くもって悲観的な解釈のつもりはなく、言葉をただそのままに受け取っていまし

          生まれた頃からを少しずつ