直感的に感じたこと

 小学校に入学する頃になると私はなんとなく「この家族はいつかばらばらになるんじゃないか」「両親はいつか離婚しちゃうんじゃないか」と思うようになりました。
なんとなくです、本当に。時折ふと、そんな気持ちがよぎるのです。

漠然とした不安感に加えて、「どうしてそんなこと思っちゃうんだろう..」と自分への不信感がわきました。でもそう思ってしまうのは必然でした。

父・母・祖母(父方)の3人は、しばしばけんかをしました。

“なんでこんなことになったんだ”
“自分はみんなを思ってこんなにやってるのに”
“自分は頑張ってる、必死にやってるのになんでそんな言われ方されなきゃならないんだ”
“いつも自分のことばかり”
“こんなことになって本当に情けない”
“どうせ誰もわかってくれない”
“自分なんか死ねばいいんだろ?”

“もういい、死んでくる”

家族喧嘩はよくあること、あって普通のことだと思います。

でも“自分が死ねばいいんだろ、死んでくる”と言って誰かが出て行くのはちょっと普通ではないのかもしれません。


大体がこんなけんかだった気がします。

兄1はまるで目の前でけんかなんて起きていないような態度で、ゲームをしたり漫画を読んだりしていて、
兄2は出て行くのを泣きながら必死で止めたり、けんかに混ざっていったりしていました。ただ、兄2の言葉は誰かに受け止めてもらえることは無く宙に浮いたままで、なんだか不憫でした。


私は大人たちのけんかが始まるとすごく悲しくて、怖くてたまらなくていつも号泣してしまうのでした。

そんな私に気付いてくれるのは決まって兄のどちらかで、私が泣いているからと大人たちをたしなめてくれていました。
自分が泣くことでけんかが止まることにほっとする気持ちと、怖くて何もできない弱い自分が情けなくていたたまれない気持ちで心はぐちゃぐちゃになるばかりでした。


子供たちにたしなめられてなんとなく終わるけんかは、建設的な解決策を模索することはなく、ただただ自分の感情を押し付け、言い訳をし合うだけのけんかでした。

原因は父の経済観念です。あればある分お金を使ってしまうのです。
用途はギャンブルと飲食。給料はほぼ家には入れずに使っていたようで、懐が温かいときは家族を旅行や食事に連れ出すのですが、それが無くなると家族からたかるようになります。
家族がそれを渋ると平気で他人に頼るので、周りの目を考えると家族が出さざる負えなくなります。
父は頭がいいのでどんな言葉をかければ相手の良心が痛むかちゃんとわかっていて、的確に心をえぐってきます。
それでだめなときは、声を荒げてけんかがはじまるのでした。

そうです、毎月給料日前は同じことがおきます。


「いつか家族がばらばらになるんじゃないか」という不安感は日に日に膨れ上がり、「両親はいつか離婚するのだろう」といつの間にか確信している自分がいました。

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