詩誌「三」68号掲載【現代における仇討ち制度の概要と問題点について】飯塚祐司
明治六年二月七日、明治政府はそれまでの仇討ちを禁止する法令を制定しました。これは、個人が有していた刑罰権を公権力が占有するという、我が国における近世と近代を分かつ象徴的な出来事の一つと言っても差し支えないでしょう。
その仇討ちが、この現代において今まさに復活しようとしています。いわゆる改正刑法が、今国会において成立の見込みとなっているからです。しかし、その内容が様々な問題を孕んでいる事は言を俟ちません。本講義では、その問題について取り上げていきたいと思います。
何故今仇討ちという歴史の遺物となった制度が持ち出されたのか。まずはその背景について軽く触れておきましょう。近年凶悪事件の検挙率が低下しており、それに対して様々な要因が挙げられています。その中でももっとも有力な説としては警察の人員不足に因るものがあり、事実一人の警官が抱える事件は増加の一途を辿っています。この問題を検討していた有識者の会議で幾つかの提言が取りまとめられましたが、そのうちの一つが「民間の力を活用すること」でした。これを下敷きとして生まれたのが、犯罪の捜査、犯人の検挙を被害者自身に委ねるという「仇討ち制度」の復活でした。
それでは改めて、本制度の概要を見ていきましょう。
一、仇討ち制度の対象は殺人事件に限る。
二、被害遺族は捜査・捕縛・刑の執行を警察・司法に委ねるか自身で行使するかを選択することができる。一度選択した後の変更はできない。仇討ちを完遂した際は速やかに届け出る必要がある。
三、被害者が複数いる場合、全遺族の同意が得られない場合仇討ち制度の選択はできない。ただし、仇討ちの相手が逃走中に罪を重ねた場合はその限りではない。
四、どの程度の罰を与えるかは被害者の裁量による。仇討ち制度を利用し犯人を誅殺した場合、その罪には問われない。ただし、罪が免ぜられるのは二親等以内の親族、あるいは国が指定した助っ人資格保有者に限る。
五、誅殺された犯人遺族による、仇討ちの仇討ちは認められない。
六、冤罪や人違いによって無実の人間を殺傷した場合は、いかなる場合でも相応の罪を科される。
以上が本制度の骨子となっております。
問題としてまず考慮すべきは二の「一度選択した後の変更はできない」という点でしょう。これは即ち、経済的事情や健康上の理由から遺族が何らかの事情で仇討ちを継続できなくなった場合、その犯人を捕まえる事ができなくなるという事を意味します。罪を犯した者を野放しにする行為であり、犯人側から見た場合『逃げたもの勝ち』であると言えますし、返り討ちを企てる輩も考えられます。
また、今制度に伴い国が被害者の捜査を援助する助っ人士の認定を行いますが、その報酬形態は整備されているとは言い難く、資産に余裕がある者ほど優秀な助っ人を大量に動員できるため、ここでも貧富の差の問題が生じています。国選弁護士のように一定のサポートは国が保証してしかるべきでしょう。
そして最も大きな問題点として、公正・公平な立場(とされる)警察官や裁判官と違い、バイアスのかかった被害者が正常に証拠や証言を吟味する事が出来るかは、大いに疑問の残るところです。結果として思い込みや勘違いにより無実の罪で人を裁く、取り返しのつかない冤罪が増加することは予想に難くなく、一層の治安の混乱を招きかねない恐れがあります。
以上の事から考えても、本制度は制度上の重大な欠陥を孕んでいると言えます。そもそも警察権や裁判権は国家が国家としてあるべき基盤であり、それを国民の手に委ねるというのは国としての体をなしていないと言わざるを得ません。この制度がもたらす弊害を鑑み強く再考を促して、本講義を終わりにしたいと思います。
被害者の所持していたパソコンを調べていた捜査官は、開いていたファイルを閉じた。被害者がこのファイルを作成したのは約十年前、仇討ち制度が成立したのはそれからおよそ一年後の事だった。ここに書かれていた懸念事項はほぼ現実のものとなり、次回国会で制度の見直しが確実視されている。
ただ一点、ここに書かれていない事を挙げるとするならば
七、本制度成立時点で未解決の殺人事件も、仇討ちの対象とすることができる
という点があり、この被害者が十五年前に起きた殺人事件の有力な容疑者の一人である、という点だろうか。その事件の仇討ちの届けが出ていないかどうかを調べるため、捜査官は本部に問い合わせその返答を待っていた。
2022年12月 三68号 飯塚祐司 作
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