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詩誌「三」71号掲載【夜と呼ぶには明るすぎる】飯塚祐司

大きなエンジン音が、遠くの方から徐々に近づいてくるのが聞こえた。外へ出ると、無数の星明りと満月が夜の高原を照らしている。昼間は牛が過ごす広大な牧草地に月の光で出来た小さな影が映り、瞬く間にその姿を大きくすると、丸みを帯びた飛行機の形となった。車輪を出したその飛行機は、草原を滑走路代わりにしてしばらく走ると完全に停止した。

やあ、久しぶり。元気にしてたかい?

扉が開いて出てきたのは、古めかしいフライトジャケットにゴーグルと、何世紀も前の飛行士のような姿をした、白髪交じりの年配の男性だった。もっとも、飛行機の操縦は全てコンピューターによる自動操縦なので、彼自身が飛行機を操縦している訳ではないのだが。

お久しぶりです。そちらもお元気そうですね。頼まれていたものは全てあちらに用意していますよ

そう言って草原の片隅を指すと、そこにはうず高く積まれた食料や水、書籍その他の生活物資があった。

いつも済まないね。それでは荷物を積んでいる間に私は少し休ませてもらうとしよう

彼は続けて降りてきたロボットに指示を与えると、牛舎の方へ向かって行った。牛舎に積んだ牧草の中で眠るのが、彼のいつもの習慣だった。煌々と夜空に浮かぶ満月が、彼の長い影を作っていた。

作業を続けるロボットを置いて家に戻ってくる。父が亡くなってから、この家に住んでいるのはわたし一人だ。電気を点けようとして、窓から差し込む月灯りで十分だと思い直した。彼が起きて来た時のために、食事と珈琲の準備をする事にした。

父の友人である彼は、父の生前からこうやって月に一度満月の日に飛行機に乗ってやって来た。普段彼がどうしているのか聞いたわたしに、父はずっと飛んでいるのだと答えた。どういうことか分からずにいると、彼は朝が来ないように、ずっと夜から夜の地域へ飛び続けているのだと教えてくれた。なぜそんな事をしているのかは、父も知らないようだった。

美味しそうな匂いが外まで漂っていたよ

ちょうどキャベツとソーセージのスープが仕上がったところで、彼が玄関から入ってきた。ゴーグルを外した顔は、父の友人とは思えない程若々しく見えた。パンとスープ、じゃがいものチーズ焼き、それから淹れたての珈琲をテーブルに並べて一緒に食卓に座った。彼は、珈琲にさっきまで一緒に寝ていた牛たちから絞ったミルクを、たっぷりと注いだ。

彼は食事中に会話をすることをあまり好まなかった。二人で黙々と食事をしていると、不意に部屋の中が暗くなった。窓を見ると、月に雲がかかり、にじんだようにぼんやりとした姿が見えた。

どうして、満月の日だけこうやって降りてくるんですか?

唐突に、そんな言葉が口をついていた。なぜ急にそんなことを聞いたのか、自分でも驚いていた。暗い部屋の中で彼の表情はよく分からない。おそらく珈琲を飲んでいるのだろう。湯気が動いて珈琲の苦い香りがした。

満月の日は、夜と呼ぶには明るすぎるからね

カップを置く音とともに、彼がそう呟いた。それ以上は何も言わず、私も何も聞くことはしなかった。

ごちそうさま。今日も美味しかったよ

そう言って食べ終わると同時に雲が晴れ、また月灯りが部屋に差し込んだ。満足そうに笑みを浮かべる、彼の表情があった。

さて、そろそろ出発するとしようか

ロボットは、既に荷物を積み込み終わっていた。夜明けまでまだ余裕はあったが、そう長い時間ではないだろう。彼は次の補給のリクエストを書いたメモと代金を渡すと、再びゴーグルをつけて飛行機に戻っていこうとした。
何で今時そんな恰好をしているんですか?

乗り込む間際、もう一つずっと前から気になっていた事を聞いてみた。

おいおい、何でも何もこれが飛行機乗りの正装だろう?

そう言って飛行機に乗り込むと、エンジンをかけて飛び立っていった。次の満月の日、もしかしたら彼は来ないかもしれない。見送るたびにそんな事がいつも頭をよぎるが、すぐに彼がリクエストした本をどうやって準備しようか考える。彼が読みたい本は、いつも古い絶版の本ばかりだった。考えを巡らせながら、少し早いが朝の清掃のため牛舎へと向かった。

2023年9月 三71号 飯塚祐司 作


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