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詩誌「三」68号掲載【0と1の間にある永遠】飯塚祐司

彼女がいなくなったのは、その年最初の木枯らしが吹いた日の事だった。あと一週間で三十になるというその日、彼女は自ら命を絶った。その前日、最後に会った時もいつもと変わった様子は何一つなく、「最近コーヒーを飲めるようになったんだ」別れ際にそんな事を言っていた。遺書はなかったが、事件性はないとされ自殺と判断された。
息をひそめるように執り行われた葬式が終わり、形見分けに日記を貰ってきた。一日二~三行の簡潔な内容ばかりだったが、几帳面な彼女の性格を表すように一日も途切れることはなかった。その日記で初めて知る事も多く、夜更けまで読みふけった。最後、彼女がいなくなったその日のページが破り捨てられていたところで、日記は終わっていた。
そのページに一体何が書かれていたのか。その事がずっと頭から離れなかった。それを知るための手段が、モニター内に浮かんだ彼女のアバターだった。出来うる限り外見を再現し、経歴や家族環境といった性格に影響を与えそうな要素を初期設定として登録、日記を基に彼女の思考や行動様式をパラメータとして入力することで、可能な限り実際の彼女に近づけるようにした。
当初はパラメータの設定が甘く、ネコ好きだったのにウミネコ好きになっていたり、ロイ・アンダーソンが好きだったのにウェス・アンダーソンを好んだり、現実と違った行動をとることが多かったが、都度パラメータを修正することで、精度は格段に上がっていった。彼女の人生をコンピュータ上でシミュレーションすることで、何故彼女がいなくなってしまったのかを知ろうとした。
ほんのちょっとの差異が、時間を経るごとにどんどんと現実と乖離していき、何度もリセットを繰り返した。初めて二十九歳と三百五十八日目を迎えた時、「最近コーヒーを飲めるようになったんだ」モニターの中で彼女のアバターがそう言った。それはシミュレーションが現実に追いついた瞬間だった。期待に震える手で次の日に進めると、しかし突然アバターはフリーズしてしまい、何をやっても反応せず唐突に電源が落ちた。慌てて電源をつけると、データが失われておりバックアップも消えていた。その後もシミュレーションを繰り返したが、精度が高い時ほどそこでフリーズしてしまい失敗に終わった。
何度もやり直している内に段々とコンピュータの挙動がおかしくなっている事に気がついた。膨大なデータのリセットを繰り返している内に、消去しきれなかったデータがキャッシュとして蓄積され負荷をかけているらしかった。「最近コーヒーを飲めるようになったんだ」コンピュータの限界が近く、それが最後と決めたシミュレーションで、初めてフリーズせずにその日を迎えた。彼女は、ただコーヒーを飲んでいた。
コーヒーが飲めなかったわたしはもういない
コーヒーが飲めなかったわたしには戻れない
そう呟いたように見えた瞬間、限界を迎えたコンピュータの電源が落ちた。何度スイッチを押してももう二度と動くことはなかった。彼女のアバターを抱いたまま、何も言わないそれが彼女の遺書だった。

2022年12月 三68号 飯塚祐司 作


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