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映画 ”マトリックス”

※普段私のブログを読まれない方は(  )を飛ばしてお読み下さい。 (今回の記事はトレードには直接関係ありません。内容は何か難しいことにチャレンジする時の心構えに関するものになっています。普段相場になんてに興味がないという人にも読んでいただけるように書いたつもりです。又、文体がいつもと違うので読みにくいと感じられるかもしれませんが、ご了承下さい。)

私の好きな映画の一つ、マトリックスについて書いてみようと思う。以前から書きたいと思っていたのだが、なかなか機会を得られず今になってしまった。今日は午前中少し時間があるので、この隙に書き上げてしまう。

見たことがない人には、ネタバレになるので、映画に興味があるならこの記事は読まずに一度見てみるのを勧める。

又、見たことはあるが、「面白いアクション映画」というぐらいの感想だった人には、この先を読んで欲しい。何かの峰を極める全ての人が必要とするコアがこの話にはある。いつもはわかっているのに困難に直面すると忘れそうになること、それを私たちに思い出させてくれる。

出会い

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この映画は、アンダーソンという名のごく普通のサラリーマンが本当の自分とは何かに向き合う物語だ。

初めに物語の設定について少し触れておく。遠い未来人々は仮想現実を生きていた。人々は生まれるとすぐ、脳をAIに支配されてしまう。首に開けられた穴から直接送り込まれる電気信号が、人間の意識にマトリックスという仮想現実を映し出し、人々はそこが本当の世界だと信じて暮らしている。

もちろん、それを知っているものは、彼も含めて誰もいない。ところが、アンダーソンは、自分の生きる世界に違和感を感じていた。ネオという名を名乗ってハッカーをしていたのもそれが何であるのかを突き止めたいという衝動からだろう。

もう20年前の映画だというのに、まるで今の話を聞いているかのようだ。日常や今の自分に不満のある人が、理想の自分になろうと、自分とは違う誰かをネットで演じる。facebookが会社名を「meta」に変えるらしいが、元々リアルな情報を公開するタイプのSNSが、誰かを演じるメタバース的な色に自らを塗り変えるのも時代の流れか。

ある日、アンダーソンはモーフィアスという存在を知る。世界の秘密を知る男だ。暗い部屋で待っていたモーフィアスはアンダーソンに、2つのピルを差し出す。

「青いピルを飲んで元の世界で暮らすか、それとも赤いピルを飲んで目覚めるか。」

ぼんやりとこの映画を観ていた時には、アンダーソンは赤いピルを飲んで救世主になったのだろうとうっすら思っていた。そう思ったのは、いい環境や状況さえあれば成功できるのにという甘い考えが自分の思考のどこかにあったせいだろう。

「赤色のピルを飲むなら、その正体を教えてやる。」

モーフィアスは、真実を教える約束はしているが、救世主にしてやるとは言っていない。

この映画を見たことのある人で、私と同じような勘違いをしていたかもしれないと思うなら、この記事の最後に映画を通じて監督が伝えたかった本当のメッセージを知り、力強いものを胸に感じていただけると思う。

戸惑い

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赤いピルを飲んだアンダーソンは、マトリックスの世界から目覚め、コンピューターに繋がれバッテリーとして育成される人間の農園を見た。

真実を知ったアンダーソンは、モーフィアスと預言者に会うためマトリックスの世界に再びプラグインする。

モーフィアスはアンダーソンが救世主だと強く信じていたが、皮肉にも予言者は「救世主はお前じゃない。」とアンダーソンに告げる。

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アンダーソンは、そのことをモーフィアスに話そうとするが、その束の間、一行はマトリックスの番人に襲われる。アンダーソンが救世主だと信じるモーフィアスとその仲間達は、彼を守るために命を懸けるが、モーフィアスは敵の手に落ち、仲間も何人か命を落としてしまう。

何度か見た時、ここまでの流れの中に、隠されたメッセージがあることに私は気づいた。隠されていたというより、この手の映画がバッドエンドでは終わらないだろうという経験則的なものが、私にそう思わせたのだと思うが、この時点の解釈としては、“アンダーソンが救世主ネオにならない未来もあった。”となる。そして、ここにこの映画の真のメッセージがある。初めてそのことに気付いた時、濁っていたものが、どこまでも青く澄んでいく、そんな風に感じたのを今でもよく覚えている。

そのメッセージとは、、

目覚め

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番人から逃げ切りマトリックスからプラグアウトしたアンダーソンたちは、仮想現実内で、囚われの身となっているモーフィアスのプラグを抜くかどうかの選択に迫られる。プラグを抜けば、仮想現実内のモーフィアスは消えるが、同時に命も落とすことになる。しかし、プラグを抜かなければ、残された人類の滅亡につながる重要な情報が番人たちに漏れてしまう。

アンダーソンは、預言者から自分が救世主でないと言われたことを仲間に伝え、それでも、モーフィアスを助けに行くと言い出した。自殺行為だと止められたにも関わらず。

アンダーソンは救世主ネオへと目覚めつつあった。モーフィアスは命を懸けて彼を守った。そしてそのことが、アンダーソンに迷いの森から抜け出すための重要なヒントを与えた。アンダーソンは、モーフィアスに恩を感じたから、自分も命を懸けて彼を救出するべきだと思ったのではない。自分探しの迷いから本当に目覚めるには、社会や他人に与えられたものでは駄目で、命と引き換えになっても構わないという強い決心が必要だということをモーフィアスの姿を通してアンダーソンは学んだのだ。そして、自分もモーフィアスの後に続く決心をする。 

“Mopheus believed something and he was ready to give his life for it, and I understand that now. That’s why I have to go.”
 
「モーフィアスは何かを信じていたし、そのせいで命を落とすかもしれないという覚悟もあった。今になってようやく、彼がどうしてそんなことをするのかわかったんだ。だから俺は行かなきゃならない。」

そして、どうしても行くというアンダーソンに、仲間の一人が “Why?”と訊いた。

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I believe I can bring him back.

ひょっとするとアンダーソンが”believe”、信じるという言葉を本気で言ったのは、この時が彼の人生で初めてだったのかもしれない。

そして、この”信じる”という言葉こそ、この映画の真のメッセージなのだ。何を信じるのか、誰かに与えられたものでもなければ、神に与えられたものでもない。預言者(神の使い)に「お前は救世主ではない。」と告げられたアンダーソンが、それでも自分の道を進もうとする姿にそのことが描かれている。何者をも頼らず自分自身の持つ真の力を信じることができる人間、それが救世主なのだ。

ついに、アンダーソンは、救世主ネオへと生まれ変わる。

心が変われば、考え方が変わり、習慣が変わり、最終的には運命が変わるという至言があるが、この言葉は、心を変える方法については教えてくれない。しかし、この映画にはその答えがある。心を変え、運命を変える究極、それは信じる力だ。そして、信じる力とは恐れずに進む勇気のことだ。

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のけぞって銃弾を避けたのも、 “My name is Neo”というあの名シーンも、最後生き返って本当の救世主になったのも、全てはネオが自分自信を信じることによってなしえたことなのだ。

新しい世界

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この話はこれで終わらない。実はもう一つ、あまり知られていない事実がある。

この映画には監督が2人いる。そして、その2人は兄弟だ。生物学的には。

彼らは、ウォシャウスキー兄弟という名で監督デビューしているが、この映画を撮り終えるとウォシャウスキー姉妹と名乗り直し、自分達の性別を改めている。

信じる力、そして、恐れない心、この2つを必要としていたのは監督たち自身だったのだ。アメリカは、LGBTに差別的でないと思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。

リベラルな雰囲気なのは、アメリカでもコースト沿いで、内陸部にはびっくりするぐらい保守的な地域がある。昔仲良くしていたアメリカ人で、内陸部出身の女性がいたが、その人が、「女性は家庭的であるべきだ。」と、昭和の人が言いそうなことを言っているのを聞いて驚いた。(でも、ショットガンをぶっ放していました^^;)

監督たちも出身は内陸部なので、彼らの青春が苦悩に満ちたものだったろうと想像するのは難しくない。

この映画は、生物学的な性と心理的な性に違いがある人たちだけに向けられたものでは決してない。そういうこと言う人をたまに見かけるが完全な間違いだ。この映画は、

「このままでいいのだろうか?」

と人生に迷う全ての人に、恐るな勇気を出せ、自分を信じろ、と強く訴えている。

2人の兄弟、いや姉妹は、心を決め迷いを断ち切り、自分たちの苦悩をマトリックスという映画にまで昇華させた。映画の出来栄、そして、世界中の人々の賛嘆が、姉妹が迷いや苦しみを乗り越えたことを証明している。彼女らは自分たちの中に宿る救世主を目覚めさせやり遂げたのだ。

A world where anything is possible.

映画の最後にこういう下りがあるが、これはなんでも可能だという意味ではない。可能性があることを述べるに留まっている。そして、可能性に対して私たちが取れるアプローチは2つしかない、信じるか、信じないか。

もし、これを読んでいる人が、何かに迷っているのなら、この映画を見てみるといい。あなたに一歩を踏み出す勇気を与えてくれるかもしれない。

最後に、この記事を読んでくれた人にネオを救世主へと導いたモーフィアスの言葉を送る。

Mopheus: “Sooner or later you are going to realize just as I did, there is a difference between knowing the path and walking the path.”
 
モーフィアス: 「その内、お前もこう思うようになるはずだ、ただその道を知っているのと実際に歩いてみるのは別物だと。」

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