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シドニーにあるラ・リングア語学学校でインターンをしているさもちゃんです。

今日は、プロフィールを更新しようと思い改めての自己紹介をしていこうと思います。

※前回のプロフィール

自分の考えを発信するする為、自分って何を考えているのかをまとめる為に始めたnoteは、自分を振り返る機会になり思考を整理するきっかけにもなり、非常に良いサービスだなと心から思います。

大学生になってから”何かを自分で行わなくてはいけない”とずっと何かに追われていました。大学生時代「稼ぐ方法 不労所得 好きなこと」などのキーワードで何度もネットをたたき、ブログやFXやらを目にしていました。

ブログは簡単に始められるし情報をまとめて発信すればいいと安易に思っていたことが懐かしく思います。自分の言葉で体系立てて尚且つ、記事を見て良い記事だなと思ってもうには、誰に向けて書くのか、どのような事に興味関心、不安を抱いているのかなどを調べて構成していかなくてはいけない訳で、それもnoteを始めて理解した事です。

さて、本題ではありますが考えが浅はかであった大学生一年生から8年が経ちどれだけ成長しているのかをプロフィールに出してみようと思います。ご興味がございましたら、目を通して頂けると嬉しいです。

ープロフィール

名前:佐本 裕樹(Samoto Yuki)
年齢:27歳(1994月8月23日)
出身:栃木県 
現在:シドニー 在住(3年目)
経歴:シドニーの語学学校でインターン(元サラリーマン)、コミュニティの運営、英語は中級レベル、サッカー歴24年、サッカーコーチ、(個人事業主として色々と)etc

ー過去と現在と未来

家族は至って普通の家庭の4人家族で、4つ上に兄がいます。
幼少期から仲が悪く、「お前は生意気なんだよ」とよくいじめられ泣いていました。2世帯住宅で1階に祖父母が住んでいたので、よくおじいちゃんに匿ってもらったり、守ってもらっていました。

大学生になって一人暮らしを始めてから現在に至るまで自炊はほとんどがパスタを作って食べていました。これは、お昼によく祖父が美味しいパスタを作ってくれていたからだと思います。それくらいおじいちゃんっこでした。

兄がいてよかったなと思うことは、サッカーに出会えたことです。気がつけば3歳にはボールを手にしてゴールに向かって一生懸命ボールを蹴っていました。あの時から24年間もサッカーを続けてられていることは本当に幸せなことで、兄には感謝しています。ただ、幼少期から仲の悪かったこともあり、現在は兄に敬語です。いつか一緒にお酒でも飲めばちょっとは緩和しそうです。

サッカーを24年間続けて多くの経験をすることができました。小学4年生の頃から高校まで栃木県や宇都宮市の選抜に選ばれ、他県の代表と試合をしたり、テレビに一瞬映ったり、地元紙に優秀選手として名前が乗ったり振り返ると頑張ってやっていたのだろうと思います。ただ、プロの世界は容易ではなく高校生の時に大学ではサークルでサッカーを楽しもうと心に決め、体育会でのサッカーを諦めました。

そもそも、高校三年生までサッカーだけに集中して選抜の遠征費やチームでの遠征費、部費、サッカー用具などサッカー環境を整えてくれていた母親と、親族のサポートがなければずっとできなかったと思います。母親には本当に支えてもらったなと思います。口が悪く、態度もよくなく、うるせえよ、と言っていた自分が情けなくなるくらい、一番のサポーターだったなと思います。そうでなければ、今こうしてシドニーでもサッカーをすることはなかったと思います。サッカーを通じて多くの友人や先輩方に出会うこともなかったと思います。本当に感謝しかない存在です。

現在は、シドニーに住んでおり3年目になりました。過去からは全く想像もできない選択をしていて自分でも驚きます。大学では電気電子工学科に所属して、親からはIT業界に就職をして欲しいと言われていたのですが、大学3年生の冬に、スペインにサッカー留学を1週間ほどして「海外で暮らしてみたい」と思い、卒業後は海外に行くんだと張り切っていたのですが、そんな資金もなく就職活動最終組(8月)まで就活を引きずり、一社から内定をいただき就職をしました。

まず、なぜ最終組まで残ってしまったのかですが、「どうしても興味関心が湧くものがなく何をしたいのかが全く分からなかった」と良くある悩みに苦しみました。今でこそ、企業を多角的にみて面白そうと思うことはありますが当時は本当に何もわからずで、自分がワクワクするものにだけフォーカスしていました。そこで、本当にたまたま、運よく、入社する企業に出会い、入社まで至りました。

会社を退職する時に、採用面接をしてくださった方とお話しする機会があり「本当に留学に行くと思わなかったよ、頑張って。」と言われて気がついたのですが、採用面接の時に「3年経ったら海外に行こうと考えています。」と言っていたみたいです。本当に失礼だったなと反省をしています。それでも信じて採用してくださり、社会人として仕事をする機会を与えて頂き、部署で一番大きなクライアントを配属してすぐ担当として任命してくださったり、大きな経験をさせて頂いていたなと思います。何より、退職を申し出たのにも関わらず、みなさんから「応援してるぞ」と前向きな言葉を頂きました。嘘か本当かは確かにわからないのですが、絶対にこの会社に恩を返すと決めた日でした。

シドニー3年目の現在は、これまで以上に多くの方に助けて頂いています。ラ・リングア語学学校でインターンとして学校のスタッフの一員としてチャンスを頂き、自分の未熟さを毎日感じています。英語もまだまだでいつになったらと嫌気がさしますが、これらから学んだことは、継続して毎日の積み重ねでしか成長することはできない、という当たり前のことです。

海外に住み学んだ事も非常に多いです。その一つに、日本の見方が変わりました。日本に住んでいると日本の税金や年金問題と悪い部分ばかりに目が生き、海外は自由でいいのにな〜なんて思っていました。オーストラリアに来て日本がどれだけ世界から評価されている国なのかは、ビザの取得率やワーキングホリデーの制度が国によって全く違うことなどから学びました。

何より、国によりビザが下りるスピード、確率が違うということを理解し自分が日本代表であることを意識して生活をしなければならないと思いました。これらを学ぶことができるのも、多くのアドバイスをくれる方々のおかげで成長できる毎日だと思います。

あと3年もすると30歳になります。同世代で考えると役職を与えられ、プロジェクトリーダーになっていたり、課長、部長と組織を束ねるポジションで活躍しているともいます。海外に飛び出して気が付いたことは、経験値の差を同世代に負けてはいけないということです。海外ならではのゆったりと自分の時間を大切にして生活するスタイルも素敵で良いと思います。しかし、上に登っていく人たちは、ずっと行動をし1日も休まずやり続けています。私の周りにいる方達は、みなさんそうです。こんなの追いつけないと思いながらやる毎日ですが、それがどれだけ大切であるかは行動や言動を目にしていれば分かります。

私自身、将来に不安が目の前のことにとにかく突っ込んでみて、の行動が今できる精一杯のことです。これが現時点でのベストなのかは正直わからず、この後の人生どうなっていくかすら分かりません。ただ、いつも手を差し伸べてくださり、アドバイスをくださり、導いて頂いているのは確かで、あとは信じてやるのみだということは間違いないと思っています。

ーあと3年

30歳までにある程度どこで基盤を築いて行くかを考えなくてはいけないと思っています。ずっと留学をしているわけにもいかず留学自体は残り1年が限界かなと思っております。

残り1年でどこまで成長できるのか。
またこのプロフィールを元に振り返りをできればと思います。

27歳語学学校のインターン兼個人事業主としてちょくちょく活動しているさもちゃんでした。

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■代表を務めているコミュニティのサイト;ぜひ遊びに来てください!

■英語が話せるようになる語学学校(通っている学校&インターン)


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