「甘やかされて生きてきたくせに」私の"見た目”で私を判断しないでください。
振り返ってみると私はこれまで、見た目で判断されることとずっと戦ってきたような気がする。
小学校の時、「デブ」とからかわれた。「デブだからこれはできない」「デブなのにこれはできるの?」と語りかけられ、恥ずかしい気持ちと理不尽な思いでとても悔しかった。そんな小学生の私は、お前らなんかと同じ中学に行ってたまるかという一心で勉強を頑張って、私学中学校に受験した。
10代の時、ギャル風のメイクやファッションをしてるだけでバカにしてきたおっさんがいた。その夜、私はノートに「私は私を見た目だけで馬鹿にしてきた大人たちを見返すためにアメリカの大学を卒業する」と書いた。そんなことは忘れた8年後、私は大検を取ってアメリカの大学を卒業していた。
帰国してからは、アメリカの大学卒業というだけで「すごい」「頭いい」と
変に崇められることがあり、違和感を持つようになった。
最近は、両親が数年前に実家を立て替えたことがきっかけで新たに知り合う人たちからは「裕福育ち」「お嬢様」というレッテルを貼られている。
私はいつも無意識に、その勝手に貼られたレッテル以上の存在であるということを証明しようと頑張ってきたような気がする。
外側だけ見て判断されるのが嫌な理由は・・
私の中身を見てくれていないような気がするから。
私は太っていたけど、私は見た目で人を傷つけるようなことは言わないよ?
ギャルメイクして服装も派手だったかもしれないだけど、私は人の性格や中身を決めつけるようなことはしないよ?
頭がいいから海外の大学卒業できたんじゃなくて、金曜の夜以外の起きてる時間は常に勉強するくらいコミットしたから卒業できたんだよ?
今は裕福に見えるかもしれないけど、小さい時の家計はキツキツでお母さんはいつも怒ってたよ?
外側だけ見て判断されることは、私が経験してきた葛藤、挑戦、失敗、努力、苦しみ。私の価値観、気持ち、想いがスルーされてるみたいで嫌なんだ。
中身をすっ飛ばして、今見えてる外側だけ見て「ラクして生きてるんだろうな」「ズルして生きているんだろうな」と判断されるのが私は大嫌いなんだ。
(ラクしてズルして生きるのが間違いではなく、勝手にそう決められるのがイヤなんだ)
「どうせお前は甘やかされて生きてきたから」
夫と喧嘩した時、よく言われていた言葉。彼はどうしてこんな言葉を口にしたんだろうと、よく考える。
はたから見ると、私は裕福な家庭環境で育ったのかもしれない。祖母のおかげで私学中学にも入学させてもらえたし、留学にも行かせてもらった。
でもだからといって、私はただ甘やかされて生きてきただけなのだろうか?
私は、そうじゃないと思う。
私はこれまでの人生、私なりの葛藤をたくさん経験してきた。挫折もあった。辛くて泣いた数なんて、数え切れないくらいあった。みんなそうだと思う。ただおおっぴらに言わないだけで。
過去のストーリーは、今目の前に居る人にはわかりづらい。見えないに等しいのかもしれない。でも私の過去は紛れもなく存在して、私はその過去があったからこそここまで生きて来れたのだと思っている。
そんな私の過去全てを無視して、「どうせ甘やかされて生きてきたから」と片付けられるのだすごく嫌だった。本当の私を見てくれていないみたいで心外だった。
彼にもっと話せばわかってくれたのかもしれないけど、彼は私の過去の話をあまり聞かないし、私が過去の話をした時もあまり興味なさそうな感じだったから、私から話すこともだんだんすくなくなった。
ああ、コミュニケーションエラーって、「どうせわかってくれない」という小さな思いからはじまるんだなぁ。
もしかすると人は、その「どうせわかってくれない」という捻くれた想いが根本にあるからこそ、外側で人をジャッジしてしまうのかな?
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それでは次回の記事でお会いしましょう。
Sammy 2024/8/19
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