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#7 ベジタリアンとアヒムサー

2024年4月4日、記事の加筆修正をしました。


ナマステー、さみです。

この場所を訪れて頂きありがとうございます。

カルマヨーガの話題で解説した「ダルマ(秩序・調和)」に関して、代表的なダルマの価値が「アヒムサー(傷つけないこと)」です。

今回は、アヒムサーの観点から「ベジタリアン」についてお伝えしたいと思います。

代表的なダルマの価値がアヒムサー

ダルマには、個人のダルマ(義務・役割)、特定の集団におけるダルマ(調和のためのルールなど)、普遍のダルマの3種類があります。

時代や場所が変わっても変わらない、普遍のダルマを「サーマンニャ・ダルマ」と呼び、代表的なものがアヒムサーです。

私たちは誰に教えられなくても生まれながらに、アヒムサーの価値を知っています。

なぜなら、自分自身が傷つけられたくないからです。

「今日はどこに行ったら傷つけられるかな〜」

「今日はこんなに傷つけられた!嬉しい!」

なんて人はいませんよね(笑)

蚊やゴキブリも人間が近づくと逃げようとします。

虫である彼らとて傷つけられたくないし、殺されたくないからです。

人間以外の動物には自由意志がなく、それぞれのプログラム(習性)に従って行動します。

ライオンがある日ヴィーガンに目覚めて肉食をやめたりはしません。

肉食動物は他の動物を殺して食べますが、それは彼らの自由意志による選択ではないので、アダルマ(不調和な行い)とは言われません。

動物には選択がなく、イーシュワラのダルマに従うことしかできませんが、人間は自由意志を持ち、ダルマもアダルマも、アヒムサーもヒムサーも選ぶことができます。

そして人間だけに、他の人や生き物も自分も同様に傷つけられたくないに違いないと理解する力、共感があります。

共感によって、ダルマに留まる選択を練習することがヨーガ(カルマヨーガ)であり、心を成長させる生き方です。

私たちは生まれながらにサーマンニャ・ダルマ(良心・善悪のセンス)があるので、ダルマに反する行いを続けていると、違和感や居心地の悪さを感じます。

人を傷つけたり、騙したりして欲しい物を得ても、なんとなく後味が悪いですよね。

泥棒でさえ夜中にコソコソ盗むのは、盗むのがよくないことだとわかっているからです。

ダルマにおいてダブル・スタンダードはなく、これは自分達にとってよいことだけど、他所の誰かにとってはよくないこと、ということはありえません。

誰もが「これでよい」と受け入れられるものがダルマの価値です。

ベジタリアンはアヒムサーの実践

ヴェーダの文化において、ベジタリアンであることはダルマの実践、アヒムサーの実践と位置付けられます。

ヒンドゥー教徒の大半がベジタリアンなのは、健康のためとか、地球環境のためではなく、アヒムサーの実践のためです。

ヨーガは本来心を育てるもので、副産物として、健康になったり、美しくなるのと同じですね。

「自分がして欲しくないことは他の生き物にもしない」

ベジタリアンであることの理由には、それで十分だと思います。

身体の健康や、環境負荷の軽減を目的とした、西欧の「ヴィーガン」という価値観とは少し異なります。

アニマル・ウェルフェアはアヒムサーに通ずる価値ではありますが、動物でなければ何をどれだけ食べてもよいということでもありません。

植物も生命であり、むやみに食べたり傷つけたりすることはヒムサーになります。

菜食でも根菜や葉物よりも、木の実や果実など、植物本体の生命を損なわない食べ方がより望ましいとされます。

同じ理由から、儀式などで祭壇に捧げられる花も、ひまわりのように一つしか咲かない花は用いられません。

とはいえ、どれだけ注意深く選んでいても、肉体を持つ(維持する)以上、意図せず他の生き物や環境を傷つけてしまうことがあります。

その事実を受け入れて、選択できる範囲において、より傷つけることが少ない選択をすることがアヒムサーの実践だと思います。

また、ヒンドゥー(ヴェーダ)の文化では牛乳は貴重なタンパク源とされています。

ヒンドゥーの文化において牛は神聖なものとして大切に扱われており、人間の欲求を満たすために牛を飼育するのではなく、牛の赤ちゃんの飲み切らない分を分けてもらうという態度です。
(インドでも、現代の大企業による牛の扱いがダルマの価値に沿ったものであるかはわかりません。ヴェーダの文化が残る田舎の村などでは、今も牛は大切に扱われていると感じます。)

我慢から貢献の喜びに

堅い話になってしまいましたが、一人でも多くの方にベジタリアンに興味を持ってもらえることは嬉しいことです。

アヒムサー、特に食事におけるアヒムサーは実践が難しいダルマでもあります。

肉や魚(以下ノンベジ)を食べるのはアヒムサーに反するとわかっていても、過去の習慣から欲求に負けてしまうことはあると思います。

私自身がそうでしたから^^;

アーサナ・ヨーガを始めてからも、今日は肉体労働したから〜とか、家族や友だちと会うから〜とか、なにかと理由をつけて菜食を徹底できずにいました。

実際、同居のご家族がいたりすれば、いきなり食事を全てベジタリアンにするというのは現実的ではないと思います。

もしアヒムサーの実践として、ベジタリアンの実践をしてみようという場合は、まずは週に一日、あるいは一日のうちの一食を菜食にしてみるというのでも十分だと思います。

お肉があってもなくてもどちらでもいい気分の時は菜食を選ぶ、というのも素晴らしいです。

大切なのは、禁酒や禁煙のように、ノンベジを「我慢する」という考えではなく、「ダルマに参加する・貢献する」喜びをもって菜食を選べることだと思います。

私自身、昔は我慢するマインドが強かったので、菜食にストレスを感じたり、ノンベジを批判してしまったり、なんだか体調も良くなかったりと、あまりいいことなく、長続きしませんでした。

ヴェーダを学ぶようになって、貢献という視点を持てるようになり、ベジタリアンであることが苦行から喜びになりました。

貢献できることが嬉しくて菜食を選ぶようになると、不思議とノンベジの頃より体調もよくなりました。

0か100かではなく、「今日は一食菜食を選べた!」という貢献を感じて、喜びとともにベジタリアンの実践を楽しむ人が増えたら嬉しいです。

さとこさんが「ゆるベジ」テーマのnoteを開設してくれたので、菜食に興味を持って頂けた方は是非そちらもご覧ください。

ちなみに私たち夫婦はゆるいベジタリアン(自宅ではほぼ菜食、魚介出汁・乳製品は外食でたまに摂る)ですが、甘いものの誘惑には弱いです(笑)

身体が必要とする以上の糖分を摂ることも身体に対するヒムサーなのですが^^;

身体と感情を持って生まれた喜び、楽しさも味わいながら生きていけたら幸せですよね。

できる限り、ダルマの範囲において(笑)

最後までお付き合い頂きありがとうございます。

namaste.

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