見出し画像

#33 気持ちを汲み上げる

ナマステー。

私ごとで恐縮ですが、現在妻が妊娠5ヶ月で、この歳(39歳)にして父親という役割を授かりました。

女性は実際に胎内で赤ちゃんが育ち、心身ともに大きな変化を体験し、出産前から少しずつ「母親」になっていく。
一方で肉体的変化がない男性は、ややもすると何にも変わらず、「大きな子ども」のまま振る舞ってしまいがちだということを実感しています。
「実際に子どもが産まれたら、父親の自覚が芽生える」
という側面もあるかとは思いますが、男性は(特に自分のようなタイプは)、「父親らしさを自分の中に汲み上げる努力」が必要だと思います。

これはどんな役割でも一緒で、リーダーになるなら「リーダーらしさを汲み上げ、養う」、生徒になるなら「生徒らしさを汲み上げ、養う」ことで、次第にその役割に相応しい資質が自分自身の自然な性質として定着するのだと思います。
父親になるためには、「父親らしさを汲み上げ、養う」こと。
言い換えれば、「父親らしく振る舞う」「父親役を演じる」ということです。
父親になったことがない人がいきなり完璧に父親役を果たすことはできませんから、できるまで「できるフリをする」こと。
身近な先輩や自分の親をモデルとして(あるいは反面教師として)、その人だったらどのように振る舞うかを考えて、真似してみる。
その振る舞いや資質が、自分自身の自然な性質となるまで練習する。

具体的に今取り組んでいることとしては、出産を「女性(だけ)の役割」とせず、夫・父親の立場として積極的に関わること、知る努力をすること。
妻の希望もあり、助産院や自宅での出産についてのお話を一緒に聴きに行ったり、映画を観たり本を読んだり、夫婦で出産や子育ての話をすること。
そうした一つひとつの行いの積み重ねで、少しずつ自分の中に父親としての自覚、父親らしさが育まれていくのを感じます。

「親」という果たすべき義務、役割が与えられ、その「すべきこと(=ダルマ)」が「したいこと」と思えることは幸せなことだと思います。
もう少し若い頃、ヴェーダを学ぶ前でしたら、自分の叶えたい願望を満たすことに忙しく、果たすべき役割を「したいこと」とは思えなかったと思います。
願望を叶え続ける生き方の限界が見えて、ある程度見切りがつき、「すべきこと」が「したいこと」と思えることが成功であり、自由の意味なのだと思えるようになった今だから、与えられた体験なのかもしれません。
出産、子育ては、きっと今まで以上に思い通りにいかないことばかり。
「思い通りにしたい」という過去の習性の考えの癖、増長したエゴを客観的に眺めつつ、あるがままをあるがままに受け入れる練習、カルマヨーガの新しい学びのステージが始まることにワクワクしています。

自分の役割、果たすべき義務を疎かにせず、それらが自分にとってやりたいことと思える私でありますように。
心からの喜びとなるまで、自分の中に父親らしさを、夫らしさ、イーシュワラらしさを汲み上げられますように。

タスマイ・イーシュワラーヤ・ナマハ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?