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カーペンターズがくれた“我慢のご褒美”  中編

「それじゃ意味ないだろ? リチャードからカレンについてのコメントを取ってきてくれ。もし取れなかったら、ほかのグラビアに差し替えるから」

 カレンについてリチャード自身にしゃべってもらうことなんて、できるはずなかった。
 だからといって、貴重な日本滞在中のスケジュールのなかから3時間近くももらっておきながら記事にしないなんて、そんなこともできるはずなかった。
 ついさっきまで幸運にニヤついていた私の顔はすっかり青ざめ強張っていた。

 取材当日、集合場所で簡単な挨拶をすませたあと、リチャード、通訳、先方の関係者たち、そして、私とカメラマンは、媒体が用意した黒塗りのハイヤーを連ねて、グラビア写真の撮影場所に移動した。
 なんの変哲もない公園の汚れたブランコに座らされ、カメラマンが小道具として持参したオモチャのグランドピアノを持たされたリチャードは、笑顔を見せなかった。実際に掲載された写真も口をへの字に曲げ、眉間にシワを寄せ、困ったような顔でこちらを見つめている。

 不安になった私は、カメラマンが先方の関係者と話している隙をみて、リチャードに歩み寄った。今はほとんど話せないが、当時は日常会話程度の英語は使えたので「お疲れのところ、そんな格好で長いあいだ待機してもらって申し訳ありません」と話しかけた。
 リチャードは目を細め、私を見上げる。
「大丈夫、これも仕事ですから」と言って自分の目を指さしながら「ただ、日本のみなさんとはちがって私の虹彩は色が薄いので、サングラスをかけないと光が眩しすぎて目が痛くなるんです」
 そう言うと、リチャードは「気づかってくれてありがとう」という感じで微笑んだ。こちらこそ、私の気を楽にしようとしてくれた彼の優しさに感謝した。
 そのとき、私は「リチャードが自分からカレンの話をしてくれるまで、いつまでも我慢して待とう」と心に決めた。

 話を聞く場所は開放的な雰囲気のレストランだった。道を挟んだ向かいのビルにラジオ局が入っており、リチャードは音楽番組のスペシャル・ゲストとして呼ばれていた。スタジオ入りするギリギリまでインタビューの時間が取れるように、そのレストランが選ばれた。
 残り時間は2時間程度。私はまず、コンポーザーでありソロ・ミュージシャンであるリチャード個人の近況について尋ねた。どの媒体もカーペンターズのことばかり質問するはずだから、きっと不満を募らせているだろうと予測したからだ。質問する際、あまり知られていないソロ活動の情報を織り交ぜることで、リチャード自身に興味があることを暗に伝えた。
 それまでの取材で余程フラストレーションを溜めていたらしく、リチャードは饒舌に自らの音楽活動について語り始めた。いちいち通訳を通さなければならなかったので、時間はあっという間に過ぎた。
 持ち時間を1時間半ほど費やした頃、取材対象者であるリチャードとある程度の信頼関係が築けたと判断した私は、話題を「リチャード個人」から「カーペンターズ」にシフトした。ただし、あくまでも演奏者でありコンポーザーでもあるリチャードからみた「カーペンターズ」に質問を限定した。
 私は「カレン」の名前を慎重に避けながらも「カーペンターズの歌声は……」とか「あの曲の歌詞の表現力は……」など、自然とボーカルであるカレンに話題が向くように仕向けた。しかし、リチャードも絶妙な返しでカレンの話を避けた。

「あと5分ほどでインタビューは終わりにしてください」と先方の関係者が割って入った。
 そんなことは百も承知だった。しかし、まだリチャードからカレン個人に関するコメントは一言も取れていなかった。少し離れた場所に座っていた関係者たちは席を立ち、スタジオへの移動の準備を始めた。
 それでも私は我慢した。
 2時間だろうが、1時間だろうが、30分だろうが、与えられた時間の最後の5分間に相手が最も大切な話をすることはよくある。だから決して諦めず、カレンの名を口にしないまま、なんとかリチャードが自発的にカレンについて話してくれそうな質問を投げ続けた。
 ついに時計の針が約束の終わりの時刻を指したとき、レストランの入り口から若い男が入ってきて、ツカツカと私たちのテーブルに歩み寄る。
「収録の時間です。お迎えにまいりました」
 残された時間はわずかだった。質問できても、あと1つか2つだろう。
 この手だけは使いたくなかったが、仕方なかった。
 リチャードが自らカレンの話をしてくれなかったときの最後の質問は決まっていた。

「カレンと一緒に日本に来れなくて寂しくないですか」

(敬称略)

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