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カーペンターズがくれた“我慢のご褒美”  後編

「カレンと一緒に日本に来れなくて寂しくないですか」

 もしかしたら「Yes」か「No」だけでも答えてくれるかもしれない――そんな一縷の望みに賭けるしかなかった。
 もしダメでも、カレンについての質問をぶつけた瞬間、リチャードがどんな表情を浮かべて、どんな様子で席を立ち、どんな雰囲気でその場を去るのか、脳裏に焼き付けて克明にレポートすることで記事をしめるしかない――そう思っていた。

 私はゴクリと生唾を飲み、覚悟を決めて、リチャードの目を真っすぐに見つめる。
 通訳者に遮断されないよう、英語で直接、最後の質問を尋ねようとした……が、口を開こうとした瞬間、リチャードが私の目を見つめたまま、長い指で頭上をさした。
 虚をつかれた私は、思わず「どうしました?」と英語で尋ねた。
 「ほら、これ、この歌だよ」
 そう言ってリチャードは笑みを浮かべた。

 レストランには落ち着いたジャズがBGMとして流れていた。
 そのときは、女性ボーカルが大人のバラードを歌っていた。
 次の瞬間、私は耳を疑った。
「カレンが大好きな曲なんだ」
 リチャードはさも楽しそうに言った。
 私は表情を変えまいと懸命に努力しながら、通訳を通す時間がもったいないので、英語で直接「なんていう歌なんですか」とリチャードに尋ねながら、頭のなかで英語の歌詞の内容を追い始める。
「I Get Along Without You Very Well」
 そう答えたあと、リチャードは問わず語りに思い出話を始めた。

「カレンが病気で歌えなくなって、病院に入院していた頃、たくさんのレコードを抱えて、よくお見舞いに行ったんだ」
 私は興奮していた。リチャードが自らカレンについて、しかも亡くなる直前の出来事について語り始めたからだ。録音はしているが、一言も聞き漏らすまいと意識をリチャードの言葉に集中させながら、同時に、重要な質問のチャンスを逸しないために、流れていく歌の英語の歌詞も追いかけなければならなかった。
 BGMのボリュームが小さくて、歌詞の意味を厳密には訳せなかったが、失恋した女性の心情を歌ったバラードだということはわかった。
 リチャードは遠い目をして語る。
「当時、カレンも、僕も、カレンがきっと元気になって、また二人でレコードが録音できると思ってたんだ。最初はオリジナル曲じゃなくて、カバー曲にしようって決めていた。だから、どの曲をやりたいか、彼女と一緒に決めるために、僕はいろんな曲のレコードを病室に持ちこんだんだ」
 リチャードは私の目に視線を戻して、
「なかでもこの曲が大好きで、カレンは『退院したら絶対にレコーディングするの』って言ってた」

 そのとき、またタイトルにもなっている「I Get Along Without You Very Well」というフレーズが流れた。
 私は英語で尋ねる。
「またタイトルと同じ歌詞が出てきましたね。私は英語があまりよくわからないので、この『I Get Along Without You Very Well』というのがどういう意味なのか、教えていただけますか」
 通訳を無視して英語でやりとりしておきながら「英語がわからない」というのはかなり不自然な話だったが、この歌詞の意味をどうしてもリチャード自身の言葉で語らせたかったので、瑣末な整合性にかまっている余裕はなかった。
 リチャードは優しく微笑むと、穏やかな声で言った。
「私はあなたなしでもとてもうまくやっていける(I Get Along Without You Very Well)。つまり、あなたと一緒にいられなくなっても平気っていう意味だよ」

 歌詞の内容を追い、女性が強がって嘘をついているとわかっていたが、さらにリチャード自身の言葉を引き出すために、私はわざとまちがえて言った。
「なるほど、ひとりで生きていける強い女性の歌なんですね」
 リチャードは小さく首をふり、
「いや、本当は逆の意味なんだ。あなたがいないと私はたまらなく寂しい、あなたなしでは生きていけない、そういう気持ちを歌った曲だよ」
 そう言うと、三度目となるタイトルと同様のフレーズが始まったのに合わせて、リチャードは視線をわずかに上に向け、口ずさむ。

「I Get Along Without You Very Well」

 リチャードの歌の余韻が消えると、私は両手をテーブルについて、
「取材を終わります。ありがとうございました」
 私が深々と頭を下げるとラジオ局のスタッフが慌てて歩み寄り「急いでください。もう収録が始まります」と言ってリチャードをラジオ局の入っているビルの方に足早に連れて行った。

 私は記事のラスト3分の1でこの一連の出来事を描いて、グラビア記事を完成させた。
 私の知るかぎり、そのときの来日で、リチャードがこれほどカレンについて語った記事はほかになかった。
 それは、リチャードが私の取材者としての“我慢”を評価してくれたプレゼントだったのかも知れない。

(敬称略)



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