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憎き、愛しき、"かわいい"へ

※この物語はフィクションです※

「ナナってぶりっこでキモいんだよね」

代わりばんこに雑誌のちゃおを買って貸し借りする仲だったアユミちゃんが、机を囲む女の子たちに冷たい目で言い放つのを聞いた瞬間、すっと手の先が冷たくなったのを今でも鮮明に覚えている。血の気が引くというのはこういうことか、と当時小学四年生だった私は身をもって学んだ。

私と仲良しであるはずのアユミちゃんによる私への嫌悪感の表明は、私がハブられることへのGOサインだった。それこそアユミちゃんと貸し借りしていた漫画に出てきたような、トイレで水をかけられるとか、机を捨てられるといった分かりやすく派手な嫌がらせはなかったけれど、授業で当てられた時や委員会の仕事で私が何か話す度にクスクス笑われ、かすかに聞こえる音量で「キモ」「ウザ」「ぶりっこ」とヤジを飛ばされて、気にせずにいられるほど強い子どもではなかった。毎朝私にそっくりのロボットが代わりに学校に行ってくれればいいのに、と思いながらランドセルを背負っていたことを覚えている。

だから、父親の転勤で今住んでいる千葉から東京の学校に転校せねばならないと聞いた時は心の中でガッツポーズを決めた。私がライトないじめに遭っているなど思いもせず心底申し訳なさそうに話す父親に、ちょっと寂しいけど楽しみ!と思ってもないことを言いながら、私は強く決心した。次の学校では絶対にぶりっこと言われないようにしよう、と。


ぶりっこと言われないためには、"かわいい"を捨ててかっこよくならなければならなかった。ピンクより水色、二つ結びよりショートカット、スカートよりズボン、といった具合だ。
家庭科用の裁縫セットの柄を選ぶ際、母親に3番の白と青のボーダーにすると言ったら「2番のピンクのレースが付いたのじゃなくていいの?」と聞かれたことを覚えている。お母さんのバカ、ピンクの方が100倍かわいいに決まってるじゃん。でも、かわいいものは悪で、かっこいいものが正義だから、むすっとしたまま「いいの」と答える他なかった。
母親は呑気に「ナナも好みが大人っぽくなったねぇ」と言っていたが、寝る前に布団でピンクのレースが付いた裁縫セットを思って、ほんの少し泣いた。

変えたのは服装や持ち物だけではない。悪口を言われたり真似されたりした仕草や話し方にも注意を払った。身振り手振りは抑える。語尾を伸ばさない。質問する時に首を傾げない。「よいしょ」「ありゃりゃ」といった独り言を言わない。独り言に関しては無意識に口から出るものなので完全に我慢できた訳ではないが、転校前に比べたら減ったはずだ。
最初のうちこそ緊張して口数も少なくなっていたが、ちょうど4月のクラス替えのタイミングの転校だったこと、最初の席の周りのメンバーに恵まれたこともあり、夏頃にはクラスメイトから「ナナちゃんが転校生だったって忘れちゃいそう」と言われるほどクラスに馴染むことができた。夏休みに遊びに誘えるくらいの仲良しメンバー、いわゆる"いつメン"もできた。

夏休み明けにいつメンの一人、リョーコがディズニーランドのお土産としてお揃いのキーホルダーを買ってきてくれた。ミニーちゃんの形の宝石を模したキーホルダーで、赤、ピンク、水色、緑の4色が1パックになった、よくあるお土産だった。リョーコが袋を開けながら、
「うーん、ミユがピンク、ハツネが緑、ナナが水色、あたしが残ってる赤かな。それでいい?」
と提案し、その案にミユもハツネも同意した時、私は感動で泣きそうだった。これまでの地道な努力が身を結び、ナナといえば水色、というイメージが定着したのだから。
デニム生地の筆箱につけた水色のキーホルダーは、日差しに当てるとキラキラと輝くのが楽しくて、くじ引きで勝ち取った窓際の一番後ろに席で、よく日差しにかざしては眺めていた。

順調に小学校、中学校を卒業し、高校生になっても、かっこいいキャラを装うクセは抜けなかった。だって、どこだってぶりっこは嫌われていたから。宮寺さん、ルカちゃん、あやっぺも、クラスでちょっと浮いていたのは性格がちょっと変わっていただけでなく、ぶりっこの色があったからだ。自分のことを下の名前で呼ぶとか、すぐに「わたしできなぁい、手伝って」と言うとか、あえてだぼだぼのカーディガンを着て萌え袖にするとか。
あやっぺが着ているベージュのだぼだぼカーディガンを思い浮かべながら、私はいつもネイビーのジャストサイズのカーディガンを手に取っていた。私は肩幅が広いからきっと似合わないだろうし、かわいい格好をするよりも友達に嫌われない方が大事だし、と自分に言い聞かせながら。

だから、高二でいわゆる修学旅行マジックによって彼氏ができた際、男の子と二人でいる間はぶりっこをしても糾弾されないということに気がついて衝撃を受けた。それに気づいたのは、UFOキャッチャーが得意な彼氏の水沢くんとゲームセンターに行った時だった。
大きなシナモロールのぬいぐるみをかわいいなぁとぼんやり見ていたら、水沢くんが「欲しいの?」と聞いてきた。図星だったけれど、自分はサンリオのぬいぐるみを欲しがるキャラじゃないので慌てて「そんなことない、いらない」と否定すると、彼は「意外とかわいいとこあんじゃん」と言って三度のトライの末シナモロールを穴に落とし、私に手渡した。
それをしっかり受け取りながら口先だけ「いらないのに」と言うと水沢くんは「嘘下手だなぁ」と楽しそうに笑った。

シナモロールを両手で抱えて、脳内で「かわいいとこあんじゃん」の部分を反芻して幸せに浸りつつ、もしこの場に女の子の友達がいたら、と考えるとゾッとした。
「キャラじゃないじゃん」「男の前でかわいこぶってんでしょ」「キモ」「ウザ」「ぶりっこ」…絶対に批判の嵐だ。だめだめ、本来の意味とは逆の猫を被り続けて、"かっこいいさっぱりした女子"ポジションにつけたのだ。それを崩す振る舞いは、決して他の女子たちに見られてはならない。

そう思っていたのに、一度だけしくじったことがある。休日に水沢くんと水族館に行った時、長きに渡る「私服はズボン」ルールを破り、白地に赤の花柄のひらひらしたミニスカートを履いて行った。水沢くんが「ひらひら、珍しい」とちょっと嬉しそうに指摘してくれたところまではよかったのだが、帰りの電車の中で運悪く、そんなに仲の良くない同じクラスの女子グループと鉢合わせてしまった。

顔を引き攣らせながら挨拶だけしてその場を去ったが、やはり週明け学校に行くとそのグループから何やらヒソヒソ言われている気配を感じた。面倒ではあるけれどもう高三の5月、これから受験勉強も本格化するので放っておけばいいかと諦めていると、昼休みにクラスで一番仲のいいマヤが神妙な面持ちで「ナナ、ちょっといい?」と声をかけてきた。教室の端っこに移動し、周りを伺いながら声を落として彼女は話し始めた。

「水沢くんってそういう…威圧するタイプにも見えないし、ナナも自己主張できるタイプだから大丈夫とは思うんだけど、その、何というか、付き合ってるからって言いなりにならないでいいんだからね。もし、困ってることとかあったら相談乗るし…」

最初は何を言っているのか分からなかったが、だんだん靄が晴れてきた。マヤは、水沢くんが自分の服の趣味を私に押し付けているのでは、と考えたのだ。私はこの子のこういう優しくて思慮深いところが本当に好き。だけど今回に関しては、悲しいかな完全に見当違いだ。
私の趣味なの、という言葉が喉の上の方まで出かかったが、打算的な私は飲み込んで、水沢くんの立場も守るために咄嗟に親戚の早苗おばさんを悪者にしてしまった。あれはおばさんが買ってくれたスカートで、あの日は水沢くんと遊んだ後、おばさんの家族とご飯に行く予定があったから、あのスカートを履かざるを得なかったのだ、と。その説明を聞き、ほっとした表情で何度も「それならよかった」と繰り返すマヤを見て、私も胸を撫で下ろした。

その花柄スカートの件は模試や定期テストの勉強の中であっさり忘れ去られた。私以外には。水沢くんは一度だけ「ひらひらのスカート、もう履かないの?似合ってたのに」と言ってくれたけど、うん履かないの、と答えてしまった。お店で散々迷った挙句買って、クローゼットの一番目立つところに仕舞っていたお気に入りのスカートは、一つ年下のいとこに譲ってしまった。ナナちゃんのお下がりでミニスカートって珍しい、かわいいのをありがとう、と言われた時、果たして私はうまく笑えていただろうか。


「ナナ?」

ハッと我に返る。随分長い走馬灯を見ていた。今私はもう26歳で、この前水沢くんと婚約した。
「あ、ごめんぼーっとしてた。式どうするかって話だよね」
「うん。俺は正直強いこだわりはないからどっちでもいいかなと思ってるけど」

結婚式はどうせやるなら、理想を詰め込んでお姫様みたいなドレスを着てみたいし、お花とかの装飾も本当はピンク系で華やかにしたいけど、リョーコたちやマヤ、大学の友人などからしたらキャラ違くない?って思われるかな。よくある馴れ初めビデオみたいなのを作るのも見られるのもムリだし…とか考えているうちに、学生時代のいろいろな記憶が蘇ってきたのだった。

女は女の前で見せる顔が素顔で、男といる時だけかわいい女は装っていると見なされる。ぶりっこの「ぶり」は「振り」から来ているというから、やはり装っている前提なのだ。じゃあ、そのぶりっこをやめてどう振る舞うのが素で正しいのか、私にはよく分からない。

「私、式は挙げなくてもいいから、その代わり、お姫様みたいなドレス着て写真撮りたいな」

かわいい私は、水沢くんにしか見せてあーげない。

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