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Pasta di Status Quo

平井くんとの出会いは、マッチングアプリがきっかけだった。でも、私と平井くんがマッチングした訳ではない。平井くんがマッチングした別の女性と食事をしていたカウンターの隣に、私、望月みのりとコトネが座っていたのだ。

「ねぇ、もっちーの隣の二人組、絶対アプリきっかけのデートじゃない?あの感じ、初回かな?」
コトネがわくわくした表情で私に小声で耳打ちするまでメニューに夢中で気づいていなかったけど、チラッと左側を盗み見ると、確かにそこには初対面のぎこちなさが漂っていた。
「こら、あんまり見ないよ」
私の陰に隠れてガッツリ視線を送るコトネの左腕をぺちんと押さえて嗜める。
「変なとこマジメだよね〜経費精算とかは全然期限守らないくせに。てかさ、もっちーはアプリやらないの?」
「先月はちゃんと間に合いましたー。そしてアプリはやりません」
「なんでぇ、うちの職場じゃ良縁なんか期待できないんだから外に目を向けないと」
「めんどくさい。初対面の人と話すの好きじゃない。この前菜盛り合わせとトリッパの煮込み頼んでいい?飲み物、最初はビール?泡もあるけど」
「バッサリだねぇ〜。ビール!あとパテも食べたい」

そのあとは料理と自分たちのおしゃべりに夢中で、隣の男女のことなんかすっかり忘れていた。コトネがお手洗いに立ち、手持ち無沙汰の間携帯をいじっていると、隣の女の人の声がよく聞こえるようになった。ん?なんか、怒ってる?

思わず左を向くと、女の人がまさに「もういい」と言って席を立ち、お店の出口に向かっていくところだった。おおドラマみた〜い、と思いつつ自分の野次馬心を恥じた瞬間、残された男の人と目があった。ぺこりと頭を下げられて、反射で頭を下げてしまう。

「すみません、うるさくして」
「いえ、全然うるさくなかったです。こちらこそジロジロ見ちゃってすみません」
「いえ……昔から、一言多くて他人を怒らせることが多くてですね」
黒縁メガネの奥で、瞳が聞いて聞いて、と言っている。同い年くらいだろうか。コトネもまだ戻ってこないし、よかろう。聞いてやろう。
「はぁ、怒らせちゃったんですか」
私が聞き手に回るムーブを見せたため、彼は嬉しそうな表情で続けた。

「彼女が、ご両親のことを『パパとママ』っておっしゃるんですよ。最初のうちは我慢しようと思ったんですが、会話の中で何度も繰り返されると、どうしても気になってしまって、つい、親しい人以外との会話では両親とおっしゃった方がよいのでは?と言ってしまって」
「え、それで怒って帰っちゃったんですか」
「はい」
「そーれは…お兄さん全然悪くないですね…むしろ優しい」
「優しい?」
「そういうの、無視する方が楽じゃないですか。私、無視するタイプなんですよ。その人が非常識だって周りから思われても私には関係ないし。仕事で客先に行った時だったとしても、話題を無理やり変えておしまい。注意はしません。面倒臭いから。でも、世の中がみんな私みたいなタイプだときっとうまくいかないんですよ。お兄さんみたいに、ちゃんと相手のために注意してあげる人、必要だと思います」

「わかる〜、もっちーはもっと他人に興味持った方がいいよぉ、まぁそこがいいところでもあるんだけどね」
いきなり右肩の後ろからコトネが会話に参加するのでびっくりして、危うくワイングラスを倒すところだった。
「あ、すみません急に会話参加して。この子の連れです。あの、よかったらお兄さんも私たちと一緒に飲みません?」
ハァ?なんでそうなる!?という私の目線をわざと無視して、コトネは男の人に声をかけた。さすがMBTIがESFP、エンターテイナーの女である。さっき私に突然話しかけたくらいなので彼は二つ返事で申し出に乗り、その日は3人で飲んで、連絡先を交換して解散した。

「コトネって、ああいうかわいい系の男の人が好きなの?もっとゴツい感じの人がタイプなのかと思ってた」
帰り道、ふたりになってからコトネに聞くと大袈裟にため息をつかれた。
「何言ってんの、もっちーはああいう犬っぽい子の方が合うと思ったから誘ったんだよ。仰る通り、私はもっと漢!って感じの人がタイプです」
「え、そうなの!?ごめん私邪魔しないようにと思ってご飯食べてばっかりで」
「ほんとにさ、こっちの気遣いも知らないで…で、どう?平田くんだっけ?」
「平井くんね。え〜、どうもなにも…1時間ちょっと喋っただけだし、社交的で感じのいい人だな〜くらいにしか...」
「そんなにか〜。ま、大丈夫。多分あの感じはもっちーのこと気に入ってたね。私のこういうの、結構当たるから。誘われたらめんどくさがらず行きなよ?いい人だったじゃん」

というコトネの発言は話半分に聞いていたのだが、あながち間違っていなかったようで、後日個人宛てに誘いの連絡があった。何度か食事に行き、3回目の食事の帰り道に告白され、付き合うことになった。このことをコトネに報告すると「いいねぇ〜奇を衒わず定石で攻めるタイプ、私は嫌いじゃないよ」とのことだった。


そんな不思議な出会いから気づけば半年以上経ち、2ヶ月後には交際してちょうど1年になる。今日は土曜日で、お互い予定がなかったので彼が私の家に来ている。私は土日休みの仕事だが、彼は予備校講師でシフト制のため、会う頻度は週によってまちまちだ。

どこかに行こうかとも考えたが、雲が分厚く天気予報を見ると1時間しないうちに雨が降り始めるらしい。じゃあ家でのんびりしてようか、ということで、ひとりだったら見ない王様のブランチをぼんやり眺める。こういう番組って、毎週毎週新しいお店やスポットを見つけて、企画を考えて、枠に収まるように組み立ててすごいなぁ、と舞台裏に思いを馳せてしまうあたり、年をとったなと感じる。無理もない、3ヶ月前にとうとう30歳になった。

「人が焼肉食べてるとこ見てたらお腹すいてきた。平井くんは?」
「あー、ぼくもお腹すいてきたなって感じ」
「お昼にしよっか。外に食べに行く?あるものだと〜、レトルトのパスタソースでパスタか〜、冷凍ご飯でチャーハンか〜……その二択しかないや」
「みのりさんがよければ、パスタにしない?ちょうどさっき、雨降り出したみたい。ほら、信号待ってる人、傘さしてる」
「おっけー。アラビアータのパスタソースあるんだけど、それでいい?ケチャップと野菜でナポリタンも作れるかな」
「アラビアータいいじゃん!」
「じゃあそうするね」

戸棚から鍋と湯煎式のパスタソースを取り出して湯を沸かす。沸騰を待ちながら、ふと、もし平井くんと結婚したら、日々こんな感じなのかな、と思った。その途端、膝からスコンと力が抜けそうになった。え、めちゃくちゃいやだ。

平井くんが嫌なわけではない。コトネの読み通り相性はいい方だった。おしゃべり好きで気遣いができる彼、自己主張が苦手で聞き役の方が性に合う私。1年弱付き合ってきて、金銭感覚、衛生感覚ともに大きな隔たりは感じたことがないし、ギャンブルもタバコも無縁、性格的に浮気もしなさそうだ。年収は細かく確認していないけれど、話から推測するに、年上なのもあって私の方が少し多そう。でも、生活に支障が出るレベルではない。

今年私は30歳、平井くんは28歳。私と付き合い始めて平井くんはマッチングアプリを退会している。それは、まだ若い彼の無限に広がっていた選択肢を捨てさせたのと同義だということは分かっている。

好きだし、大事だし、別れたくない。でも、平日仕事を終えて「ただいま」と帰ってくる家は、自分ひとりの家であってほしい。その感情と、あなたに対する好意はまったく別物なのだと説明したとして、平井くんは理解してくれるだろうか。この主張は理にかなっているのだろうか。

「みのりさん?お湯沸いてるよ」

カトラリーを取りに来た平井くんに声をかけられ、ハッと我に返る。
「あ、ありがと。ぼーっとしてた」
「お疲れですね〜、あとで肩揉んであげようか」
「ううん大丈夫、お気持ちだけありがたく」

こんなに優しくていい人を、私は宙ぶらりんにさせたがっている。でも、彼が優しくていい人なのは、多くて週一でしか会っていないからかもしれない。毎日一緒にいたら、パスタもチャーハンも手抜きで嫌だと言われるかもしれない。部屋だって彼が来る前に気合いを入れて片付けたけど、常にこんなに綺麗にはできない。疲れてるって言うけどぼくだって疲れてるよ、なんて言われるかもしれない。今は、ちょっと嫌なことがあっても、ひとりの部屋で好きなものを好きなように食べて、お気に入りの動画を見ればそれなりに回復する。一緒に住むということは、完全に自分の好きにできる時間と空間がなくなるということだ。

ソースの湯煎用に小鍋に少し湯を分けてから、塩を入れて、パスタを入れて、タイマーを7分にセットする。私はいつまでに腹を括らないといけないのかな。1年なのか、2年なのか、ふたりでちゃんと話して、期限を決めないといけないのに、嫌われるのが怖くて、可能な限り誤魔化して引き延ばそうとして。時間は有限で、なんとかなんてなりようがないのに。ぐるぐる考えながら冷蔵庫で元気を失いかけていたレタスをちぎり、賞味期限内に使い切れたことのないドレッシングをかけて、申し訳程度のサラダを作る。

ピピピピピ、と鳴くタイマーを止め、火を消し、湯を捨てパスタをザルにあける。もわんと顔にかかる湯気に負けず、ザルを上下に振った時のチャッチャッという音が小気味よい。湯煎したソースの封を開けると、にんにくとトマトと唐辛子の香りがキッチンを満たした。パスタとソースを目分量で半分ずつお皿に分ける。

「はーい、お待たせ」
「いいにおい〜ありがとう」
「私お湯沸かしただけだよ」
「サラダも作ってくれたし」
「萎れたレタスで申し訳ないけど。さ、冷めないうちに食べよ」

いただきます、としっかり手を合わせてから食べ始める。なんか休みの日って感じだね、と嬉しそうに言う平井くんはとてもかわいらしい。
そうだね、と微笑んで返す。ずっとこんな感じで、楽しくなかよく一緒にいられたらいいのにね。同棲も結婚もせず一緒にいるのは、やっぱり難しいのかな。

レトルトのパスタソースは、にんにくの風味もトマトの酸味も唐辛子の辛味も控えめで、具材は均一に混ざり、平坦な味ではあるが安心する。そういえば、平井くんと出会ったあの日もアラビアータを頼んだ。お店ではペンネパスタが使われていて、穴の中に隠れていた唐辛子の種で思い切りむせたっけ。刺激が魅力になるかノイズになるかはタイミング次第だけれど、今の私にはノイズでしかない。変化も刺激もいらないから、このまま淡々と似たような日々が続いてほしい。誠実ではない本音をパスタと一緒に飲み込んで、「おいしいね」と自分に言い聞かせるように言葉を発した。

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