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愛は海月のように揺り動く

久しぶりにnoteを書こうと思って左指を動かした。
思い立った理由は、今日イヤホンを忘れたからである。
三ヶ月ほど前からVTuberを見始めて、もうずっとそうだったかのように彼の配信に生活を委ねてしまっているのだが、イヤホンを忘れたせいで彼の特徴的な笑い声を聞くことが叶わなくなった。
「推し」というものが出来たのは初めてではない。むしろ数え切れないほどにいる。アニメのキャラクターから舞台俳優、芸人さんに至るまでたくさんの「推し」と「好き」に囲まれてきた。しかし、その誰に対しても半年後同じ熱量でいることはなかった。
もちろん今でも好きだ。活躍を見かける度にワクワクするしアプリをアンインストールすることもチャンネル登録を解除することもない。しかし、あの5ヶ月間のトキメキはもう感じられないのである。それはもう不思議なことに。

どんなことでも持続できる人ってすごいと思う。ピアノやスポーツなどの能力を高めるために毎日継続して練習すること、顔のハリを保つために毎日欠かさず肌ケアを行うこと、同じ人をずっと好きで居られること。とりわけ、私にとっては同じ人をずっと好きでいることは才能が無くては出来ないことだと感じている。それこそ、10年付き合った彼女と結婚しました、なんてオリンピックで金メダルを取りましたと同じくらいすごいことに思えてしまうのだ。
何か嫌なことをされたわけでも見たわけでもないのに、ある日突然興味が無くなる。恐ろしいことである。今まで毎日見てきたもの、好きだったものが私にとっての「なんでもないもの」に変わっていく感覚。耐え難いものがある。しかしどうしようもない。私は変わることが出来ないから。

最近、同じ感情を彼氏に抱いている。こちらはたしかに冷めた原因になりうる出来事があったがしかし、にしても酷いというレベルで本当に興味が湧かないのだ。何を言われても何をしていても響かない。一年半前はあんなに好きだったのに。4ヶ月も片想いしていたのに。あの時から数えて10ヶ月ほどまでつまり付き合ってから半年は好きが持続出来ていた。私にとっては推しよりも長い「好き」だった。なのにどうして。

別れを伝えることを恐れている自分がいる。ああ、また私は同じ人を一途に愛することが出来なかったのかと。「人を愛する才能」が欲しい。七夕の願いはそれにしようか。



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