見出し画像

もっと出来るはず

今日、ゼミの中間報告会があった。私の班は一番最初に発表した。じゃんけんで勝った私が決めたことだ。全然時間の取れていない発表内容。しかも周りはすごい人達ばっかりだ。時間が無いなりに頑張れたんじゃないかと思っていた。しかしやっぱりほかの班の方がすごいと思っていたのでトリは嫌だと思い、一番手にした。

結果は、惨敗だった。

最近の私のカメラロールは、人の笑顔ばっかりだ。仕事を辞めた母が家に居り、通学時には恋人、学校に行けば友達、バイト先の居酒屋でも笑顔を振り撒いている。みんな好きな人達だ。好きだ。好き。でも心は疲弊していく。
人がいるとスイッチが入り、すごいね、しっかりしてるね、頑張ってるね、もっと頑張れ。そう言われているように感じ、または自分自身に言い聞かせてしまう。一日に使える社交性は限られているのに、もう借金ばっかりだ。

ゼミの中間報告会の二週間前に体調を崩し休んでしまった。もう少し頑張れると思ったのだ。頑張れなかった。でもそんなことは言い訳に過ぎない。一緒のグループの二人はとても忙しくて、私がPowerPointを作成した。ほぼ自分の考えだ。しかしそれも言い訳に過ぎない。体調管理も考える時間も足りなかった。しかしそれは氷山の一角で、一番は自分の能力不足。
そうだ。能力不足なんだ。
大学生になって沢山のことを経験した。でも、やり切れたことってあっただろうか。高校時代も経験だけ詰んで、能力を磨いてきていなかった。
大学でも、そうするの?
認めたくないな。
時間が無くて、班員の手伝いも薄くて、悩んでいた彼の班は、ほとんど彼の考えだろうけど、まとまっている素晴らしい内容だった。他の班も言わずもがな。焦った。とても。
すぐに反省会をしようと言ったが、話を進めすぎてついていけないと言われた。そりゃそうだ。もしかしたら私の班員はそれほど気にしていないのかもしれない。でも、「お前居るんだからもっといい発表だろうと思った」と言われた。私、期待されてるの、されてたの?悔しい。くやしい。もっと出来るはずなのに、って一番悔しい。みんなは悔しくないの?

凄そう、じゃなくて凄いねって言われたい。
やってそう、じゃなくてやってる人になりたい。
やってるフリするのやめたい。もっと出来る人になりたい。私はもっと出来るはずだから。

ここが正念場な気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?