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おお、金がない

金がない。金のなさとは自由のなさだなと度々思う。

物価高や重い税金により前よりも人々の生活が圧迫されているらしい。らしい、というのは実際実家に暮らしている大学生のペーペーからするとあまりその実感が得られないのだ。たしかに子供の頃は6,000円くらいだったディズニーランドのチケットは先日10,000円を超えたし、私の賃金では1,500円のランチにはいけないなと思う。しかし、北海道で一人暮らしをしたことのある身であったとしても千葉4人暮らしの水道光熱費を見てもピンと来ないし、トマトや卵が5年前どんな値段だったかも忘れてしまった。

しかし、「金がない」とは人によって基準が違うなと思う。借金をしていてもなお取らぬ狸の皮算用で羽振りよく使う人もいれば、貯金があるにも関わらずお金が無いからと遊びを断る人もいる。かく言う私も、貯金に手を付けることになりそうならお金が無いからと断るような人間だ。特に今は社会人になってから一人暮らしをするために貯金をしなければならないのでなおさら貯金に関しては敏感である。「金がない」「金がない」と言うことによって自分に暗示をかけている節もある。そうでなくとも、私は手元に最低100,000円は無いと不安である。どこにも旅に行けなくなるからだ。

私は私が常に機嫌よくいられるために様々な努力をしている。しっかり寝られるようスケジュールを組んだり、お腹が空かないよう常にちょっとしたお菓子を携帯していたり。その際たるものが貯金だ。もし私が気が狂いそうになってはこの場から離れたい!!と思った時に金がなければどこにも行けないのだ。もしクレジットカードを切って支払い不履行という傷がつこうものなら、将来急に家が欲しいと思った時にどうしようもなくなるではないか。
衝動で生きるために計画を怠らない、それが私が22年間で学んできた人生のすべてだ。

それにしても、9月と10月は金を使いすぎた。留学に山梨旅行とあっちゃ、ギリギリ貯めてきたお金に手がつきかねない。
そのため、今日のように1時間早くバイト先に着いてしまった日でもカフェに入ることが出来ずに散歩をするしかないのである。

金がないとは、なんと惨めなことか。


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