知ったかぶりをするくらいなら死ぬ

おはようございます。サメル(覚める)です。

突然ですが、皆さんの周りに知ったかぶりをする人はいますか?

私は知ったかぶりをする人が苦手です。

知ったかぶりをする人というのは「人生はこうするべき」とか「結局こうなんだよ」「こうするのが一番」という様な、我は人生の解を得たり!的な立場から話をする人です。はっきり言ってこれは完全に好みの話なので、大した理由はなく感情論です。

苦手である理由を無理矢理述べるならば、「思考停止している」「悟ってる自分カッケー」という感じが見え隠れするからです。例えば思考停止している人に私が意見を述べても「こいつまだわかってないな」的な顔をして自らの考えが否定されることから目を背けるだけなので話になりません。なので苦手です。どうせなら話ができる人がいいです。

私は基本的に何についての正解も知らない、と思っています。今まで経験した自分の感情、周りで起こったことすらほとんど覚えていません。そんな私にどんな真実がわかるというのでしょうか。できることといえばせいぜい今自分は何を欲しているのか、なんとなく想像するくらいのものです。(何が食べたい、とかそんな感じ)

人生を理解したと言わんばかりに人様に偉そうに人生哲学を語るほど賢くありません。そもそも正解がわかってしまったら人生の残りの時間は消化試合です。試合終了してあとは流して終わり、みたいなテンションでよく残りの人生生きていく気になるなと思います。私なら死ぬことにします。

そういう観点に立つと、これはあくまで仮説ではありますが、人生は自分が何者かになる過程を楽しむものでそれに終わりはないのではないでしょうか。終わる時があるとすれば今考えうる最終の状態、すなわち「死」を迎えた時なのではないでしょうか。

ちなみに「過程が人生だ」とする結論にするつもりはありません。もう少し考えます。同時にこの一文は「過程が人生だという結論にするつもりはなくそれについてまだ考えている過程である」という矛盾と自己否定の中にある言葉です。ずいぶん捻れた言語表現だなぁと自分でも思います。とりあえず自分の命が尽きるくらいまでは考え続けることにします。

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