変わらないものについて

おはようございます。サメル(覚める)です。毎日500文字前後で投稿しています。

500文字というと原稿用紙換算で2枚分。テレビなどのナレーションではおよそ1分半〜2分程度。読むのはもっと早いので1分程度で読めます。1分くらいで人生に新たな視点が一つ増えるかもしれません。是非お付き合いください。

今日は、変わらないものについてです。

一貫性のある人、というものに我々は憧れますが、なぜでしょうか。一度自分が言ったことを曲げず、一定の基準を持って自分の行動を選択する。皆さんもそうありたいと思い、常に行動されているのではないでしょうか。

私は悲観的なことに、一貫性などという性質は人間には備わっていないと思っています。人間はの気分は1日のうちにもコロコロ変わり、物の見方すらも朝と夜では全然違います。(朝はポジティブ、夜はネガティブみたいな話です。)気分に左右されない、自分の中の絶対的な基準を言葉にできない人は、その場その場で判断するので、基本的に一貫性はありません。

そんな気分屋でありながらも賢い我々人間は互いが平和に暮らせる社会を築くために、自らに一貫性を課すことをやめ、一貫性のある構造を作り出すことで現代の社会を成立させてきました。

際たるものが、法律や国家といった物です。あまりに気分屋で昨日大好きだった人を明日には殺したいほど憎んでいるかもしれない我々は、互いの命を守るために、全ての人に平等にのしかかる「法律」という形で明文化する方法を取りました。

例えば一万円札は物としてはただの紙切れですが、日本という不変の国家がその価値を認め、日本という国家を我々国民が信用している限り、ただの紙切れはあらゆる物と交換できる力を国家によって付与されます。

これらが、基本的に気分屋である我々人間の変わらない物に対する絶対的な信仰の一端と言えます。

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