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東大生、ワーホリで価値観を壊される~優等生的な生き方じゃなくたっていい~

こんにちは、ニュージーランドでワーホリ中のさめです。

突然ですが、私は現役東大生です。(休学していますが)
あんまりこの肩書きを使って物事を語ることはしたくなかったのですが、書かないと話を進められないので言うことにします。

現役東大生?そんなの人生勝ち組じゃん!苦しむことなんてないでしょ。
そう思う方もきっといるのではないでしょうか。
でも、私も生身の人間。たくさん悩んで、苦しんできました。

その要因の一つとして、今までの私がどこかで人生の「正解」のようなものを求めすぎてしまっていて優等生的な在り方に縛り付けられてしまっていたことがあります。
自分のやりたいことをやる「自分軸」での行動ではなく、他人からどう思われるかという「他人軸」ばかりを気にかけて息苦しくなってしまっていたのです。

そんな中、いろいろあって決断した休学とニュージーランドへのワーホリ。
「人生変わった!」みたいな劇的な変化と言えるかはまだわかりませんが、自分の中での価値観は割と変わった気がします。

今回はそんな自分の価値観の話を少ししたいと思います。


1. 優等生的な在り方に縛られていた自分

そもそも私はどういう人間なのか?というところを少し。

東大合格!でもどこか覚える違和感

高校は地元で一番の進学校に通い、「君なら努力すれば受かる」と勧められるがまま東大に志望校を設定。1日10時間以上勉強する過酷な日々を経て現役で合格しました。

入学式での1枚

大学入学後も「これは自分が学びたいことなのかな?」と思いつつ人気が高い授業ばかり取ったり「意識が高そうな」団体に手を出そうとしてみたり。そんな日々でした。(ちなみに前者はゴミみたいな成績しか来なかったし後者はちゃんとノックアウトされました。笑)

そんな日々に少しひずみができたのが1年の後期。文科一類(法学部っぽいところ)にいたこともあり、周囲で評判だった社会問題を学ぶゼミのようなものに入ったのですが、周りの人が目を輝かせて「法律を本気で学んで~に活かしたい」「司法試験に受かって~をしたい」「官僚になりたい」などと言っているのを見て私には何かが違う……となってしまいました。

「現場」を重視するゼミで、いろんな分野の最前線の話を伺えたのは面白かったです。
これは国会議事堂の見学に伺った時の写真!

また、法律系の授業にはどうにか少しは関心を保っていたものの、自分の興味を優先して取った他分野の授業により惹きつけられる日々。
前述のゼミにはコミットする気力が失せてしまいました。

自分が学びたいことを重視した学部選び…のはずだったけど

2年生になると、私は東大独自の制度「進学選択」(通称:進振り)に向き合わされることになります。
進振りは東大独自の制度。東大に入ると最初は全員教養学部に所属するのですが、2年生の夏に進振りを経て所属学部を決定します。

とはいえ、入学時の科類(受験時に決定する実質的に1・2年次の学部のようなもので、文系は文科一~三類、理系は理科一~三類がある)によって行きやすい学部は決まっており、私が所属していた文科一類では大半の人が法学部に進学します。そもそも私が文科一類を受けたのも元々は法学部に行きたかったからです。

しかし、前述のゼミでの思いを理由に私は「本当に法学部に行きたいのか?」という状態になってしまいました。
「優等生」であろうとしがちな性格が功を奏し(?)文系であればほとんどのところには進めそうな成績だったので悩みに悩んだ結果、法学部ではなく教育学部に進学することにしました。

東大の教育学部で扱っている領域は非常に広いのですが、その中でも博物館学や図書館情報学を専門とされている先生がいらっしゃったことが決め手です。また、万が一これらの分野に興味をなくしてしまっても、教育全般に関心があるので自分のやりたいことは何らかの形でできるだろう、という判断もありました。

そうやって自分がやりたいことを優先で学部を選んだつもりだったのに、結局「優等生」であろうとして学びそのものではなく成績ばかりを気にしてしまう、という状態に陥ってしまいました。
さらに、大学院には進学せずに学部卒で就職するつもりだったので、「ガクチカ(=学生時代に力を入れたこと)を語れるようにならないと」「なんか意識が高そうですごそうな人間にならないと」というプレッシャーとも共存していました。

2. ワーホリ決断、渡航まで

と、長くなってしまいましたが私という人間の説明はこんなところにして、ワーホリを決断した話に移ろうと思います。

ワーホリ決意のきっかけ

ワーホリを考え始めたのは1年生の3月~2年生の4月頃でした。
たくさんのことに手を出した中で、残った数少ない活動の一つが学園祭の運営。それなりの立場につくことが決まり、毎日活動に打ち込んでいました。

学園祭当日、いろんな方の笑顔を見るのが何よりもやりがいを感じて幸せでした!

そんな中、1年の3月に目の手術のため3日間入院することに。更に手術後一週間はスマホなどの電子機器をほぼ見られない状態になりました。目の痛みで外に出ることもほとんどできないので、家に籠ってただひたすらいろんなことを考え続ける日々。
私はこのままだと4年生まで学園祭を頑張ることになるのかな、と思う一方で、ずっと学園祭のことばかりしているのは何か違くない?と思うようにもなりました。

手術後のダウンタイムから復帰してすぐ、中高同期たちと会うことに。久々の再会は勿論最高に楽しい時間だったのですが、帰りにそのうち一人が放った言葉が私の運命を変えることになります。

私、1年くらい休学して海外ふらふらしてみたいんだよね

これだ、と思いました。

それからしばらく自分なりに海外を1年ふらふらする方法を考えた結果、中学生の頃に何かの雑誌で読んだ「ワーキングホリデー」の存在を思い出しました。
当時の私は勉強よりもとりあえず働いてみたい!という思いが強かったのもあり、これしかない!となってしまったわけです。笑

みんなで上野の周りをただフラフラしながらいろんなことを話しました🌸

留学でなく「ワーホリ」にこだわった理由

多くの方に「なぜ留学にしなかったのか?」と聞かれるのですが、先述の「海外をふらふらしてみたい」「勉強よりもとりあえず働いてみたい」という思いのほかには、自分の英語力への自信のなさがありました。

高校時代に英検準一級を取得してはいたのですが(記憶の限りでは)ぎりぎりでの合格だったうえ、1年の2月に行ったオーストラリアへの超短期留学で英語での授業・会話にまるでついていけなかった(注文さえろくにできず、他の人に頼りきりでした)苦い思い出があり、留学にしてもついていけるわけがない……と思ってしまいました。

東大との協定校への留学にあたってはIELTSなどの語学試験のスコアを求められますが、自分なんかには無理だとそもそも受けることすら諦めてしまったのです。(受けておけばよかったな、という後悔は今でもあります)

そんなこんなで東大の協定校への正規交換留学ではなくワーホリを決意、語学力への不安から最初3か月は語学学校に通うことを決めたのでした。

3. いざ渡航したのはよいけれど

思っていたのと違う??

ワーホリ決断から時はあっという間に流れ、4月、ついに私はニュージーランドに渡りました。
しかし、待ち受けていたのは想像とあまりにも異なる「こんなはずじゃなかった」日々。

ほとんど友達ができず、ただただ合わない語学学校。
(誰も悪くないけど)2人の乳幼児と1人のお腹の中の赤ちゃんを抱え、常に限界そうなホームステイ先。
しょうもないことで喧嘩ばかりしたルームメイト。
治安が必ずしも良いわけではないのに鍵がかからない/寒い/虫大量発生のトリプルコンボでストレスの溜まるフラット生活。
職不足の中どうにか手に入れたけどやりたかった職種ではない上に半日本語環境の仕事。
終わりの見えない求人活動。

日本にいるときはほぼ泣くことがなかったのに、ニュージーランドに来てからは泣いてばかりいました

自分の部屋にアリ退治キットを置いたらその日のうちにアリの死体で埋め尽くされるほどでした。

「東大生」は無力

これまで、私は私が思っていた以上に「東大生」という肩書に頼り切っていたようでした。(「東大生」の肩書を使った記事を今書いている身で言うことではありませんが……笑)

変わりつつあるとはいえ学歴が重視されがちな日本とは違い、ニュージーランドは実力社会。働こうにもすぐに能力を発揮できる即戦力が求められます。大学に行ったとはいえ、重視されるのはその名前ではなく何を学んだか。ある大学に行けたという事実は、それだけでは何も意味を為さないのです

渡航前になぜ下調べをきちんとしなかったのか、と何度も自分を責めました。
クライストチャーチという街、そしてニュージーランドという国のことまで、一度は大嫌いになってしまいました。

4. 今あるものから「逃げる」ことにした

WWOOF/HelpXを始める

7月上旬。
私は退去と退職の連絡を入れました。
クライストチャーチという街から離れることを決断したからです。

代わりに私はWWOOF」「HelpX」というサイトを使い、ニュージーランド全土を回ることを決断しました。これらのサイトは、非常に簡単に言ってしまえば住み込みボランティアのホストとボランティア希望者を繋げる場です。

勿論求人活動を続けることも選択肢にありました。しかし、冷静になって考えてみると街でできる仕事は使う言語が違うだけで東京に戻った後もできそうなことばかり。また、生きたニュージーランドの生活を体験できないこと、いろんな人と知り合うのが難しくなりそうなことがネックでした。その点、WWOOFやHelpXだとニュージーランドでしかできなさそうなことを体験しやすく、短期滞在に理解があるホストも多いため、いろいろなところを回りやすいのが魅力でした。結局、最初の目的「海外をふらふらしてみたい」に戻ってきたわけです。

WWOOFやHelpXでも勿論リクエストを断られることも多いですが、仕事よりは経験やスキルを期待していない人が多いため、私もどうにか滞在先を確保できました。悪く言ってしまえば、「楽な道に逃げた」ということです。(と言いつつ最初の滞在先がまあまあブラックでちゃんと苦しむことになるんですが、その話はまた別の機会に。)

後悔の無い選択を

「初志貫徹できていない」「軸がぶれすぎ」私の行動はきっとそう批判を受けることでしょう。
それでも私は自分の決断に全く後悔していません。

あのままクライストチャーチに留まっていたら間違いなく出会っていなかったたくさんの面白い人たちと出会い、たくさんの貴重な経験をしました。苦しい経験もしましたが、笑顔でいる時間の方がよっぽど長い日々になりました。

特に最初の滞在先で知り合った中国人と香港人の2人組は、別れた後も何かと気にかけてインスタでDMをくれるような大切な存在です。

1年しかないワーホリの時間、泣くよりも自分の心が赴くまま時間を使いたい。
あれだけ溢れ出していた涙は、いつの間にかどこかへと消えていました。

幸せだなあ
そんな思いが自然と出てくるようになったのです。

最初の滞在先は農場!WWOOFやHelpXではこのように自然が体感出来る滞在先が多いです。
辛いことも多かったけど、間違いなく良い経験でした!

5. 変化した価値観

ようやくタイトル回収です。
結局私の中で何が変わったのかな、と考えたときに「他人軸」よりも「自分軸」を重視できるようになったことが大きいと思います。

「海外をふらふらしてみたい」きっかけは他人の言葉だけど、これだと思えた「自分軸」で決めたはずのワーホリ。
しかし、気が付いたら「失敗ワーホリの典型例」「就活に役立つワーホリの進め方は~」「成功ワーホリにするには?」そんな「他人軸」の言葉にばかり苦しめられていました。自由に1年を過ごせるはずのワーホリにさえ、どこかで「正解」を求めようとしていました。

そんな「他人軸」を捨てて自分の気が赴くまま進み始めたことで、ようやく幸せだと思えるようになったのです。

あとは大学に対する思いも変わりました。
日本一の大学だから、勧められたから、と何となく進んでしまった東大。成績は確保しているとはいえないがしろにしてきた勉強。こちらに来ていかに自分が貴重な機会をおろそかにしてきたか痛感しています。
やはり日本一の大学と言われるだけあり、様々な面で恵まれていたと実感することが多くあります。復学後はその機会を余すことなく活用していきたいです。

学部卒で就職したい、という思いには今のところ変わりはありません。今まで見えてこなかった就活の軸は相変わらず見えてきませんが、最近は「面白い」ことを何らかの面で支えられたらいいなと考えています。というのも、私自身が日々の暮らしにちょっとした「面白さ」がないと耐えられない人間なので……。
実力主義のNZ社会で学問の大切さを思い知ったことで、アカデミアの世界にもほんの少しだけ興味を持ち始めたので、もしかしたらそのうち「社会人入学だ!」とか言ってるかも?

「優等生的な生き方」をしてきた自分にとっては「正解ルート」から外れまくりな日々。でも「自分軸」を貫いたことは、きっとどこかで繋がって自分の財産になるはず。

ニュージーランドでの日々は、私を変えてくれたしこれからも変えてくれると信じています。

ニュージーランドの海が好き

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