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自臭症(patm)の認知行動療法~最終回

さて、本当に遅くなりました。もうしわけありません。自臭症(patm)の認知行動療法、最終回です。

実は前回までの

  1. セラピストさんと根気よく自分の状態を確認し合う

  2. 自動思考や身体反応に気づく。

  3. それらを修正するために行動(曝露)にでる→具体的にはバスのカウント実験や友達へのカミングアウトなど不安を乗り越える練習をする

これらによりほぼほぼセラピストさんから受けた治療は終わりなんです。

これ以降は自分から不安になる場面を想定して、それを乗り越えていきたいとセラピストさんに提案していきました。

例えば、

  • 大学の大講義(不特定多数集団)に出て一時間半耐える

  • ゼミ(特定多数集団)に出て知り合いを作る

  • バイトやサークルに入り友達を作る

  • コンパにでてパートナーを作る

密な人間関係を作るなんて臭いを気にしている自分にとっては不安で仕方ないことでしたが、それらをセラピストさんに提案していき、どんどん挑戦していきました。
もちろん人間関係ですから友達やパートナーを作ろうとしても失敗することはあります。その都度セラピストさんと相談して、自分のせいだけでなく相性だったり巡り合わせだったり、もしくは言葉遣いだったりこちらの態度が友好的なものだったか検討したり、様々な角度から振り返ります。そして、また乗り越えたい不安という目標を設定して何度も挑戦していきます。

そうすると、次第に人と出会ったり集団に所属したり、人間関係に対して感じる不安がどんどん小さくなっていきます。不安を小さくするための最も効率的な方法はそれを乗り越えていくことです

☆そもそも自分は何を不安に思っているのか。不安=コンプレックス=願望の裏返し。


この頃にはもう自分の臭いなんて何も気になりません。もう友達もパートナーもいましたし、バイトもして普通に講義にも出てました。人間関係に過度に怯えることもありません。練習して慣れたので。
「自分に臭いが無いと確信した」のではなく「自分に臭いがあるかなんてどうでもよくなった」のです。

だって普通に人間関係が構築できてますし、社会集団にも属してます。もちろん仲良くなれない人もいれば、苦手な集団もありますよ。でもそんなの誰だってそうです。普通のことです。普通の生活が送れてます。その上で自分に臭いがあるか無いかなんて、もう些細な問題でしかないんです。

色んな人間関係に挑戦した初期の頃は、「あ、講義に出れた。この不安は乗り越えられた。やっぱり自分に臭いは無いのかな?」とか人間関係=自分の評価=自分の臭い、などとイメージを結びつけて考えてました。でも途中からそのイメージは無くなっていました。
だって、よくよく考えてみてくださいよ。講義やゼミに出るというのは、引きこもりの自分からしたら憧れではあるんですけど、自臭症(patm)治療のため不安を乗り越える訓練でした。けど、バイトしたいとか友達作りたいとかパートナーが欲しいとか、そんなのもう完全に自分の願望じゃないですか?

恋人ができれば確かに自分が臭くないことの証明に役立ちそうです。でもそんなことよりね、パートナー欲しかったんですよ。イチャイチャして触れあいたかったんです。正直に言って、若いし性欲だってあります。2年半引きこもって一人なんですよ?色んな意味で信頼できて自分の欲を満たしてくれる、友達やパートナー、欲しかったんですよ。

じゃあ、友達やパートナーを作るこの(欲まみれの)挑戦は、自臭症(patm)治療と関係の無いことなのでしょうか?いや、自臭症(patm)完治のために、少なくとも私が完治するためには絶対に必要なことだったと思います。

臭いを気にすることのなにが問題なんでしょう?
臭い=まわりの目を気にしてストレスが貯まっていることが問題なんです。自分に異常な臭いがあったとして、まわりからヒソヒソ陰口を言われ咳き込まれたとしても、それを気にしてストレスが貯まらなければ別にそれは問題ではありません。気にしなければ周囲の咳き込み鼻すすりや臭いという非難なんて、難癖つけてくる頭のおかしいやつか、哀れな負け犬の遠吠えでしかありません。どんなことがあっても自分を肯定できる鋼の心があれば、自臭症にはなりません。

ですが、自臭症(patm)まっただなかにいれば、いきなりそんな鋼の心はもてません(というか、そんな心をもってる人間はそうそういませんね)。自臭症(patm)は、まわりの鼻すすりや臭いなどという言葉が、自分の価値を著しく毀損するものであるとしか思えない病気です。そして周りから攻撃され傷ついた否定的な自己イメージが定着してしまっている状態。逆を言えば、その否定的な自己イメージが払拭されればオッケーな訳です。
自分を肯定して受け入れれば、周りから何を言われようと腹が立つ程度で済みます。学校や会社を辞めたり、人付き合いが過度なストレスになることはありません。つまり自臭症(patm)では無い、治ったということです。

ですが、自臭症(patm)の真っ最中では、周りの鼻すすりや臭いという言葉によって自動的にストレスが貯まり不安になり自分の価値を低く見積もらざるを得ない。自動思考や身体反応の話を思い出してくださいね。なので、自分を受容するのは非常に難しい。
だからまず、セラピストさんとこの自動思考や身体反応について徹底的に考え抜きましょう。そして実際に行動(曝露)して成功体験を積み、それらを薄めていく。つまり、周囲の反応が自分の価値を毀損しているとしか思えない状態から脱却しましょう。

また、その行動(曝露)は同時に、自分の自信を取り戻していく練習でもあります。不安を乗り越える成功体験で、少しずつ自信を得ていく。「臭いと周囲の反応と自分の価値」という次元から、「自分の価値を自分でどう見積もるか」という話にだんだんシフトさせていくのです。
自分に自信をつけるんです。コンプレックスと向き合い、その裏にある自分の願望に気づきましょう。
関心や欲求や善悪の判断が無いところにコンプレックスや苦手意識なんて出てきません。どうでも良いことに失敗しても自信なんて失いません。どうでも良いならそもそも失敗したとも思わないでしょう。避けていることは本当はしたいこと、しなければならない、した方が良いと思っていることです。成功した方が望ましいと思うから不安がでてきます。どうでも良ければ、避けてると表現することも無ければ、望ましくない失敗をするかもしれないと不安に思うこともありません。

不安の裏には積極的な願望や消極的な義務が隠れています。自分の欲を自分で満たせれば自信がつきます。また、自身に課した義務を果たせれば、それもまた自信になります。自動思考や身体反応が消え失せ、自分を否定せず受容する、自分に自信がつけば不安はなくなり自臭症(patm)は完治です。臭い=周りの目=不安は自分の願望や義務を満たし果たしてやれば小さくなります。不安は臭いという形をとって現れますが、その裏には自分の自身に対する願望や義務があるってことです。臭いだけに囚われていては完治しなかった。その裏にある願望や義務に気付き、それを満たしてやったからこその完治なのだと思います。

まぁここまで重たく考えなくても、もっとカジュアルな症状の人も多いと思います。それにさまゆかだって認知行動療法を実践していたときはここまで考えていたわけではありません。
何だかコテンパンに否定され、自分が心の病だと言われて、必死にバスに乗ったり友達にカミングアウトしたら、なんだか元気が出てきて、元気が出てきたら、なんだか引きこもってたぶん遊びたいぞ!と思って必死に遊んでたら、いつの間にか完治してました。それくらいの意識ではありました。


さて、以上が私が受けた自臭症(patm)の認知行動療法です。2年半引きこもり、認知行動療法を受けてた期間は週に二回、半年ほどです。
非常にしんどい道のりではありましたが、楽しくもありました。できなかったことがどんどんできていくようになっていったわけですから。

これをよんでくださった皆様に認知行動療法がベストなチョイスなのかはわかりません。ですけど、もし悩んでいるかたの選択肢のひとつに検討してくだされば、幸いだなと思います。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!!

 自臭症(patm)の認知行動療法一覧
https://note.com/samayuka/m/m335f949a3ea2

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