オカン

『記念すべきオカンデビューっていつぐらい?』の回

それはわたしが中学2年生だったころ。仲の良い部活のメンバーとわたしの家でゲームキューブのNARUTOの激闘忍者大戦をしていたときに、不意にその中の1人が「オカン」という言葉を発した。一度はスルーしてそのまま会話が続く。すると少ししてまた「オカン」という言葉が会話に顔を出した。やはり気のせいではなかった。コイツはいま確実に自分の母親のことを「オカン」と呼んだ。「オカン」なんて言葉、父親が使っているところしか聞いたことのなかったわたしは軽い衝撃を受けた。

思春期をとうの昔にくぐり抜けた今なら、ああ、コイツ思春期でデビューしてんな、ということが分かるが、オカンと発した彼と同じく思春期真っ只中だったわたしは、ただただ面食らうことしかできなかった。一緒にゲームをしていた彼以外の友達もわたしと同じように、1人の人間のオカンデビューの瞬間に衝撃を受けたのだろうか。思えば彼はいつでもわたしたちの一歩先を歩いていた。ワックスをつけ始めたのも、彼女を作ったのも、彼がわたしたちの中で一番早かった。

今さら言うまでもなく、中学生は多感な時期である。そして振り返った今、あの頃の自分は大人になりたかったのではなく、いつまでも子どもでいたくなかったのではないかと思うのだ。中学生の自分にとって、大人というものがどんなものなのかは分からない(それは今も同じだけれど)が、子どもというものが今の自分を指すことくらいは分かる。いかにして、今の幼い自分から脱皮していくのか。そしてたどり着いた先が、母親をオカンと呼ぶといったものであるのかもしれない。

わたしたちはこれまで、無数のオカン以前、オカン以後の瞬間を超えて生きている。お酒を飲むようになる、車の免許をとる、社会に出て働き出すといった分かりやすい変化もあれば、母親のことをオカンと呼び出す、夜の古本屋で立ち読みをするようになるなどのささやかな変化もある。そんな変化の瞬間一つ一つのことなんて、いちいち覚えてはいない。友達が母親のことをオカンと呼ぼうと決めたその夜(それは朝かもしれないし昼かもしれないが)、彼が一体どんな気持ちを抱いていたかなんて、今はもう本人さえも思い出せないだろう。しかし、人生において確かに存在したそれらの瞬間のおかげで、今のわたしたちが形成されている。そう思うと一人一人の人間にそれぞれの歴史が詰まっており、それがとても尊いことのように思えてくる。だから中学生から遠く離れた今さら、彼のオカンデビューの瞬間を記念したくなったのでございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?