グローブ

『急にキャッチボールがしたいと言い出したその理由』の回

散歩をしていて田んぼの脇を通ったときに、不意に土の匂いが香ってきた。その瞬間に中高時代の部活の記憶がフラッシュバックして、そう言えば土や草の匂いって、部活をしていたころはしょっちゅう嗅いでいたのに、学生じゃなくなって久しくこの匂いを嗅いでないなあ、とあのころを懐かしむとともにちょっとだけセンチメンタルな気持ちになった。

大人になると色んな香りや匂いによって、子どものころの懐かしい記憶が呼び起こされることが多くなってきた。パン屋で嗅いだパンの匂いは、そのまま小学校の給食のコッペパンの匂いに結びつく。自分の前の給食当番の子がエプロンの洗濯を忘れていたら、自分はまだその週に給食当番をしなくてもよかった、そんなシステムがあったことも一緒に思い出される。久々に早い時間に入ったお風呂のバスロマンの香りからは、小さいころの夏の日のお風呂に入ったときの感覚が呼び起こされる。夜更かしなんて覚えていない小学生のころの夏は、まだ日の沈まないうちにお風呂に入るのが常であり、久しぶりに早く入ってお風呂から上がってきたときに眺める明るい空は、あのころの空まで繋がっているような気がしてくる。雨上がりの湿った空気から漂う金気の匂いは、中学時代の部活の時に飲んでいた水道の蛇口から出てくる水と同じ匂いだ。蛇口に直接口をつけて飲んだ友達をみんなで「きたねぇ!」とイジりまくっていた。早朝の水気を含んだ草の匂いもまた、高校のころの部活動の地区予選で、試合前にアップで走っていた早朝の会場の草いきれと繋がっている。試合前で緊張しながらも妙に神聖に感じられたあの空気感は一体何だったんだろう。そして、風邪の予防で着けたマスクの匂いは、大学受験の日々そのものの匂い。

確か、五感の中でも嗅覚はその他の感覚とは異なり、脳において記憶を司る部分に直接繋がっていると聞いたことがある。だからなのか、匂いによって過去の記憶がどんどん掘り起こされることが多い気がする。それに誘発されて当時ハマっていたアーティストの楽曲などを聴き始めると、もう恐ろしいほどに胸が苦しくなってきて、ノスタルジーに殺されてしまいそうになる。そして、そんな昔を懐かしんで胸を痛めているときの方が、今現在の自分の時間を生きているときよりも、生きているという感覚が強くなるのは何故なんだろうか。自分はもはや過去に生きているのか。とはいえ、今現在を生きている自分の時間においても、思い出の中の学生時代のような胸を締め付けられる気持ちを味わいたいから、青春時代を取り戻すためにそれっぽいことをするかのごとく、たまに無性に友達とキャッチボールがしたくなることがある。ただ、実際にやってみたところで、思い出の中に頭を突っ込んでいるときのような、あの高揚感を味わうことは出来ず、悪あがきをしているような気持ちになってしまうことがほとんどだけれど。

本当に思い出した当時はそんなに青春を感じていたのかと問われれば、そんなことは絶対になかったであろうとも思う。ただの思い出補正。それでも

夏の匂いと君の匂いが
まじりあったらドキドキするぜ

みたいな瞬間がいつか訪れてくれるんじゃないかと、待ち続けながら生きているわたしのようなものを青春ゾンビと呼ぶのだろう。誰か早く殺してくれい。


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