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自分と他人、社会を守るということ

2019年12月、中国湖北省武漢市から発生したとされる新型コロナウイルス。その後徐々に世界規模で感染は広がり、2020年03月には日本でも感染者が出始めた。2020年08月となり、日本国内の感染者数は約4万8千人。死亡者は1千人を超えた。

05月25日に緊急事態宣言が解除されて以降、全国各地で新たな感染者の増加が毎日報じられている。そんな中、ワクチンの供給は早くても2021年03月頃ではないかとの観測もあるが、まだ現時点では”完成”の報は無い。ワクチンの”完成”と”供給”までの間、気を付けなければいけないこと、知っておいた方が良いことなど、私見ではあるが述べていきたい。

重症化リスクの低い者たち

緊急事態宣言の発令当時から、自粛に対する意見や反対の声はあった。
「コロナは神様が創ったもの」と言って自粛に反対する政治家や「コロナはただの風邪」と謳う政治団体まで存在した。昨今でも、渋谷を中心にデモなどの活動を行っている政治団体が「感染希望」などと掲げていたりする。
その政治団体は、デモ活動の一環として、東京山の手線の電車にマスクを着用せずに乗って山の手線を一周すると告知したが、想像以上の世間の反発があったためか、実行されず中止された。

▼2020年08月10日 ニフティニュース
当然ながら、こうした行為は感染拡大の可能性を大いに孕んだもの。同時間帯の山手線に乗車する一般客にとっては、「バイオテロ」にも等しい迷惑行為と言わざるを得ない。

※上記の記事は告知後すぐに出されたものなので記載はされていないが、山の手線へのノーマスク集団乗車は中止されている。

▼2020年08月11日 ハーバービジネスオンライン
ほとんどの方が聞いたことがないと思いますが、それもそのはず、今年07月の東京都知事選に合わせて設立されたばかりの政治団体で、今のところ、地方議員も含めて現職として活躍している人は1人もいません。

こういった発言をする者、活動をする者たちは皆、重症化リスクが低いとされる年齢である。確かに、新型コロナウイルス感染での死亡者が多いのは、60歳以上の高齢者や基礎疾患を持つ患者だとの統計も出ているため、彼らは比較的大丈夫と言っていいだろう。だが、大丈夫なのは「彼ら」であって、彼らの周囲の人間はどうなのかはわからないはずである。

この件で一部報道もされた「彼ら」を例に出したが、これは一般的にも言えることだ。「自分がおそらく大丈夫だから、他人もおそらく大丈夫だろう」という考えは、ワクチンも未完成で治療法が確立されていない現時点では、無責任で浅はかと言わざるを得ない。

重症化リスクのある人たちとは、高齢者をはじめ、年齢に関係なく糖尿病・高血圧などの生活習慣病を抱える人たちも含まれる。また、人工透析が必要とされている腎不全(糖尿病性腎症)の患者では、週に10人以上の死亡者が出ているとの報告(下図)もある。

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▼公益社団法人 日本糖尿病教会 新型コロナウイルス感染症について
下記のページでは理事長 清野裕氏のコメントから始まるが、糖尿病と新型コロナウイルスとの関連や危険性など、詳しく図解付きで説明されている。

人から人へ、感染防止の気遣いとは

言うまでもないことだが、糖尿病を抱える人々の多くは、社会の中で普通に生活を送っている。(腎不全や他の病気を併発して闘病されている場合では話しはまた別であるが)もちろん、電車にも乗り、街中を往来もする。
糖尿病患者だけでなく、透析患者(通院で透析を受けている人など)も喘息(ぜんそく)の人も、高血圧の人も、町の中には様々な事情を抱えた人たちが混在する。

気を付けなければいけないのは、まずは自分が感染しないようにすること、だが、自分だけが気を付けていても限度がある。

例えば、感染防止対策に点数(満点で10)を付けたとすると、他人が出入りしない無菌室や消毒を済ませた部屋に引き篭もるのが10点だとして、出かけるときはマスクを着用してソーシャルディスタンス(感染防止を考慮した社会的距離の確保)を心がけることが5点しかないとしても、周囲の人間も同様の気遣いがあれば周囲の人たちも5点であり、自分との合計10点となる。
例え点数が3~4点であったとしても、自分との合計6~8点に上昇する。
これが仮に、何の対策もしない0点の者が周囲にいた場合、合計でも3~5点のまま上昇せず、その0点だった者が感染者であった場合に危険は増してしまう。

イメージしていただけただろうか。他者への気遣いとは、つまりそういうことである。「自分は感染してもおそらく大丈夫」と思っていても、大丈夫なのは自分だけ(重症化リスクが無い場合)であり、他者の事情などは知る由もない。そして、「感染などしない」と決め付けてかかる思い込みこそが、自身が感染するリスクを高める行為であり、他者へ感染させるリスクを高める行為に他ならない。

マスクの着用についても「無意味だ」とする発言をする者がいるが、これは空気中に混じるウイルスでの感染というよりも、他者との会話の際などでの咳やくしゃみ、発声で飛ぶ(気付かない程の)唾液の飛散からの感染防止に効果があるとされている。

▼新型コロナウイルス 空気感染に関する解説

そして何より、新型コロナウイルスが今までのインフルエンザ同様に、感染後に根治するものとなるかどうかは現在はわかっておらず、新型コロナウイルスは、インフルエンザよりも「結核」に近いのでは(ウイルスの性質や成分ではなく、特性の面で)との意見もある。

▼COVID-19 と結核: よくある質問集
2020年04月に国際結核肺疾患予防連合の公表したPDFファイル

結核とは、現在でこそ根治可能な病気であるが、一昔前までは不治の病とされてきた。現在でもその治療には長期間にわたり多くの投薬が必要とされ、根治が確認される前(医師の判断に従わず)に投薬をやめてしまった場合、体内に残っている病原菌がそれまでの薬に耐性を持って変異する可能性があるとされている。そうなってしまうと、さらに治療は困難なものとなる。

むやみに皆様の不安を煽るわけではないが、新型コロナウイルスが同様に変異していく可能性については、現在はまだ否定されていない。

さらに、新型コロナウイルスのワクチンが完成したとしても、それがインフルエンザや他の病気のワクチンや治療と、副作用という面では併用できるかどうかも、現時点ではわからないのだ。

自分が感染しないこと、家族が感染しないこと、他者へ感染させないことの重要性がご理解いただけただろうか。

思想の自由と、命の保護

世間でも一時話題となった「自粛警察」などは、私も行き過ぎだという考えである。しかし、最低限必要なだけの「自粛」は、ワクチンや治療法が確立されていない現時点では、やはり必要なのだ。

自粛もせず、感染防止対策もしない、個人でそう考えるのは自由である。
他者への接触や影響が少ないとき、例えば犬の散歩や、ちょっとした買い物(自販機など)へ出かけるだけならば自由にすれば良いだろう。だが、感染は主に人から人へ広がっていく。今自分が感染していなくても、今日感染して明日誰かに移すことも有り得る。そう考えて、少なからず人が周りにいる場へ出向くとき、人との接触を持つ可能性があるときは最低限の感染対策は心がけてほしいものである。

「自分はおそらく大丈夫」と思っている人たちも、将来的にずっと大丈夫な保障は何も無いことに気付いてほしい。上記で述べた変異型ウイルスになる可能性もそうだが、これから先、病気をしない自信や身体を壊さない自信があるというのだろうか。今現在は重症化リスクはなくても、体内に新型コロナウイルスを持ち続けた場合、何かしらの病気を切欠に突如重症化することも考えられる。それは、「自分はおそらく大丈夫」と思っている本人たちだけの話ではないことを理解するべきだ。

何を考え、どう思い、どうするかは個人の自由だが、他人に影響を与える可能性がある時点で、個人だけの問題ではないことを認識しておいてほしい。

他者を気遣い守るということは、巡り巡って自分を守ることに繋がる。
誰も、他人が死ぬことをただ望む者はいない。高齢者であっても基礎疾患があっても、生活習慣病であっても、人には家族や友人知人がおり、悲しむ人が存在する。

世界を見渡しても、国民の感染者数や死亡者の少なさから、日本の状況は奇跡とさえ言われ、それは、昔から受け継がれてきた日本独特の「おもいやり」や「気遣い」の成せる業だとも言われている。日本とは、その「おもいやり」や「気遣い」の上に社会が成り立ってきたと言っても過言ではない。

自分を守り、他者を守るということは、その「おもいやり」と「気遣い」をもって社会を守るということに繋がる。自由を守る主張も結構なことだが、その前に、人の命を守ることを何よりも優先して考えてほしいと切に願う。


自分と他人、社会を守るということ(終)