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できなかった「聞き屋」

世の中には聞き屋という仕事やボランティアをやっている青年たちがいます。街頭に立って通りがかりの人の話を聞いたり、ネットで予約を取って有料でひたすら話を聞く、などです。
私は大学で心理学を研究し心理士の資格もありますし、一時期コーチングの勉強もしていたのでその技量を生かすことも含め、人の話を傾聴して役に立てたら素敵だろうなと思ってきました。ここnoteを活用して、そんな取り組みができないかを検討していました。例えば、以下のような内容です。

「聞き屋」の例

・20分くらい
・意見は言わない
・否定しない
・AIより人間味のある姿勢で
・無料

「インタビュー屋」の例

・20分くらい
・私からインタビューし自由に答えてもらう
・相手が聞いてほしいことを訊ねるように努める
・回答に関して詮索や意見は言わない
・無料

需要はあると思いますが、実際に試してくれる人は少ないと思います。理由はいくつかあります。まず、私という人間の情報が不足しているため慎重にならざるを得ないという点。実際、この記事をお読みになっても連絡をくださる人はほぼいないと予想します。少しずつ私の記事のコメント欄がにぎわって様々な人とのやりとりが増えてくれば、安心感が生まれ、依頼も増えていくことでしょう。
仮にそうだとしても、私は今、立ち止まっています。以下は私の事情です。

傾聴、それは誰のため?

人の話を聞くのは好きですし、役に立てればもちろんうれしく思います。でも自分を冷静に分析すると、それを果たすには足りないものが多くあるように思いました。
①録音した自分の声。聞き取りにくいし、話し方も癖が強い。声質も独特で、相手がスムーズに話せる環境作りが難しい。
②私の聞く姿勢。心を穏やかに、傾聴に集中できるのか。人の話を聞くのが好きでも、頭の中では自分のことに置き換えたり、余計なイメージが広がるのを抑えられないのではないか。
③相手の話を咀嚼して、きちんとその主旨を把握できるのか。
④言葉に隠れている相手の感情までもすくい上げる能力があるのか。
⑤冷静でフラットでありながら、静かに誠実に寄り添うことができるのか。
・・・他にもいろいろ問題がありそうです。

結局「役に立ちたい」などと言いながら、自分に都合よく楽しみたいだけではないのか?

私は人の私生活への好奇心はほぼないので、その点は向いているかもしれません。それにしても、今まで傾聴というものを軽く見ていたと思います。単に聞き上手だから、という自己評価だけでは実行できない。そう考えて、私は聞き屋をやることを断念しました。
好きなことができることだとは限らない、と言われます。好きなことだからこそ一生懸命とりくんで仕事にすることも可能だ、とも言われます。

もっと私自身を律したり高めることができたなら、その時は聞き屋を始めてみたいと思っています。

追記★奇遇ですが、この記事に先立って呼応するような内容の記事が投稿されているのを見つけました。メルシーベビーさんが、聞きたくないのに聞かざるを得ないやるせなさ、について言及していらっしゃいます。ご興味ありましたら是非。
https://note.com/mercibaby/n/n7f210aa011b0

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